Koy's blog

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2014年10月29日水曜日

結果には原因がある。原因にフォーカスして、そこを変えてみれば結果が変わるはず。

僕は田舎の漁村でも熱海サンビーチ(大好きです)でも、そこに海があれば、満足してしまうタチですが、オアフのラニカイビーチは、僕の知る限り天国に近いビーチTop3に入っています。
one of the best beaches ever!

(ちなみに1位は開発される前の石垣島の久宇良。今は開発されて無惨な姿になってしまった。無念。涙。)

前回「行動」をテーマにしたポストをしたので、今回も勢いづいて同じテーマです。

このビーチまで車でハイウェイを使って30分で来られる、というのは本当に恵まれているとうっかり自画自賛してしまう。

辿り着くまでに「渋滞」が皆無なので、ストレスが一切ない状態で、海での一日を終えられる。

ハワイに住むぞ、と声に出して宣言したのは3年前の旅行で来た、このラニカイビーチだった。
後で見返したビデオに声が残っていて、こんな事を言っていたのだ、と気が付いた。

イギリスの著名な詩人ジェームス・アレン氏もこう言った。
「全ての結果には原因がある」

要するに、今こうしてボ~っと空前の癒しの極地みたいなビーチに寝そべって間抜け面をさらしていることが「結果」だとしたら、
あの3年前の荒唐無稽に思えた「住むぞ」宣言は「原因」だったと言える。


大昔に読んだのですが、こんな表紙だったか記憶が無い。
「原因」がなければ、今僕がこうしていることは無かったのだ。

もしかしたら、パラレルワールドの主人公よろしく、今この瞬間にいつもの同じ電車に揺られ、いつもの職場に行き、いつもの定食屋でいつもの日替わりを美味い!と食べていたのに違いない。
(それはそれで悪くないのかも知れない。だけど、少なくとも僕はそんな毎日に飽き飽きしていた。要は価値観の問題。ただ僕個人からすると、こういう生活にはやつぱしNo!と言いたい。仲間募集中!)

自分が望む結果を得たかったら、まずその「原因」となる行動に注目せざるを得ない。

産業革命の時代を生きたイギリスの詩人が言った事を解釈すれば、両方はチャリンコの両輪だ。

しかし、その行動はどう興せばいいのだろう。

大人になると、気が付くとあれは1年前だったのか2年前だったのか、毎日が同じ様に過ぎて行くので思い出せない時がある。
「やべ、昨日食った飯が思い出せない!「まじか?オレなんて妻の名前が出てこない!」

一日の終わりがいつもコンビニで買って帰る同じ銘柄のビールという「結果」なのは、朝起きてからの「行動(原因)」も昨日と同じだからなのに違いない。。

そもそも、人間にとって「昨日も明日も揺るぎのない安定(を無意識に望むこと)」とはデフォルトで組み込まれたプログラムだと思っています。

(自分で考えついた訳では当然なくて竹内久美子氏とか理系のエライ先生っぽい人のエッセイを読んで、なるほど!とインプットされたインスピレーションです。)

要するに、骨付き肉を頬張っていたギャートルズやフリンストーンの、飢饉や飢餓、洞穴に獲物を追いかけてカウンターで襲われて命を失うような「毎日がリスク」みたいな時代から、安定志向になるよう脳みそがプログラミングされてる、ということだろう。

変化を伴う「ブランニューな結果」を作り出す「行動(原因)」を起こすにはストレッチがかかるに違いない。

とは言え、毎日が同じで閉塞感があるのなら、まずその結果ではなくて、自分の行動(原因)にフォーカスして、そこをチェンジしなくてはならない。

何で、私は毎日同じ顔の嫌味極まりない上司と顔を合わせてるんだろう、どうしてウチの旦那は外面はいいのに、家ではあんなにも最低なんだろう、オレはどうして、今ここにいて、あそこにいないんだろう。

恐らく、結果に問題があるのではなくてあなた自身が起こした原因に問題があるのだ。

これは僕が言ってるんじゃなくて、100年以上も前の偉大なる詩人が言っているのだから、きっと価値があると思う。
英語が得意ならタダだ!Kindle最高!


仏教でも因果応報とか難しい熟語があるが、要は同じ意味だ。

先ほどチャリンコの両輪みたいな話を書きましたが、
きっとアクションを起こす、という小さな冒険は初めて自転車に乗った時と似ている。

自転車は分かりやすいメタファーだ。

安定させる為には、コケるリスクを取りながら、懸命にペダルを漕がなくてはならない。

最初は当然不安定だ。

いっその事なら、チャリを降りて歩いた方が楽だし、今日のところは行きたい所に行けるだろう。

でも、それではエキサイティングな風景や、風を切る心地良さ、そして辿り着けるであろう距離に到達する事は出来ない。何よりも開放感が無い。(坂道の昇りは押し歩きしてしまったとしても!)

初めてチャリンコに乗れた子供の時の喜びは言語に尽くし難い。
それを再体験するのが、新たな行動を興す事だと定義してみたら、人生はもっと楽しくなるはず。

僕は、今よりもっと遠くに行きたい、もっと自分の人生の風景に彩りを増やしたい。
そして一番大きいのが会社、というよりも「組織の論理」に振り回される人生から自分を解放したい

そう考えて、思い切ってペダルを思いっきり漕いでみただけなんです。

最初は、まだあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、いつコケるかも分からない。

でも、いつか安定したスピードが出せると信じています。

そして見た事のない風景を楽しみながら、行動をしなかったら辿り着けない場所に行ってみたいと思っています。

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