その時は、なんというか、生命の神秘というか、種の存続みたいな大きなことを考えてしまって、ふわふわして地に足がついた感じがしなかった。
現実感としての父親感は、港区役所に一人車を走らせ、出生届を出して、役所のオネエサンと一連のやり取りをした後に「おめでとうございます」と言われた時だった。
赤坂にある役所を後にして思ったのは、オレの親父もこんな感じでオレの出生届を出したのだろうか?ということだった。
確かに、ボクはそれまであまり親父の事を考えた事は無かった。
戦後育ちのマイホームパパだった親父はボクに色々な事を教えてくれた。
ボクを本の虫、映画好き、洋楽ラブに仕立て上げたのも実は親父の影響だった。
それでも、自分が父親になってみるまで、親父の存在というのは当たり前過ぎて、何か特別な感情を親父に抱くということはまるで無かったのである。
ただ確信出来るのは、今ボクが息子に抱いてる感情や愛情、やわらかい頬っぺにぶちゅぶちゅキスする時の気持ちとかもきっと共有しているという実感だ。
今でこそ、一人前な事を親父に言っている自分もかつては彼の腕の中で安心して、無邪気に笑っていたのだ。
いつになく、感傷的な気分になってしまったのは、
いつも車で聞いているカイルアのラジオステーション
KRTR-FM 96.3 FMから、ルーサー・ヴァンドロスの「dance with my father again」が聴こえて来たからだ。
いつも車で聞いているカイルアのラジオステーション
KRTR-FM 96.3 FMから、ルーサー・ヴァンドロスの「dance with my father again」が聴こえて来たからだ。
初めて聴いた曲ではないのに、何故か今日は歌詞が心に沁みてしまい、車を近くのパーキングに止めて聴き入ってしまった。
Luther Vandross - Dance With My Father
自分を愛してくれた父親が、ある日突然この世を去ってしまう。彼は小さな子供の僕を抱えながら、母親とダンスをしてた。子供の頃、確かに僕は父に愛されたんだ。そんな父がいなくなって、母さんは時々泣いてたよ。僕は神に祈った。もう一度父とダンスをしたい。母の為に父を帰して欲しいと。でも、父は帰ってこなかった。そして今、僕の母親は死を迎えつつある。また父とダンスをする為に。
思わず、涙が出そうになってしまったのでありました。
あらゆる意味で親父を超えようと考えた事もあった。でもきっとそれは出来ないと思う。
親父はいつでもオレの親父だから。
親父がオレにしてくれたように、オレは息子に出来る限りの愛情を注いで行こう。
そして、両親に感謝して、親孝行を出来るだけしていこう。
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