暑い!暑過ぎる!
予想はしていたが、これほどとは。
生粋の東京生まれ昭和歌謡育ちで、近年の酷暑を何度も経験していたのに。
カラダは優し過ぎるハワイの気候にあっという間に順応してしまっていたのだ。
ハワイを拠点として生活した2年間をひとまず終了したのだった。
東京に戻って来た。
8月の東京はもはや体中の骨が溶けるような暑さだ。
それでもハワイでは聞くことの無かった蝉の大合唱を聞くと「ああ、これがまさに夏だ」と実感する。
ハワイはエンドレスサマーで信じられないくらいに幾つもの素敵なビーチに囲まれて過ごしたが、潮の香りはあまりしない。
たかだか2年のハワイ暮らしでは、いまだに僕にとっての「夏」の感覚はこれなのだった。
このセミ騒音、もとい、蝉時雨とアジの開きが干してあって潮の香り満載な漁港が日本の夏なのだ。(いや、東京にそういう景色はあまりないが。)
ビジネスと子供の進学のリアリティ
ベースを東京に戻す決断をしたのは、5月末だった。
ビジネスをどうすべきか、子供の学校は?
ハワイでユルくなってしまった脳みそを酷使して、この先の人生を考えたのだった。
商売繁盛と子供の小学校進学というのが現時点で僕らファミリーにとっては二大プライオリティだった。
もともと、息子が小学生になる時には日本に戻ることを前提と考えていたようなロンバケ状態だったのだが、
現実的にハワイ、というか外国で暮らして行く中で、様々な選択肢を考えるようになった。
ビジネスもその日暮らしではなく、今後の色々な展開を考える必要があった。
もっと自分のスキルを活かすには、もっと大きくて、かつセグメントされた市場が必要だと実感していた。
ハワイでも出来るには違いない。
だが、もともとナマケモノの僕には、ハワイは優し過ぎる。
東京という都会の刺激もなくてはならないと良く分かった。
もちろん今は、ネットを使えば世界中どこにいてもある種の仕事は可能だ。
それでも、リアルに人と接する方が何倍も早く仕事は進行するし、信頼関係の構築も楽チンだ。
そして5歳の息子の学校だ。
ハワイのプライベートスクールへの進学、コストがほとんどかからないけどレベルの高いカリフォルニアの公立学校なんかも真剣に考えた。
LAには実際に行って、めぼしい街から街へ車を走らせて生活するイメージを浮かべたりしてみた。
マンハッタンビーチには真剣に住みたいとか思っていた。
当然、予算が全然足りない、という現実には目をつぶった上でだ。
ハワイは人種が程よく分散している。
まさに子供の頃からダイバーシティを味わうには適した環境でもある。
とは言え、ハワイで私学に通わせるにはとんでもないお金がかかる。
高校卒業までに私立大の医学部の子供が10回以上留年するようなコストがかかる。
しかも日本語の学校とのダブルスクールとなると、とうぜんコストもダブルだ。
僕らファミリーは日本人だ。
家での会話は当然だが日本語だ。
僕も英語での会話には不自由しないが、普段の思考は当然バリバリに日本語でしている。
日本語はひらがな、カタカナ、漢字という3種の文字が存在する、という世界でも類を見ないほどトリッキーな言語だ。
そういうトリッキーな言語を息子が習得する上で日本語スクールだけに任せるのはリスクに思えた。
しかもハワイにある日本学校の場合は、土曜日に日本の学校の一週間分の勉強を詰め込むらしい。
もし、息子が僕に似て勉強嫌いだったら、ハワイは楽園ではなくて、地獄になってしまう。
そして親もそれに付き合うのだ。
無理だ。
いや、これからはグローバルな時代なので、日本語が変でも英語が出来ればいいじゃないか、みたいな考えは僕は持ち合わせてはいなかった。
僕らは移民をした訳ではなかった。
周りには、新一世というか、ハワイで骨を埋めるべく、そういう覚悟を持って移住した人達もいた。
皆、日本人の誇りを持ちながらハワイを愛していた。
そしてハワイのライフスタイルを謳歌していた。
そういう人は、親の母語と子供世代の母語が変わるかもしれないことへの覚悟を持っていた。
僕はそういう覚悟を持っていなかった。
また、ハワイに限らず海外で生活していて小さな子供がいる家庭では日本語の学習に色々苦労している人達もいた。
特に両親の片方がノンネイティブな場合は、日常の会話は英語が主体になるようだ。
分かりやすく言うとパパがアメリカ人でママが日本人みたいな場合だ。
最初は第二外国語として日本語を子供に教える。
ママは必ず日本語で話すように心がける、みたいな。
それでも高学年になると日常で必要のない「日本語」を勉強することの意味を子供自身がが見出せなくなってしまう。
モチベーションがダダ下がり、と聞いたこともある。
日本語ネイティブの方の親(まぁ、圧倒的に母親が多そうだが)が諦める、というパターンが多いみたいだった。
ウチは、双方日本人なので、家では日本語を徹底すればいいだけの話かもしれないけれど、やはりトリッキーな日本語をネイティブにするのは、環境は重要だと思ったのだ。
しかし、ここは誤解されないように書かなくてはいけない。
ハワイの親しい日本人ファミリー中でも子供がハワイ育ち、というファミリーは多い。
大きくなった子供も、米語も日本語もバッチリ完璧なバイリンガルも多いことは書いておくべきだろう。
トリッキーな日本語を敬語含めて完璧に駆使している人など沢山いる。
芸能人を見ても、長谷川潤とかスミレとか英語も完璧なら日本語も完璧でしかもセクシーでチャーミングだ。
要するに、この話はどっちが良くて悪いという話ではない。
単に、家族と言う単位での価値観の話でしかない。
そういう、自分自身の価値観とコストと言語環境と教育の中身、今後やって行きたいビジネスの展望、今後の人生のイメージ、ハワイの最高な天気とビーチ、東京の憂鬱でジメジメ感炸裂な夏、というprosとconsをグチャグチャにミキサーにかけて、ぽんと出て来た答えが「東京ベースの生活に戻ろう」というものだったのだ。
もっと言うと、ハワイは楽園過ぎるのだ。
子供がずっとそこで育ってしまうと、東京や都会にアジャスト出来ないんじゃないか、という心配もあったのだ。
僕が東京で育ったからこそ感じる外部者目線での「ハワイの価値」というのを共有出来なくなってしまうかも知れない、とか考えてしまった。
とは言え、まぁ、そういうのも人による。
ハワイ出身でLAでバリバリに都会人しながら、エグゼクティブなビジネスライフを送っている僕の元同僚のアメリカ人とかも存在する。
しかも、ここで育った少年は今や合衆国の大統領だ。
結局、親である僕らの勝手なジャッジには違いない。
この素晴らしきビーチを忘れるなよ。 そして日本にも有数のビーチが、しかも関東にもあることをこれから知るのだ! |
人生のほぼ半分をハワイで過ごした5歳の息子にとってこれから日本で送る学校生活がベストであるように環境をセットアップするしかない。
というわけで、秋以降からの展開を考えた時に、ベストなタイミングというのが、はたから見たら天国から地獄へ来たのかのように思える、灼熱・酷暑の極み、な8月の東京だったのだ。
そういえば、ある外資系企業では東京に海外から赴任する際に、熱帯地方とかそういう所に赴任するのと同じような「酷暑手当」が出ると言う。
それを聞いた当時は、なんだよそれ、とか思っていたが、マジで誰かに手当してもらいたい。
身体機能が楽園仕様になってしまっていて、帰国一週間経っても毛穴が開きっ放しで、ペットボトルの水を手放すことが出来ない。
とは言え、愛する故郷の日本だ。
ライフチェンジングで行動を是とする人生の旅はこの東京でもきっと続くのであった。
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