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2016年2月23日火曜日

暴走する老眼を止めろ!4つの方法。

老眼。

この名称をなんとかしたい。

英語ではPresbyopiaとか言うらしいが普段聞いたことがない。
ってか普通に読めない。

どう発音するんだ?
きっと米国人でもスラッと言えるのは眼科医くらいだ。

やはりそのまま「遠視」でいいんじゃないか。

「オレ最近、老眼チックなんだよね」
とか言うたびにジジイになってしまう気がする。

言霊は大事だ。 

どれだけ気を使っても人間は老眼だけは避けられないとか誰かが言っていた。


だから40代女性のカリスマで信じられない美貌とインテリジェンスを保っているキョンキョンも密かに老眼かもしれない。


最近日本を含むアジアでツアーをした「信じられない57歳」なマドンナも。


いや、彼女はマイアミとかでサラリーマンの2年分の年収くらいのコストをかけて最新の眼科治療を受けているかもしれない。


あの年齢であの体力と美貌とプロポーションだ。
視力2.0以上あったりするかもしれない。(想像)

僕の親父が老眼鏡をかけ始めたのは、50歳すぎだったと思う。


その時初めて自分の親が「歳をとる」ということをリアルに感じて少しショックだった。

そして、僕はまだ40代なのに、最近急激に視力の低下を感じるようになってしまった。


寝転がって文庫本とかKindleを読んでいて、ふと目線を別にずらすとボケたりしてしまう。
やばい。 

だけれども、老眼鏡は作っていない。
以前、一足先に老眼になってしまった先輩が作ったというメガネを借りてみたらその瞬間に視界がクリアになってしまい、焦った。

僕は子供の頃から視力だけが良いのが自慢だった。
ここで、老眼なんぞになってしまうと、ただでさえ少ない自慢のタネが減ってしまう。

そこで、なるべく老眼鏡の世話になるのを遅らせ、できればジジイになっても裸眼で居られる方法はないか、色々試してみることにした。

1. 栄養に気を使う。


なんといっても有名なのは、アントシアニンだ。


これはブルーベリーに豊富に含まれている例のヤツだ。
この紫っぽい色がその栄養素が含まれている証らしい。


じゃ、赤ワインはどうなんだろう?と思って調べたら

やっぱし含まれていた!

毎晩赤ワインを飲もう。
いつでもどこでもクスリになる赤ワインは天才。


2. レーシック手術をする。


老眼にも有効らしい。


目に小さな目に見えないようなトゲが刺さっただけでもプチパニックになったのが僕だ。


目を手術する、というコンセプトそのものを受け入れることは出来ない。

却下だ。

3.ブルーライトを避ける。


パソコンから放たれる光がブルーライトだ。
この光は眼球を疲れさせる。


一日中パソコンの前にいるような生活をしている僕にとってはJINSのリーディンググラスは欠かせない。

4. 血流をよくする。


これは疲労を回復させ、疲労の蓄積から老眼を誘発するようなことがないようにすることが目的だ。


濡らしたタオルをレンジでチンして、目の上に数分おく。
焦ってやるとヤケドをしてしまうので注意が必要だ。


気持ちよすぎて、うっかりそのまま寝てしまい、仕事がはかどらない、なんていうこともある。

5.3Dアートを見る。



一番のオススメはこれだ。


なんといっても目の筋トレ、というのがわかりやすい。
鍛えれば強くなる、これは自然の摂理だ。
赤ワインの次に好きな方法だ。

そもそも老眼は水晶体の弾力というか筋力が衰えて、ピント調節が難しくなることで起こる現象だ。
衰えているなら鍛え直す、というシンプルな理論だ。

あまりやることが多すぎると無理だ。
せめてこの4つくらい(レーシックを除く)なら習慣化することは可能だろう。

しかし、老眼に変わる言葉、なんかないかな。。。


2015年10月19日月曜日

憧れだったヒーローの年齢を自分が越えた時。

誰だって才能を持っている。
それを発見するまで、いかに行動するかが大事なんだ。
(by 希代のフィルムメイカー、ジョージ・ルーカス)

Everybody has a talent, it's just a matter of moving around until you've discovered what it is.
by George Lucas


40代後半、というのは微妙な年代だ。


最近ちょっと近くの文字が読みづらくなったな、とか思っても、まだカラダ的な衰えを強烈に感じる年齢でもない。

年齢と言うのは、もの凄く相対的なものだ。

少年だった頃に、想像も出来ないくらいにオッサンだったような年齢に達しても、普段の生活で自分で実感する機会はそう多くない。
(若手とカラオケとかに行くと世代間ギャップは感じるが。。)


同年代の友人とかを見ても、お世辞とか錯覚ではなくて、実感として「(20代から)変わってない・・・。」とかマジに思う。

もちろん、「相対的」なので、20代の友人達からみたら、きっとオッサンはオッサンなんだろう。

あくまでも「主観的」に、自分が思っていたようなジジイになっていない。

ジジイの感覚がない、というのはいいニュースに思える。

まだ夢見る青年のようなモラトリアムな感覚が忘れられずに、それが行動にも出てしまうことがある。



何となく、不確かだけど、でも明るい未来が待っている、みたいな「無責任」な楽観的な思考だ。


バブル期に10代を過ごしたのも、そういう思考を潜在的に持っている理由でもあるだろう。

世の中ではアンチエイジが話題になり、40代でも生活臭のしない若々しい俳優や女優、タレントが人気だ。


きっと、それは良い事だ。

それでも、最近の僕は考えてしまう。
たまには、加齢をネガティブに考えて自分のケツに火をつけてみよう、というのが今回のブログコンセプトだ。

下の数字。。

22
38
27

33
36

つまり、こういう事だ。



22歳の時にジョブスはAppleを創業した。


38歳の時、オフクロ世代のヒーロー、石原裕次郎は「太陽にほえろ」の「ボス」だった。


SMAPの香取慎吾クンが今38歳だ。
彼は才能あるタレントだが、石原裕次郎と同じ存在感でボスを演じられるとは思えない。

27歳の秋元康はおニャン子クラブをプロデュースした。

今の業界で27歳はまだヒヨッコ扱いされる。
いかに秋元氏に才能があったとは言え、当時の業界はまだまだ若かった。



そして、僕にとってのスーパーヒーローはスピルバーグとルーカスだ。


33歳でジョージ・ルーカスはスターウォーズを世に出した。

36歳の時、既にハリウッドで成功者だったスティーブン・スピルバーグは世界興行歴代1位(当時)、SF映画の金字塔となる「E.T.」を公開した。


ジョーズの時は何と29歳だった!
80年代の映画少年にとっては永遠のヒーローだ。
Credit: businessinsider.com


この二人が映画界に登場した70年代。

そしてハリウッド映画界はそのイベントを基点に、全く変わってしまった。
業界のあり方を変えて、後に続く若い才能にとってのスタンダードになってしまった。

彼らは20代〜30代だったのだ。

僕は軽いショックを受ける。


当時10代だった僕にとっては彼らは憧れで、ずっと追いかける存在だった。

僕にとってスーパーヒーローは常に年上だった。

彼らから、強烈なインスピレーションをもらってきた。
人生の中のちょっとしたつまづき、悩ましい出来事。

それらを切り抜ける為に彼らから、多くの気づき、そして助けをもらっていた。

そして、気が付けば僕はとっくに彼らが何かを成し遂げた年齢を越えててしまったのだ。



このテーマには大きなインスピレーションが二つある。


一つは、

「若者よ、特に20代30代達よ、古いオールドスクールな秩序に気遣いなんか一切必要ない!
先駆者や反逆者は常に自分達で『基準』を創り出して来たのだ」
ということ。

そして、もう一つは

「中年よ、焦るんだ!いつまでも自分が若いと思うな。もうお前はとっくにスーパースターがスーパースターになり得た年齢を超えているのだ。今、アクションするんだ。」
という感じだ。


ある著名なアメリカのコラムニストは言った。


アメリカ人にとって「米国大統領」はそのまま「父性」の代名詞だと。


大統領とは常に自分より年上の存在であったのだ。


そして、自分の年齢より若い46歳の「ビル・クリントン」が大統領となり宣誓をした時の感慨深さをコラムに書いていた。


人は誰しも歳を取る。



毎日の暮らしの中で「突然に衰える」ということは、滅多に無い。

だから、自分が歳を取って、いつか衰え、そしてこの世からいなくなる、ということをきっとギリギリまで気が付かない。


いや、気が付きたくないのだ。


精神的にも、肉体的にも「若くあろう」というのは、正否で言えばきっと正しい。


しょぼくれて、辛気くさいことをほざいて周りからヒンシュクを買うのはダサい。


若々しいことは、きっと無条件に良い事なのだ。

マクドナルドのレイ・クロックやKFCのカーネル・サンダースが晩年に近い頃に創業し、そして成功したという話は、中高年に感銘を与える。

まだまだ、オレは、ワタシは若い。まだまだこれからだと思える。

しかし、それを一服の清涼剤のように感じるだけでは、どうしようもない。


それは神話だからだ。

彼らだって、わざわざ年取ってから何かをしようと行動していた訳ではないだろう。


人生は有限だ。


確かに何かをするのに、年齢も関係ないし、遅過ぎる、ということは決して無い。

それでも、もし自分がまだ「若い」と感じていて「時の有限性」に気が付かないのであれば、自分のケツに火をつけるべきだ。

自分の人生を確信を持って生きる為に、行動するのはきっと「今」だ。



敢えて言おう。

あなたがもし40歳を越えているのなら、あなたはあなたが思うほど、年取ってはいないが、若くもないんだ。

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2015年9月14日月曜日

「脱東京」こそ東京在住者が読むべき本だ。

未曾有の豪雨が北関東を襲い、鬼怒川の堤防が決壊した週末。

街を洪水が襲う。

そのニュース映像はまるで、2011年3月のあの「震災」直後の津波を彷彿とさせる恐ろしい映像だった。
被災された方々の一日も早い復興を祈るばかりです。



僕は、あの「震災」の直後、家族を九州は福岡に疎開させた。

色々な風評が出回る中で、後悔するよりはマシだ、と海外旅行の為に貯めていた預金をフルに使い果たして、博多に2週間家族を滞在させた。

僕は当時サラリーマンで、会社から指示されたのは一週間の自宅待機だけだった。

なので、途中で一人で東京に戻ったのだ。

羽田に到着したら雨が降っていて、この雨にも放射能がたっぷり含まれているんだろうか、と憂鬱な気分になったのを今でも憶えている。

あの時に、僕は気付いたのだ。

「東京」に居なくても「仕事」は出来る、と。


本心では、沖縄とかに行きたかった。

しかし、あの強烈な「津波」のニュース映像を見てしまった後だ。

なんとなく「沖縄」は遊びに行くみたいで、不謹慎な感じがしてしまったのだった。

今思えば、別に「沖縄」でも良かったし、コストはほとんど変わらないか、安く上げる事も出来た。

当時、友人家族が東京から福岡に移住していた。

ある教育関係のベンチャーを博多で起業していたので、拠り所はあったのだが、ステイ先は、普通にホテルを取った。

空港から博多の駅までのアクセスは快適にあっという間だった。

駅では高校生が東日本震災の為の募金活動をしている以外は、普通の日常がそこにあった。

コンビニには普通にペットボトルの水が売られていた。

福岡入りしたついでに、その友人ファミリーの自宅に遊びに行った。


彼らはモチロン震災に関して相当な心配をしてくれていたけれど、僕が感銘を受けたのは別の所にあった。



彼らのライフスタイルはまるでカリフォルニアの「それ」みたいだった。

車で10分のオフィスで働き、程よい距離感に自然に溢れていて、ナイスなビーチが点在している。

リビングコストも東京より遥かに安い。

食べ物も異常なウマさと安さだ。

何と言うか、「ちゃんとした人間らしい」生活がそこにあったのだ。

都会と自然の絶妙なバランスがそこには存在していて、彼らは今の生活は全くの「ストレスフリー」だと言っていたし、顔つきもそれを証明していた。

もう、「東京」には戻れないし、戻りたく無い、とまで言っていた。


東京にいなくても仕事は出来る。


それまでも薄々感じていたのだが、福岡での「疎開」生活でも普通に「仕事」が出来てしまったのだ。


まさに「ネット社会&テクノロジー」の恩恵だ。

福岡と東京で時差がある訳ではないので、電話とメールを駆使すればオンタイムで仕事が進んでしまう。


Skypeであれば、複数の人と同時に会議も出来てしまう。


東京にオフィスなんていらない、のである。


それでも、「東京のビジネスパーソン達」というのは真面目だ。


早くオフィスに戻り、一日も早く「あの日常」に戻る事が暗黙の期待値や空気として存在していた。

満員電車に揺られ、「オフィス」に物理的に縛られる生活に戻ることを多くの人が望んでいるかのようだった。

福岡から電話をした東京の取引先の人も早くオフィスに戻って仕事をしたい、と言っていた。


「マジかよ!」とか僕は正直思ってしまった。


思えば、あのタイミングが多くの東京生活者のライフスタイルを変える一種の分岐点だった気がする。

都市部、とりわけ東京に生活する人達が、自由に自分で働く場所や生活する場所を決める事が出来るようになる。


そういう「来るかも知れない」未来に向けた「分岐点」だったのだ。

そして僕の目からすれば、その分岐点は多くの日本人(東京人)は、そのレールを未来ではなく過去へ戻る方向に向けてしまったようだった。



人間はあのようなとてつもない災害を目の当たりにしても、いや、むしろだからこそ、「日常に戻ろう」とするのだと悟ったのだ。

しかし、僕はそうならなかった。


あの「疎開」以来、日常に戻ることへの違和感が心の中に満ちあふれてしまった。

生活を変える大きなきっかけをどう行動に結びつけるのか、その考えから抜け出せなくなってしまった。

結局、その年の暮れの自分の病気というさらなるきっかけもあって、僕はハワイへの移住という決意にいたったのだった。



時は流れて、僕は2年過ごしたハワイから東京に戻って来た。

理由は一ヶ月前のブログに書いた。

言ってみれば、肩書きは「元・脱東京」野郎ということになる。

だから友人が書いた新しいこの著書を読むのには正直勇気が必要だった。


なぜなら、僕は「脱」じゃなくて「東京リターン組」、だからだ。 


人生の冒険野郎でありたい僕にとっては、この著書を読んでまた「脱東京」したくなったらどうすんのよ、みたいな心配もあった。

しかも一方で、今では「東京万歳!」みたいに思っている。


ハワイはモチロン楽園だが、食事にチップがいらない便利さとか、街行く女性の美しさとか、公共交通機関の果てしない利便性とか、
マーケットが圧倒的に大きいとかいうのは、一度「脱東京」した僕の目には、なんというか東京もキラキラしているのだ。









「脱東京」という言葉にはストレートでかつチャレンジングな響きがある。


著書の中では14人のクリエイティブクラスのビジネスパーソンが登場する。


それぞれが、各地域で自分らしいライフスタイルを確立したり、もしくは模索を続けている。

中には僕も個人的に知っている友人もいる。

彼らがどのように、自らのビジネスを創造し、地域に貢献し、そして「東京」という「中央集権型の偉大なる幻想」から脱却し、自分らしい理想的なライフスタイルを送っているのか。


そのストーリーが主にインタビューを軸に展開される。

そして、その内容は刺激的だ。

きっと多くの人は著書のタイトルや目次を見て、「特別な人々の物語」だと思ってしまうかも知れない。

しかし、僕は「東京を愛するリターン組」代表(いつからだよ!)として思うのだ。



この著書のメッセージは実は別の所にある。

それはむしろ、東京に住んでいる人達に向けてのエールだと捉える事が可能だ。


東京で生活し、今の生活にハンパない閉塞感を感じているにもかかわらず、現状から抜け出せないジレンマを抱えた人にこそ、この本書は大きな示唆を与えてくれるのだ。

この本書を読めば分かるが、著者が言いたい事は「東京を出て、地方に住もう」という単純な地域活性支援な話ではない。

単純に書いてしまえば、


「思考停止をヤメて、常識を疑ってみよう。自分の頭で考え、行動してみよう。そして、会社や行政に依存することをヤメてみよう」

という事だ。

(地域移住が成功する為のスキルの一つとして『依存をしないこと』も後半に明記されている)。

東京でも、日本でも、世界でも住みたい所に住める自由は既にそこに存在している。

あなたが選択する意思があれば、それは実現するのだ。
と言ってるのだ。

タイトルは「脱東京」だが、それは「脱洗脳」に近いとすら僕は思う。


ただ「脱東京」の方が、コンセプトが伝わりやすい。



そういう発想の中では、東京ですら「いち地域」だ。


僕は再び東京に「居住」することを選択したわけだが、かつてのような、「会社組織=給料」に依存する生活をチョイスした訳ではない。

東京という「地域」がもっと魅力的になるには「アンチコーポレーション」というか、「大企業(メジャー)至上主義」な「中央集権的」なカルチャーに対して疑問を持つ事が必須だと考えている。

大企業の存在は否定しないし、僕もその仕組みの中で社会人の大半を過ごして来た。

(恩恵も得た。さまさまです。感謝!)


かつて、大手商社や家電メーカーの本社が大阪にあった時のような、地域分散型経済社会の復権も望んでいる。


ドモホルンリンクルはずっと九州の企業であって欲しいし、ジャパネットタカタは六本木に来るべきじゃなかったし、楽天のようなIT企業が二子玉川みたいなセレブな東京郊外じゃなくて、東北とか八ヶ岳みたいな地域に広大なキャンパスを形成し、雇用をクリエイトする事が出来ていたら、もっとクールな尊敬を勝ち取っていたはず、とかも思っている。



つまり、マインドの話なのだ。



組織や行政、誰か他人(夫婦ですら)に依存して生きて行く人生ではなく、自分が自分の人生に何を望むのかを知る事。
自分が望むライフスタイルを実現させる為には、少し頭を使う事。
常識を疑う事。
環境の変化に気付く事。
そしてアクションをすること。


そういうメッセージを僕は著書からゲットした。

僕は、「脱東京」マインドを持った「東京地域人」として、この都市で暮らして行く。


何よりも、この場所で生まれ育った、愛する故郷でもある。
僕には江戸っ子の血が流れている。


あ、でもあと数年後に福岡移住とか言っていたら、ごめんなさい。


人生は先がわからないから面白いんです。

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2015年8月31日月曜日

行動すれば、やがて世界は動き出す。80年代の夏休み。

自分が行動をすれば、やがて世界は動き出す。


僕が最初にその事に気が付いたのは、16歳の夏休みだった。

きっかけは、もちろん「ナンパ」だった。

それまでの僕はどちらかというと、「ナンパ」をするタイプじゃなかった。

もちろん、女の子には興味があったし、付き合ったりした経験もあって、奥手なタイプじゃなかった。

むしろ、ダサいくらいに「クール」ぶっていたのだ。

おちゃらけて、女の子に声をかけるようなグループにいながら、自分では動かないタイプだ。

意を決した誰かが女子グループときっかけをつくる。
幾多の恥ずかしい思いを乗り越えた結果のご褒美として、女子達となんとかお知り合いになる。

その後になって、ようやっと僕は女の子が気になるような雰囲気を醸し出す事に注力するのだ。

マーケティングで言うところのポジショニングのテクを駆使して、存在感を出す事に持てる全てのエネルギーを使っていたのだ。


この作戦は結構Workして、他の男子がアホ丸出しな宴会芸をしている横で、「なんか、あなたって違うね」とか言われることになる。

僕はうそぶく。

「そんな事無いよ。オレには(ナンパしたり、宴会芸する)勇気が無いだけなんだよ。」とかほざいて、女子にこの人は硬派なんだ、彼女になったら大事にしてくれそう、みたいなことを二人に一人の確率で思わせる事に成功していたのだった。

なんということだ!!
一番最低なのは、まさにそういう男だ。

硬派を装う軟派がこの宇宙で一番信用出来ない!

もし僕に将来娘が出来たら、そういうナンチャッテな硬派なハレンチ野郎は一発で見破ってやる、とか後に考えるようになった。

20年後に生まれたのは息子だった。

ところが、16歳の夏につるんだ御ボツ(金持ちのボンボン)は僕の上を行くクール野郎だった。

当然だが二人でいても何もイベントが起こらないのだった。

貴重な10代の夏休みだってのに!

このままでは、友人の家で笑っていいとも!を見て、都営プールに泳ぎに行って、そいつの兄貴から譲り受けた何万冊もの(そう見えた)漫画を読みふけり、機密ルートからゲットしたエッチなビデオを見て夏休みが終わってしまう!

夏に若い男女が集う場所(当時はディスコとかイケてる連中が企画したパーティーだったが)で年中雑誌に載ってるようなイケメン高校生でもなんでもない、クール気取りなただの男二人なんて、面白くもなんともない存在だ。

(幸いニキビ面ではなかった。ツルんとした頬っぺたのカワイイ高校生だった。)

とにかく、彼にはまだ別荘とか、父親名義のヨットとかのネタがあったが、僕にはオヤジからもらう株主優待の映画のチケットくらいしかない。

これは、まさに「今そこにある危機」だった。

クライシスマネージメントとは、危機を回避する為にあらゆる可能性にチャンレンジすることだ。

すなわち、行動するリーダーシップのことだ。
そう主人公のジャック・ライアンは教えてくれたじゃないか。

という事で、今までの座してエサを待つ、という態度を改めた。

一向に動こうとしない友人の間抜けな横面を見ながら思った。

何かを待っていては何も状況は変わらない。
こいつには、別荘とヨットがあるが、オレには何もないじゃないか。 

そういうこともあって、僕はおちゃらけなナンパ担当としての明確な意志をもってプロジェクトに臨む事になった。


変わるのは自分だ。
イノベーションとは考えながら行動することだ。


やってみれば「ナンパ」ほど奥が深いものはなかった。
代ゼミの夏期講習よりも10代の僕にとっては勉強の場であり、修練の場になった。

何しろ、「失敗」が前提の行動に他ならないからだ。
「失敗」は「ナンパプロジェクト」においてはデフォルトだ。
化学者の実験室みたいなものだ。

僕にとっての実験室はディスコやパーティーだった。

無視、ならまだいい。
中にはハエを見るような蔑んだ眼差しを向ける女子もいる。

正直ヘコんだ。
プライドがズタズタになるとはこのことだ。

少なからず、女の子から告られた経験を持つオレがこんな目に遭うなんて。。
(小学生の時の数回と中学の時の1回だけだ。)

ナンパは効率が悪い。

世の中に「ナンパ」が好き、という女の子は皆無だ。
逆に「ナンパして〜!」みたいな女子達を僕たちは敬遠していた。
随分勝手な話だが、しょうがない。


後で聞けば、僕の別の友人達は、キレイな女の子が集まるカフェみたいなバイト先や、女子大生が読モをしてるような雑誌の雑用係みたいなバイトを戦略的に選んで夏休みを有意義なモノにしていた。

彼らは戦略的な行動家だったのだ。
当然、優れた戦略家は競合である僕らにはそういうオイシイ話を作戦実行中はシェアしない。

僕は残念ながらそこまでの戦略家ではなかった。

言うなれば歩兵だ。
前線で失敗を恐れていては、前に進む事が出来ないのだ。


失敗が前提だとしても「行動」を起こさなければ、なんの展開も望めない、そう悟った16の夏だったのだ。

失敗は当然、フィードバックして次回に活かす。
最後の方は、心理学の本まで読むようになった。

とにかく尾崎豊の「十五の夜」、みたいなストイックな感じでは何も産み出す事はない、と確信したのだった。

あれ?ちょっと待て。

本当は、広告代理店に20年勤務した僕が、何故会社を辞めてハワイで住む事を決めたのか、行動することでどう世界が変わるのか、ということを書きたかったのが「ナンパ」の話になってしまった。

せっかく書いたので、このまま続けてしまうことにしよう。

この夏の自分イノベーションの結果は目覚ましいものがあった。

幾多のミッション失敗の後、カッコつけで買った6つ穴式のスケジュール帳の電話帳欄は十数人もの女子の電話番号が並んだ。
(当時は携帯電話というツールがなく、家の電話のみだったので、女子の両親のいずれかと最初に話すと言う難所もあった)

何人かとは、個人でもグループでも遊びに行った。
80年代後半の華やかな雰囲気の中で、高校生に出来る精一杯の合コンも企画した。

ほんのり甘酸っぱい思いもした。
「笑っていいとも!」は日曜日の増刊号で見るようになった。

妙にクールぶって自分を作る事も無くなった。
青春っていいな〜オレ今ど真ん中だなぁ、とか素直に思えるようになった。



Credit: flickr Quentin Meulepas





ストリートスマート、という言葉を思い出す。

机上の空論なアカデミックな理論より、実地での経験を積み重ねる事で実践で使える知識とスキルを得る、みたいな感じだ。


結局、これも自分の「行動」の積み重ねによって、得られる自分なりの「知見」ということだと思う。

たかだか、「ナンパ」だ。
しかし、されど「ナンパ」だったのだ。

今、この歳でさすがにナンパなどしないし、したら「ど」が付く変態だ。

ただ、あの「自分で動かなければ、世界は止まったままだ」という感覚は今も心の奥底に宿っていると気が付いた。


16歳のあの夏、僕がクールぶって行動をしなかったら、愉快で痛快でそしてちょっと切ない夏休みは、きっとやってこなかっただろう。

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2015年8月4日火曜日

旅の終わりと始まり。

暑い!暑過ぎる!


予想はしていたが、これほどとは。


生粋の東京生まれ昭和歌謡育ちで、近年の酷暑を何度も経験していたのに。


カラダは優し過ぎるハワイの気候にあっという間に順応してしまっていたのだ。

ハワイを拠点として生活した2年間をひとまず終了したのだった。


東京に戻って来た。

8月の東京はもはや体中の骨が溶けるような暑さだ。

それでもハワイでは聞くことの無かった蝉の大合唱を聞くと「ああ、これがまさに夏だ」と実感する。


ハワイはエンドレスサマーで信じられないくらいに幾つもの素敵なビーチに囲まれて過ごしたが、潮の香りはあまりしない。

たかだか2年のハワイ暮らしでは、いまだに僕にとっての「夏」の感覚はこれなのだった。


このセミ騒音、もとい、蝉時雨とアジの開きが干してあって潮の香り満載な漁港が日本の夏なのだ。(いや、東京にそういう景色はあまりないが。)



ビジネスと子供の進学のリアリティ



ベースを東京に戻す決断をしたのは、5月末だった。


ビジネスをどうすべきか、子供の学校は?

ハワイでユルくなってしまった脳みそを酷使して、この先の人生を考えたのだった。

商売繁盛と子供の小学校進学というのが現時点で僕らファミリーにとっては二大プライオリティだった。

もともと、息子が小学生になる時には日本に戻ることを前提と考えていたようなロンバケ状態だったのだが、
現実的にハワイ、というか外国で暮らして行く中で、様々な選択肢を考えるようになった。


ビジネスもその日暮らしではなく、今後の色々な展開を考える必要があった。

もっと自分のスキルを活かすには、もっと大きくて、かつセグメントされた市場が必要だと実感していた。

ハワイでも出来るには違いない。
だが、もともとナマケモノの僕には、ハワイは優し過ぎる。
東京という都会の刺激もなくてはならないと良く分かった。

もちろん今は、ネットを使えば世界中どこにいてもある種の仕事は可能だ。

それでも、リアルに人と接する方が何倍も早く仕事は進行するし、信頼関係の構築も楽チンだ。

そして5歳の息子の学校だ。


ハワイのプライベートスクールへの進学、コストがほとんどかからないけどレベルの高いカリフォルニアの公立学校なんかも真剣に考えた。

LAには実際に行って、めぼしい街から街へ車を走らせて生活するイメージを浮かべたりしてみた。


マンハッタンビーチには真剣に住みたいとか思っていた。

当然、予算が全然足りない、という現実には目をつぶった上でだ。 


ハワイは人種が程よく分散している。


まさに子供の頃からダイバーシティを味わうには適した環境でもある。

とは言え、ハワイで私学に通わせるにはとんでもないお金がかかる。

高校卒業までに私立大の医学部の子供が10回以上留年するようなコストがかかる。

しかも日本語の学校とのダブルスクールとなると、とうぜんコストもダブルだ。

僕らファミリーは日本人だ。
家での会話は当然だが日本語だ。

僕も英語での会話には不自由しないが、普段の思考は当然バリバリに日本語でしている。


日本語はひらがな、カタカナ、漢字という3種の文字が存在する、という世界でも類を見ないほどトリッキーな言語だ。

そういうトリッキーな言語を息子が習得する上で日本語スクールだけに任せるのはリスクに思えた。


しかもハワイにある日本学校の場合は、土曜日に日本の学校の一週間分の勉強を詰め込むらしい。

もし、息子が僕に似て勉強嫌いだったら、ハワイは楽園ではなくて、地獄になってしまう。


そして親もそれに付き合うのだ。
無理だ。

いや、これからはグローバルな時代なので、日本語が変でも英語が出来ればいいじゃないか、みたいな考えは僕は持ち合わせてはいなかった。

僕らは移民をした訳ではなかった。

周りには、新一世というか、ハワイで骨を埋めるべく、そういう覚悟を持って移住した人達もいた。


皆、日本人の誇りを持ちながらハワイを愛していた。
そしてハワイのライフスタイルを謳歌していた。

そういう人は、親の母語と子供世代の母語が変わるかもしれないことへの覚悟を持っていた。

僕はそういう覚悟を持っていなかった。

また、ハワイに限らず海外で生活していて小さな子供がいる家庭では日本語の学習に色々苦労している人達もいた。

特に両親の片方がノンネイティブな場合は、日常の会話は英語が主体になるようだ。


分かりやすく言うとパパがアメリカ人でママが日本人みたいな場合だ。

最初は第二外国語として日本語を子供に教える。
ママは必ず日本語で話すように心がける、みたいな。

それでも高学年になると日常で必要のない「日本語」を勉強することの意味を子供自身がが見出せなくなってしまう。


モチベーションがダダ下がり、と聞いたこともある。

日本語ネイティブの方の親(まぁ、圧倒的に母親が多そうだが)が諦める、というパターンが多いみたいだった。

ウチは、双方日本人なので、家では日本語を徹底すればいいだけの話かもしれないけれど、やはりトリッキーな日本語をネイティブにするのは、環境は重要だと思ったのだ。


しかし、ここは誤解されないように書かなくてはいけない。



ハワイの親しい日本人ファミリー中でも子供がハワイ育ち、というファミリーは多い。


大きくなった子供も、米語も日本語もバッチリ完璧なバイリンガルも多いことは書いておくべきだろう。


トリッキーな日本語を敬語含めて完璧に駆使している人など沢山いる。


芸能人を見ても、長谷川潤とかスミレとか英語も完璧なら日本語も完璧でしかもセクシーでチャーミングだ。


要するに、この話はどっちが良くて悪いという話ではない。
単に、家族と言う単位での価値観の話でしかない。


そういう、自分自身の価値観とコストと言語環境と教育の中身、今後やって行きたいビジネスの展望、今後の人生のイメージ、ハワイの最高な天気とビーチ、東京の憂鬱でジメジメ感炸裂な夏、というprosとconsをグチャグチャにミキサーにかけて、ぽんと出て来た答えが「東京ベースの生活に戻ろう」というものだったのだ。

もっと言うと、ハワイは楽園過ぎるのだ。

子供がずっとそこで育ってしまうと、東京や都会にアジャスト出来ないんじゃないか、という心配もあったのだ。


僕が東京で育ったからこそ感じる外部者目線での「ハワイの価値」というのを共有出来なくなってしまうかも知れない、とか考えてしまった。

とは言え、まぁ、そういうのも人による。

ハワイ出身でLAでバリバリに都会人しながら、エグゼクティブなビジネスライフを送っている僕の元同僚のアメリカ人とかも存在する。


しかも、ここで育った少年は今や合衆国の大統領だ。

結局、親である僕らの勝手なジャッジには違いない。



この素晴らしきビーチを忘れるなよ。
そして日本にも有数のビーチが、しかも関東にもあることをこれから知るのだ!


人生のほぼ半分をハワイで過ごした5歳の息子にとってこれから日本で送る学校生活がベストであるように環境をセットアップするしかない。


というわけで、秋以降からの展開を考えた時に、ベストなタイミングというのが、はたから見たら天国から地獄へ来たのかのように思える、灼熱・酷暑の極み、な8月の東京だったのだ。


そういえば、ある外資系企業では東京に海外から赴任する際に、熱帯地方とかそういう所に赴任するのと同じような「酷暑手当」が出ると言う。



それを聞いた当時は、なんだよそれ、とか思っていたが、マジで誰かに手当してもらいたい。



身体機能が楽園仕様になってしまっていて、帰国一週間経っても毛穴が開きっ放しで、ペットボトルの水を手放すことが出来ない。

とは言え、愛する故郷の日本だ。


ライフチェンジングで行動を是とする人生の旅はこの東京でもきっと続くのであった。


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2015年7月9日木曜日

日本の夏。中年の夏。そう「恋は、遠い日の花火ではない」のだ。

伊勢丹新宿店本館のビアガーデン「夜空ノ庭」がいい感じみたいだ。

僕が尊敬して止まない先輩が経営する会社が運営しているということで、その存在を知った。

そのテーマは「和」だ。

くわしくはこちらにリンクを貼っておこう。

色んなイベントがあるようで、その中でも僕の目を引いたのは


「日本の夏、日本の恋」
というキャッチがついた「浴衣イベント」だった。




これのリンクはこっち。。

大きなお世話だが、このキャッチコピーが「日本の恋」だけだったら、全く意味不明だったろう。

この言葉の前に今までキンチョーが独占していた「日本の夏」をバシッとくっつけることで、俄然コピーとしての情緒が高まっているのだ。

夏、浴衣、和なビアガーデン、そしてほろ酔い気分。
そして、かすかな恋の予感。

まさにニッポンだ。
ニッポンの夏だ。
ニッポンの花火だ。

控えめなのに、情熱を奥底に秘めたニッポン情緒にあふれたひと夏への思いが伝わって来る。


まるで肌の露出が少ないのに色気漂う浴衣の女性のようだ。

夏のフロリダのビーチで、セクシーな女子大生達が薄いTシャツに水をかけられて「ヒーハー」「ヒャッホイ」と繰り広げられるウェットTシャツコンテスト。。


みたいなアグレッシブさからはまるで遠い。


濡れて透けた胸元を大胆に見せびらかすウェットTシャツ vs. 胸元のあわせをスッと直すしぐさが小粋な浴衣。


僕の好みは、もちろん・・・。両方だ。

そして、花火は夏の恋のメタファーだ。


儚く散る運命にあるけれど、パッと真夏の夜空にひと夏の夢を描くのだ。

きっとその恋は、成就することがあってはならない。
一瞬の幻であって欲しいのだ。

桑田圭祐が歌う夏の恋の歌も大抵「ひと夏」で終わっている。

厳しい冬をとても越えられないような、短命かつ儚く脆く、そして情熱的なものであって欲しいのだ。

だからこそ、切なく、記憶に残り、また巡って来る夏への想いが募ってくるのだ。

ところが、歳を重ね、いつしか、ひと夏の恋は、遠い過去のイベントとなる。

そして思うのだ。
「あの頃は良かった」と。


この「日本の夏、日本の恋」そして「夜空ノ庭」というひと夏のイベントを聞いた時、僕が思い出したのはひとつの秀逸なコピーだった。



「恋は、遠い日の花火ではない。」


Credit: サントリー オールド広告ライブラリー


サントリーオールドの20年も前のCMの名コピーだ。


小野田隆雄氏という広告界の大御所であり希代の名コピーライターのコピー。


告白すると、当時20代前半だった僕には全くもって意味の分からない物だった。

このコピーは当時もかなり話題になった。


支持したのは、当時50代手前の団塊の世代の人達だったと思う。


彼らが商品のターゲットでもあった。

CM自体も、中年の星、長塚京三さんが出演し、20代の女性から想いを寄せられる設定だった。

さっき、僕には意味が分からなかった、と書いた。

正直に言おう。

「中年のオッサンの夢と幻想」を描いた下らないコピーだと実は感じていたのだった。


若いオネエちゃんから想いを寄せられる中年なんて、幻想以外なんでもないじゃないか!

くたびれたオッサンならオッサンらしく、今の現実を生きてくれ。


いつまでも若いつもりでいながら、俺たち20代の前でオールドを飲みながら説教、自慢話をしないでくれ、とか思っていたのだ。

ところが、自分も50代まであと数年という所まで来て、20年以上も前に見たこの広告のコピーを思い出してしまったのだ。


そしていかに素晴らしい名コピーだったのかやっと理解することが出来たのだった。

40代から50代というのは世間的にはミドルエージクライシス、中年の危機に陥るお年頃だ。


全然若くもないが、リタイヤするほどジイさん、バアさんにもなってない。

かと言って、やみくもに自分の夢や可能性だけを信じて突っ走るのは現実に抱えている物が多過ぎる。

そして、今や自分が何者であるか。
もっと言えば何者でも「無い」というリアリティに気付いてしまった年齢でもある。

それでも、毎日を生きなくてはならない。
せっかく生きるのならポジティブに生きたほうが断然いい。

そういう時に「恋は、遠い日の花火ではない。」は響きまくる。

若き日々に感じたパッションは、決して遠い過去の物ではない。
今、もう一度燃え上がらせることが出来るものなんだ。

そうこのコピーは教えてくれている。


自分の中に、もう一度感じるかすかな灯火。

そのかすかな灯火が、あなたの情熱の炎を再燃させるのかも知れない。

その気配を少しでも感じてみよう。
自分の中の情熱を。
花火のような情熱を。

若かりし日々に一度でも自分の中に「花火」を見たことがあるのなら、ミドルエイジになって見る「花火」の性質はきっとあの頃と違う物だろう。


それが、仮に幻想めいたものであっても、それがどうした!


自分が「何者でも無い」なんて本当か?

あなたは、30年、40年、50年生きて来た自分自身のストーリーを持っているはずだ。

そっちが本当のリアリティだ。


「オレは、ワタシは、他の誰でも無い、自分自身なんだ!
自分の中には、まだ情熱の炎が燃えている」と気付くのは素敵なことだ。

そして、満足げに冷えたビールで喉を潤すのは至福の時間だ。

とここまで書いて、サイトを見てみたら、このビアガーデン、ビールの提供は何とサッポロビールだった!


とういうか、ほとんどサントリーの回し者みたくなってしまった。

サッポロさん、すみません!(汗)
ここはフェアに、サッポロの名コピーで終わりにするとしよう。

そうです、この夏「男は黙ってサッポロビール!」

皆様、よい夏をお過ごし下さい!


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