Koy's blog

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2015年10月19日月曜日

憧れだったヒーローの年齢を自分が越えた時。

誰だって才能を持っている。
それを発見するまで、いかに行動するかが大事なんだ。
(by 希代のフィルムメイカー、ジョージ・ルーカス)

Everybody has a talent, it's just a matter of moving around until you've discovered what it is.
by George Lucas


40代後半、というのは微妙な年代だ。


最近ちょっと近くの文字が読みづらくなったな、とか思っても、まだカラダ的な衰えを強烈に感じる年齢でもない。

年齢と言うのは、もの凄く相対的なものだ。

少年だった頃に、想像も出来ないくらいにオッサンだったような年齢に達しても、普段の生活で自分で実感する機会はそう多くない。
(若手とカラオケとかに行くと世代間ギャップは感じるが。。)


同年代の友人とかを見ても、お世辞とか錯覚ではなくて、実感として「(20代から)変わってない・・・。」とかマジに思う。

もちろん、「相対的」なので、20代の友人達からみたら、きっとオッサンはオッサンなんだろう。

あくまでも「主観的」に、自分が思っていたようなジジイになっていない。

ジジイの感覚がない、というのはいいニュースに思える。

まだ夢見る青年のようなモラトリアムな感覚が忘れられずに、それが行動にも出てしまうことがある。



何となく、不確かだけど、でも明るい未来が待っている、みたいな「無責任」な楽観的な思考だ。


バブル期に10代を過ごしたのも、そういう思考を潜在的に持っている理由でもあるだろう。

世の中ではアンチエイジが話題になり、40代でも生活臭のしない若々しい俳優や女優、タレントが人気だ。


きっと、それは良い事だ。

それでも、最近の僕は考えてしまう。
たまには、加齢をネガティブに考えて自分のケツに火をつけてみよう、というのが今回のブログコンセプトだ。

下の数字。。

22
38
27

33
36

つまり、こういう事だ。



22歳の時にジョブスはAppleを創業した。


38歳の時、オフクロ世代のヒーロー、石原裕次郎は「太陽にほえろ」の「ボス」だった。


SMAPの香取慎吾クンが今38歳だ。
彼は才能あるタレントだが、石原裕次郎と同じ存在感でボスを演じられるとは思えない。

27歳の秋元康はおニャン子クラブをプロデュースした。

今の業界で27歳はまだヒヨッコ扱いされる。
いかに秋元氏に才能があったとは言え、当時の業界はまだまだ若かった。



そして、僕にとってのスーパーヒーローはスピルバーグとルーカスだ。


33歳でジョージ・ルーカスはスターウォーズを世に出した。

36歳の時、既にハリウッドで成功者だったスティーブン・スピルバーグは世界興行歴代1位(当時)、SF映画の金字塔となる「E.T.」を公開した。


ジョーズの時は何と29歳だった!
80年代の映画少年にとっては永遠のヒーローだ。
Credit: businessinsider.com


この二人が映画界に登場した70年代。

そしてハリウッド映画界はそのイベントを基点に、全く変わってしまった。
業界のあり方を変えて、後に続く若い才能にとってのスタンダードになってしまった。

彼らは20代〜30代だったのだ。

僕は軽いショックを受ける。


当時10代だった僕にとっては彼らは憧れで、ずっと追いかける存在だった。

僕にとってスーパーヒーローは常に年上だった。

彼らから、強烈なインスピレーションをもらってきた。
人生の中のちょっとしたつまづき、悩ましい出来事。

それらを切り抜ける為に彼らから、多くの気づき、そして助けをもらっていた。

そして、気が付けば僕はとっくに彼らが何かを成し遂げた年齢を越えててしまったのだ。



このテーマには大きなインスピレーションが二つある。


一つは、

「若者よ、特に20代30代達よ、古いオールドスクールな秩序に気遣いなんか一切必要ない!
先駆者や反逆者は常に自分達で『基準』を創り出して来たのだ」
ということ。

そして、もう一つは

「中年よ、焦るんだ!いつまでも自分が若いと思うな。もうお前はとっくにスーパースターがスーパースターになり得た年齢を超えているのだ。今、アクションするんだ。」
という感じだ。


ある著名なアメリカのコラムニストは言った。


アメリカ人にとって「米国大統領」はそのまま「父性」の代名詞だと。


大統領とは常に自分より年上の存在であったのだ。


そして、自分の年齢より若い46歳の「ビル・クリントン」が大統領となり宣誓をした時の感慨深さをコラムに書いていた。


人は誰しも歳を取る。



毎日の暮らしの中で「突然に衰える」ということは、滅多に無い。

だから、自分が歳を取って、いつか衰え、そしてこの世からいなくなる、ということをきっとギリギリまで気が付かない。


いや、気が付きたくないのだ。


精神的にも、肉体的にも「若くあろう」というのは、正否で言えばきっと正しい。


しょぼくれて、辛気くさいことをほざいて周りからヒンシュクを買うのはダサい。


若々しいことは、きっと無条件に良い事なのだ。

マクドナルドのレイ・クロックやKFCのカーネル・サンダースが晩年に近い頃に創業し、そして成功したという話は、中高年に感銘を与える。

まだまだ、オレは、ワタシは若い。まだまだこれからだと思える。

しかし、それを一服の清涼剤のように感じるだけでは、どうしようもない。


それは神話だからだ。

彼らだって、わざわざ年取ってから何かをしようと行動していた訳ではないだろう。


人生は有限だ。


確かに何かをするのに、年齢も関係ないし、遅過ぎる、ということは決して無い。

それでも、もし自分がまだ「若い」と感じていて「時の有限性」に気が付かないのであれば、自分のケツに火をつけるべきだ。

自分の人生を確信を持って生きる為に、行動するのはきっと「今」だ。



敢えて言おう。

あなたがもし40歳を越えているのなら、あなたはあなたが思うほど、年取ってはいないが、若くもないんだ。

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