Koy's blog

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2014年10月19日日曜日

ハリケーンな週末の昼下がり。子育てにも自分なりのルールを設けようと決心した。

ANAという航空会社みたいな名前を付けられたハリケーン(レベルとしてはトロピカルストーム=強度な熱帯性低気圧)がオアフ島に接近しているので、せっかくの土曜も時折激しい風が舞う雨の一日となった。
住んでいるコンドのエレベーター貼られた、ハリケーンへの注意喚起

こういう日は、運命に逆らわず、大人しく家に引きこもってるのが一番。

独身なら例えばKindleに溜め込んだ新刊を適当にチョイスしてビールを片っ端から空けて読書三昧も出来るんだろうけど。。

そうボクには同じ様に週末の休みを心待ちにしている5歳のやんちゃ坊主がいる。

妻は一日仕事に出てるので、この愛すべきやんちゃ坊主とマンツーマンで終日対峙する事になる。

こうやって息子との時間が圧倒的に増える前までのボクは、家にほとんど帰らない平日の贖罪の意味を込めて、半ば義務感のように週末を息子と過ごしていた。

しかも、ボクの中での優先順位は独身の頃のそれを引きずっていて、本当はxxxをしたいけど、仕方なく子供と過ごしている、みたいなニュアンスが無意識にあったような気がする。

息子と過ごす時間は確かに楽しい。それでも、自分のしたい事もきっちりクールにこなす、みたいなのもクールだと思っていた。

で、ふと思う。
自分のしたい事って何だ?

子供が「パパ、遊ぼ!」なんて無邪気に言ってくれるのは多分今しかないぞ。

オレの最優先事項はKindleにダウンロードした「よく分かるフリーランスのファイナンス」みたいな本を読む事じゃなくて、今この瞬間の感情を最も優先して生きてる息子とガチンコで遊ぶことじゃないか?

「ちょっと一人で遊べるだろう?ほらお絵描きして」とか言うより、「よし、何して遊ぶかっ!?」って言う方が「自分のしたい事」なんじゃないのか?

ここである法則を思い出した。
「クリエイティブになるには、一定の縛りを設ける方がよりクリエイティブな発想が出来る」というやつだ。

自由を与えられるほど人間は逆に普段の自分の思考のリミットを超えられないというお約束のテーゼだ。

子育ても同じだ。
自分の中にルールという縛りがないと、結局「なんちゃってイクメン」なしょぼい自分のまま子供に影響を与えてしまう事になる。

そこで、
  1. 子供が「遊ぼ!」と来たらチェーン居酒屋の店員よろしく「喜んで~!」と最優先する。
  2. 子供が「遊ぼ!」と来たら本気で遊ぶ。マジで遊ぶ。
という縛りを設定した。

いつか子供が遊ぼと言って来た時に、「これ読んだら」と読みかけの雑誌を鼻先に掲げたら全身の力を振り絞ってその雑誌にアタックしてきた。

当然、ボクは怒り、息子は激しく泣き、互いに後味の悪い時間を過ごしたことがある。

なので、「今この瞬間を精一杯生きている」子供には「後で」の概念はないと理解し、是が非でもなく優先して彼に付き合う事に決めた。

いつか子供とレゴで遊びながら、片手でiPhoneをいじくっていた時、子供はそのiPhoneにアタックしてきた。

当然、ボクは怒り、息子は激しく泣き、互いに後味の悪い時間を過ごしたことがある。

なので、子供は大人の適当さを完璧に見破る事が出来る、どうせ遊ぶならばトコトンまで付き合うべし、と腹に決めた。

遊んであげる、のではない、こっちも対等にウルトラマンフィギュアで闘うし、真剣にミニカーでの決死のチェイスをし、レゴで見た事の無いヘンチクリンな乗り物を創造をするのだ。
ロボットのバッタのような奇妙な乗り物が完成
大人がマジで遊ぶときの必需品であるビールは無論忘れずに。


このミッションをマジで遂行した結果、息子は非常に満足したようだった。
おかげで、こっから先は自分で遊ぶ、ということでゆっくりKindleを堪能する時間が持てたのでした。



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