勢いあまって、文科省のサイトを見てみたりしてたのですが、「国際化」が、とか「国際人が」とか、「教科が」とか、これ子供の英語嫌いの量産計画にしか思えないな〜。
ボクが子供だったらきっとゲンナリします。多分。だって、国語の勉強だってしなきゃならないのに、「外国語」を勉強しなきゃならないなんて、酷過ぎる。。
他のサイトも結構「勉学」というか、子供を教育する上で「英語がかかせない」ので、なんとか「教えよう」としている感じがほとんど。
自分の子供に英語を話せる様になってもらいたい、という親御さんが多いのはネットで見ていてもわかるし、すごいパッションも感じます。
これはボク個人の経験に過ぎないので、もしかしたら特殊なケースかもしれませんが、
親からの押しつけや、学校の教科書がきっかけでその教科が好きになった事はありません。先生がきっかけで、っていうのもありません。
学校の外で興味を持った事が、結果として学校の勉強につながることが多かった気がします。
小3の時に親父に連れて行かれた本屋で買ってもらった「江戸川乱歩の少年探偵団」。
この本をきっかけにボクは本の虫となり、国語の成績は急上昇。
気が付けば児童向け世界文学全集は全て読破していました。
そして、その流れは途切れる事が無く、ニュートンやエジソン等の伝記物に走れば理科の授業の成績も上がる。(数学の伝記物は読まなかったので、算数はずっど苦手でしたが)。
英語の話に戻すと、前のポストでも書いた通り、特に言語は絶対に勉強してはいけない、というのがボクの持論です。
あくまでも「言語」はツールとして親しんだ方が絶対身になると思うから。
子供にとって一番の関心事は遊び。遊ぶ為に英語を使う、というシチュエーションをセットしてあげればいいと考えているのです。
確かに「勉強」として詰め込めば「点数」は良くなるかもしれない。
でもそれって全然楽しくないし、一定の(多分英語に関しては多数の)落ちこぼれは必ず出ます。ボクも学校の英語の成績は散々でした。
ボクは、世界の共通言語は「英語」になってしまっていると思うので、「英語」を話せる事が個人のチャンスや可能性の広がりに寄与することは間違いの無い事実だと思っています。
ボクも英語のスキルがなければ、今何をやっているかの想像すらつかないくらいです。
だから、「英語」が必須となる社会というのは理解出来ます。
でも、日本は日常の生活レベルで英語はほとんど必要ありません。
となると、やはり勉強だけが、英語習得の手段なのでしょうか?
ボクはそうは思いません。
確かに勉強の行為そのものが好きだ。という子供は存在していて、特に勉強としての英語が得意で、それが高じて外交官になりました、っていう人もいるでしょう。
でもそういうエリートは一部。
多くのちびっ子は、そんなに勉強が好きじゃないはず。
なので、例えば、まだ就学前の子供だったら、好きな絵本がたまたま英語だった、という状況を作ってあげる。ストーリーに興味がなくては、苦行になってしまいます。
そして一緒に読み聞かせをしてあげる。親の発音が悪くてもそんなのは気にせずに突っ走る。
野球に興味がある小学生だったらメジャーリーグの野球を英語の実況で観戦する。
あくまで英語は手段で目的を別におかないと、言語は身に付く事はないと思うのです。
ボクの同級生でも英語授業では圧倒的な成績を修める歩く単語帳みたいなヤツがいました。
でも、彼は英語でコミュニケーションが取れません。
ボクの息子はハワイの保育園に通っていますが、気が合う友達のダニエル君とコミュニケーションを取る為に英語が上達して来ています。
家では普通に日本語です。それでも好きなテレビ番組は全部英語放送なので、英語で観て笑っています。ボクは無理に英語を話させようとは思っていません。
それいいのです。
ボクが学校の勉強が心の底から嫌いだったので、こう考えている部分もありますので、万人に通用するとは思っていませんが、道具、目的の為のツールとして英語を捉える事が、英語習得への一番の近道です。
そして、ママやパパがその環境を作ってあげる事。
それが大事だと思う。
これから「熱く」なってくる日本の英語教育で挫折する子供が増えない事を祈りながら、今日のブログを終わりにします。
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