モンスターという凄まじい映画があった。
シャリーズ・セロンが13kgも体重を増やしてクリスチャン・ディオールの広告に出ている姿とは正反対な体当たり演技をしていることでも有名で、
もう10年以上前の映画をなぜ今思い出したのかと言えば、サンフランシスコで起業している30代の友人が同い年くらいのホームレスについてフェイスブックで投稿したからだ。
彼はそのホームレスがそういう境遇にいるのは自業自得かもしれないが、きっとどうしようもないくらい後悔しているかもしれなくて、それでも更生施設にはいかず、彼が恵んであげた2ドルもきっとドラッグに姿を変えてしまうだろう、みたいな事を書いていた。
人間が産まれてから死ぬまで、生きて行く間に起こる事は「選択」と「行動」の「結果」でしかない。
そのモンスターという映画の主人公は、実在の女性がモデルでフロリダで売春で生計を立てている。
彼女は、ある少女のような女性と出会うことで、同性愛的な感情に目覚め、なんとか更生しようと真っ当な職を探す。
何のスキルも、世間的な常識すらない彼女は当然の事ながら、どこの職場でも門前払いに近い形でリジェクトをされてしまう。
自分の人生そのものをリジェクトされたと感じる彼女は、毎晩彼女の売春の客となる男を殺して行く。彼女をリジェクトする社会への復讐にように。
というようなストーリーだったと思う。
あまりにも衝撃的で考えさせられる映画だったので、観賞後にAmazonのレビューでも同じようなことを書いたのだが、
彼女や、友人のフェイスブックにあったような若いホームレスというのは、恐らく常に「選択」を間違えて来たのだ。
そして、例えば社会から拒絶をされた時に、社会が「自分自身」を拒絶したのだと考え絶望してしまう。
結果として、悪魔のスパイラルにハマってしまい、生涯社会を恨んで生きて行く事になってしまう。
恐らく社会が「拒絶」したのは、スキルのない部分だったり、汚い身なりだったり、喋り方だったり、少なくとも「自分の全て」を拒絶したわけではないはずだ。
だから、次の行動に至る時に必ず「選択」の余地があったはずなのだ。
スキルがないなら、まずスキルが必要のない職は無いのか?そこで低賃金で働きながらスキル獲得の為の学校に通う。
シャワーを浴びて、小奇麗にしてから出かけてみる。
喋り方が上手い人間をモデルに話し方のトレーニングをしてみる。
そうやって「選択」をしたらなら次は「行動」を起こす。
それだけで、随分と人生は好転するものだと思う。
これらのストーリーの主人公達は、「拒絶」を真っ正面から受け過ぎてしまい、自分には「売春」「ドラッグ」しかチョイスがないのだと思い込んでしまう。
生きて行く以上は、どうしても不愉快で困難な障害というのは必ず訪れる。
その時に、あたかもそれが絶対的で運命的な避ける事の出来ない事だと思うのは止めにしよう。
必ず、そこには「選択」の余地と「行動」のチャンスがあるはずなのである。
自分の子供に対しても、「これをしなさい」「あれをしなさい」と命令調で行動を促す事は自重しようと考えている。
何かをしなくてはならない時、その為にはどういう行動が必要なのか、他に行動の選択肢は無いのか、そういうことを自分の頭で考えられる人間なって欲しいと思うから。
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