Koy's blog

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ラベル なんちゃってイクメンの行動論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2018年11月27日火曜日

ブログ再開ダァ!


長らく休止していたブログを再開しようと思う。

そもそもブログを始めたきっかけは、20年広告マンとして働いたキャリアを文字通りゴミ箱に投げ入れ、
そしてハワイに移住したことがきっかけだった。

ハワイに関して何かを書けば、きっと「跳ねる」だろう。だって日本人ハワイ好きじゃん?みたいなヨコシマな考えがベースにあったのは言うまでもない。

ところが、いざ書こうと思っても「今日はどこそこのパンケーキを食べました!」とか「お気に入りのほにゃららビーチ。心が洗われていくよう❤️」みたいなことを自分は書けないことに気がついた。

それであれば、「そうだ、そもそも会社を辞めたのは子供過ごす時間を究極的に増やすことだ。ならばイクメンな俺の日常をたんまし書いていこう」というもので、だからこのブログのURLにはその名残である「Dont call me Ikuman:イクメンと呼ばないで」となってしまっている。

当然、そのトピックも下書きを残し公開されることはなかった。

そもそも読み手は誰か?
そういう基本的なことを設定しなければ、元広告マンであった僕には何も書くことができないのだった。

そこで、ハワイも子育てもこれから書くブログに時々登場するいちコンテンツにしようと考えた。

テーマは中年の危機を迎えたどこにでもいるような一人の男の「チャレンジとあがきと人生をどう肯定して生きていくか、そのために必要なクリエイティビティとは何かを模索する」、というものになった。

キーボードを叩く、そのモニターの向こう側には、同じような年代の男女がいて、長いのか短いのかわからない人生のど真ん中で、それでもまだまだ残りの半分の人生を生きていくのだ、と考えている人たちをイメージしながら書いていた。

その思いは、今でも変わってはいない。

ただ異なるのは、ハワイでの生活からまた東京にベースを戻しているということだ。
そして、形を変え、また広告の世界に戻っているということだ。

なんとか中年の危機を乗り越えた僕は、新たなチャレンジを受け入れる決心をして、現在に至っている。

40にして惑わず、と言ったのは実はその年齢が大いに惑ってオロオロしてしまうからこそ賢者がそのように言ったのだと確信している。

人は人生に諦めなければ、迷いの連続であり、戸惑いの連続なんだということも知った。

そういうことを書いて行きます。

2016年5月5日木曜日

絶対に失敗できない職業

「挑戦者に失敗はつきもの。」

「クリエイティビティを発揮するには、頭で考えるよりまず行動。失敗するのは当たり前くらいに考える。
失敗してこそ、前に進める。」

ベンチャー、特にテック系やクリエイティブ系では失敗は当たり前、臆して行動しないのは悪。
そういう風潮が顕著だ。

で、僕も同感。

試してみる。
こける。
それがどうした。
人目なんて気にするな。

これほどの名言はなくて、今でもiPhoneの待ち受け画面っす。
エスクアイアの2014年10月号カバー

そんで、また立ち上がってやってみる。

個人的にそういう考え方は大好きだし、行動を前提としない知識は無用だ。


知的好奇心を満足させるだけの趣味なら別なんだけど。



なんだけど、一方で。。。


先日、友人の脳外科医が監修を務めるプロジェクトに(微力ながら)ちょっとしたパートをお手伝いした。

脳外科医として、日頃接する患者さんに対してより良い健康のためのアイデアを具現化するプロジェクト。


友人の思いと志は熱く、話してる周りの温度は確実に上がっていた。
話を聞いてる僕自身、相当インスパイアされるものだった。

彼と話した後、愕然とした。


ドクターというのは半端ない職業だ、
と改めて恐れ入ってしまったのです。
恐縮の極み、とはこのことだ。

僕は、救急病院に担ぎ込まれ九死に一生を得た経験を持っている。



言わずと知れた、米国のTVドラマの方向性を変えてしまった不朽の名作


まさに人生が変わるThe moment of truth、真実の瞬間、ってやつだ。

僕はその経験がベースとなって、今までの人生を考え直し、会社まで勢いで辞めてしまい、家族でハワイに住んじまえ!みたいな決心をしたのだ。

僕の命を救ってくれた某大病院のドクター達とナース達は、紛れもなく僕にとっての神だ。


その病院のそばを通る時の僕は人目をはばからず、手を合わせてお参りをする。酔ってる時は手をパンパンする。


一種の神社だ。もはや宗教だ。彼らは神々なのだ。

僕にとっては、一生に数回あるかないか(数回もあって欲しくない)の経験だ。


でも、よく考えてみれば、
ドクターやナースは毎日そういう九死に一生を得る、もしくは残念ながらこの世を去る人たちと接しているのだ。



絶対に失敗できない職業


僕の友人に話を戻してみよう。

彼は「脳外科医」だ。


つまり、脳に疾患がある患者さんの脳にメスを入れる仕事をしてるのだ。


僕みたいな一般人にとっては非現実的すぎる世界の住人なんだ。


とんでもないフィクションでしかない世界に彼らはリアルで生きているのだ。

そして、日々患者さんのことを考えている。


急患が出れば休みでも病院にトム&ジェリーみたいに足を高速回転させて駆け戻るのだ。

何より重要なことは、彼らの仕事に「失敗」は許されない、ということだ。

「あ、やっちゃった」「あ、それは想定してなかったなぁ」とかが許される現場ではないのだ。

ドクターじゃない僕は、一所懸命に想像してみる。
その半端ない現場感を!

臨場感を感じて見よう!

もし、僕がまかり間違って医師国家試験に通るような明晰な頭脳を持っていて、エベレストよりも高い志で「脳外科医」になったとしよう。


(いや、どう考えてもその仮定には無理がある。
俺は自分を知っているのだ。1%も可能性はない。)


だが、あえて考えてみよう。

僕は耐えられるか?

毎日、毎時、毎秒が真剣勝負の世界を。

無理だ!マジに。。。。

野球の世界を例によく言われる。
あのイチローだって、10割バッターじゃない。
7割はアウトになってるんだと。

だから空振りを恐れるな、と。

正しい、はずだ。

だけど、ちょっと待って欲しい。

ほとんど、10割を期待される世界に生きている人たちが世の中に存在しているんだってことを。



不謹慎だが、僕は失敗を許される世界に生きていて良かった、と心から思う。

彼らに比べたら、僕らが恐れる失敗なんて屁だ。



敢えて、こう思う。

世間には完璧を求められ、失敗が許されない世界に住んでいる人がいる。

どこかで気が緩みそうになったら。


世界でたった今、人の命を救おうと奮闘しているドクター達を思い出そう。

僕だったら友人の脳外科医を思い出そう。

命を救ってくれたドクターとナースを思い出そう。

そして、自分が今勝負している世界なんて、子供だましだ。そこで、完璧を目指さないででどうする!と自分を鼓舞しよう。

ドクター達よ、ありがとう!
助けてもらったこの命を存分に活かすように、日々精進します!



2016年1月7日木曜日

あなたは自分がクリエイティブである為に、偉大な先人にノーと言えるか?

ディズニーランドはずっと未完成のままだ。
世の中にに想像力がある限り、成長し続けるのだ。

Disneyland will never be completed. 
It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.

by ウォルト・ディズニー


ルーカス、「フォースの覚醒」をディスる。



スター・ウォーズの生みの親であり、希代のクリエイターであり、インディペンデントな企業家でもあるジョージ・ルーカス。

彼が絶賛公開中の「フォースの覚醒」をディスる発言をしているインタビュー動画(15年末)を見た。


インタビューを受けるルーカス(出典:Variety.comより)


ルーカスがイメージしていた新しいスター・ウォーズの物語とは相当ギャップがあったのだろう。

彼は、(その後撤回したが)ディズニーに自身の会社「ルーカスフィルム」すなわち「スター・ウォーズ」を売ってしまったことを、「売春奴隷業者」に売り渡してしまったというかなり過激な発言をしていた。

興味がある人は是非動画を見ていただきたいが(全編英語字幕無し)、インタビュー自体は終始穏やかな雰囲気なので、こうして発言だけを文字にして感じるのと実際の発言はニュアンスが異なるもの事実だ。

それでも、世界で記録的な興行を続ける新作に不満足なのが感じられる。

日本語の記事が無いか検索したら、あった。

以下引用。(The Huffington Postより

  • 70歳近くなり、今後の人生について考えていた。(約30年ぶりに)再婚して娘もでき、映画芸術についての博物館を建てる計画も進めている。今後撮りたい実験映画もある。人生の転換期を迎えた感があった。
  • しかし最近の数作品には非常にコストがかかってしまい、従業員にも会社にも申し訳ないと思い、スター・ウォーズの新作に取り掛かろうと考えた。
  • 新作の製作については、当時ルーカスフィルムで共同会長を務めていたプロデューサーのキャスリーン・ケネディにある程度は引き継いで、(監督・脚本・製作すべてを務めたエピソードI〜IIIと比較すれば)やや引いた立場で関わる計画だった。ストーリーを考え、その体制で脚本作業などを進めていた。
  • 同時に、将来的な引退についてディズニーのCEOであるロバート・アイガーに相談していたところ、もし本当に会社を売却する気があるのならぜひ買い取りたいと提案され、ルーカスフィルムごと引き渡す交渉が始まった。
  • ディズニーへ会社ごと任せる判断をしたが、すでにストーリーの案はあり脚本作業も進行していたことから、エピソードVやVI(『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』)で他人に監督を任せたように、総指揮のような形で制作する方向だった。
  • しかし、数週間でこれは無理だと気づいた。現場で監督を助けたりあれこれ指示を出したりするのは、自分で監督するよりよほど大変だった。
  • また、映画の方向性についてもディズニーと相違があった。自分は何よりも物語を重視して、父と息子の問題、祖父や、世代について描くつもりだった。スター・ウォーズは、結局のところ家族ドラマ(ソープオペラ)。スター・ウォーズはよくスペースオペラと言われるが、本質は家族の物語。ソープオペラであって、宇宙船がどうこうではない。しかし、ディズニーが求めたのは「ファンのための映画」だった。
  • ストーリーも拒絶され、このまま関わっていては自分がトラブルの原因にしかならないと思い、身を引いて道を分かつことにした。ディズニーもさほど熱心に関わってくれという態度ではなかった。

引用ここまで。


ルーカスはスター・ウォーズを世に出してから、ほとんど「職業映画監督」としてのキャリアを終了してしまった。

同世代の盟友スピルバーグが様々な映画を撮っているのと正反対だ。

彼は監督と言うよりビジネスマンになってしまったのだ、という話は映画ファンの間でよく交わされるトピックだ。

スター・ウォーズが彼にもたらした利益は天文学的だ。

映画のキャラをマーチャンダイズしたり、スピンオフの物語(ノベライズやアニメやゲームなど)を出して行くビジネスモデルはハリウッドではスター・ウォーズが最初だ。(日本は結構昔からヒーローモノのメディアミックスやクロスマーチャンダイジングの手法は存在していた。)

そして、エピソード3「シスの復讐」の公開がされた時点で「もうスター・ウォーズは作らない」と宣言してしまった。

ルーカスとはスター・ウォーズのことであり、そのストーリーは彼個人の所有物だと宣言されたのだった。

僕らはショックを受けた。

だからディズニーが彼の会社を買収して、新たなエピソードを作ると宣言した時に、往年のファンは小躍りして喜んだのだ。

僕はスター・ウォーズに関しては「無条件降伏」をしているファンなので、評判の悪いエピソード1〜3も好きだ。

それでも、これが20年近く待ち望んだ「新3部作」なのか、という落胆の気持ちが無かった、と言えば嘘になる。(この時点で「無条件」じゃないじゃん。。)

今回、作品がルーカスの手を離れ、現代におけるトップレベルの映画監督であるJJエイブラムスが監督をすると聞いた時は、「Yes!」とガッツポーズをしたくらいだ。

彼は今までミッション・インポッシブル、スター・トレックと大作の続編を見事に成功させているからだ。

ルーカスは僕のヒーローだが、映画監督としては全く信用していない自分をその時に再確認してしまったのだ。

ルーカスは実際に「ルーカスフィルム」を売却する際に、その価値を上げようとして新しいエピソードのアイデア作りに着手したという話もある。

だが、新しくルーカスフィルムのトップになった敏腕プロデューサーのキャスリン・ケネディはそのプロット(ストーリーの原案)を却下した。

(彼女は長年スピルバーグの片腕だった女性だ。レイダースではルーカスとも仕事をしているし、旧知の関係だ。)

そして、監督に指名したJJエイブラムスとルーカスフィルムのデベロップメントチームとプロット作成に入るのだ。

ルーカスは完全に蚊帳の外だ。


そして、ルーカスは身を引き、その後のインタビューで愚痴をこぼすのだ。

「彼ら(新しいルーカスフィルムの経営陣と監督JJエイブラムス)は懐古趣味なスター・ウォーズを作りたがった。
僕は、常に新しいモノを作りたがったが、彼らは違った」みたいな発言をするに至るのだ。


僕はここにハリウッドや米国のクリエイティブ業界の底力があると痛感するのだ。



ルーカスが今回の監督のJJエイブラムスやほとんどのスタッッフからとてつもないリスペクトを受けている事は間違いが無い。

しかし、人物を「絶対視」せず「神格化」することはないのだ。

日本で言うと、例えばジブリをどこかの映画会社が買収して、宮崎駿氏にプロットを考えさせて、結局社長が「却下」するのをあまり想像が出来ない。

日本では(特に年齢の高い)一流のクリエイターは神格化されるケースが多い。

日本の場合は、芸人さんとかもそうかもしれない。
漫才や落語(最近ではひな壇芸人も)といったエンタメも非常にクリエイティブな世界だが、老練な先達を「兄さん、姐さん」「師匠」と呼んで、神格化する風潮がある。

(その昔、吉本興業はヤスキヨのやすし師匠を解雇したが、それは「芸」の内容ではなく、刑事事件を起こしたからだ。)

そうして、彼らを前に誰も「No」と言えない空気が充満するのだ。

そもそも、ディズニー自体が、ウォルト・ディズニーという個人を神格化せず、その「コンセプト」だけを大事にしながら、巨大なエンタメ企業として成長しているのはそういう意識が背景に存在しているからだ。


リスペクトしても神格化せず。



それが、クリエイティブなビジネスを発展させるキーワードだ。

Appleもクリエイティブな企業だ。
ジョブス亡き後のブランディングは困難な道に思えるが、なんとか踏ん張って「神格化=絶対視」への道を回避しているように思える。

日本の(多くの)場合は、カリスマが去った後には何も残らない。


虫プロも手塚治虫という偉大なクリエイターが去った後は細々と権利管理をしているだけの印象だ。

ウルトラマンの円谷プロも。黒沢監督の黒沢プロも。
そして宮崎氏が去った後のジブリも、そうなってしまうかもしれない。

ジャニー喜多川氏が去った後のジャニーズ王国はどうなるだろうか?
今や破竹の勢いがあるエグザイルのLDHもカリスマなHIROさんが引退した後どうなるのだろうか?(ってか大きなお世話だ!)

クリエイティブな仕事をしようと思ったら、過去の偉大なクリエイターを尊敬し、彼らから学ぶ事は大事だ。

しかし、その人物を必要以上に崇める事は危険だ。
萎縮し、自分のクリエイティビティを発揮することが困難になる場合があるからだ。

必要であれば、キャスリーン・ケネディやJJエイブラムスのように、偉大なるルーカスのアイデアを一蹴するような気概が必須となる。

今そこに存在するものは全て多くの人間の英知によって創造された偉大なストーリーを持っている。

しかし、常に「未完成」であることを忘れてはいけない。

そしてそれを「新たに発展させるのは自分である」、と信じる事が重要なのだ。

長文お付き合いいただき感謝です。
それでは、2016年が皆様にとって素晴らしくクリエイティブな年になりますように!!!




2015年6月2日火曜日

過去を振り返る。それも数年じゃない。5万年だ!

現状に行き詰まりを感じたら、過去を振り返ろう。


数年前、とか言うチンケな話じゃない。

そう、5万年前だ!

5万年前に始まった、人類の偉大なる旅の物語に思いを馳せてみよう、というお話だ。


実は、二年前に飛行機の中で読もうと買った本を、こないだの日曜にやっとこさ読んだ。

二年前の機内で、ページをめくりながらビールを数杯飲んだ。

そして、あえなく撃沈されたのだ。

ヒトゲノムとか、ミトコンドリアとか、なんちゃら解析とかの言葉の前にバッチリ寝落ちしてしまった。。


機内で気楽に読むような本じゃなかった。


気が付いたら飛行機は着陸態勢に入っていた。
空気圧の変化で耳が痛くなって目が覚めた。

分厚いし、クラスターU5とかサン族とヘレト族の紛争とか対立遺伝子みたいな記述のオンパレードで、これは日本語なのか?みたいな感じだった。


なので、いっそのこと、処分してしまおうか考えていたのだ。

で、日曜日。
ランニング後の爽やかな気分に惑わされて気合いを入れて読んでみた。

これでダメなら、ブックオフ行きだ、とか考えていた。

結果、やはり面白かった。

専門的な言葉のほとんどは全て記憶にないので、どうか聞かないで欲しい。


記憶力のテストの為に読んだのではないのだ。

それでも充分過ぎる示唆をゲットすることが出来た。


今地球上にいる人類はたった一人の女性から始まった。


というのは誤解を招く。
たった一人では本当はない。

きっと彼女のミトコンドリアDNAが全ての現世人類の女性のDNAに記録されている、と言う方が正しいのだろう。

ミトコンドリアDNAは女性から女性へと継承される。
男ではない。


彼女をサイエンティスト業界では「ミトコンドリアイブ」と言う。

これは聞いた事がある人も多いかもしれない。ちょっと前にBBCかどこかがドキュメンタリーを作っていた。


約15万年ほど前にアフリカに実在した、この女性の話を聞いた時は、興奮した。

壮大過ぎる。
そして感動した。

国境を隔てた紛争に意味がない、と思えたからだ。


どうしても年間のフィーの契約書に難癖をつけてサインしようとしないクライアントに腹が立っても、落ち着く事が出来た。

争いごとなんてヤメようぜ。
そもそも、俺たちはイブの子じゃないか!
さぁ、兄弟、サインしておくれ!


カップヌードルが前にやったキャンペーン「No ボーダー」のコンセプトは正しいのだと実感した。


世界中にいる70億人近い人類共通のお母さんがこのアフリカにいた「イブママ」だったのだ。 

場末のスナックみたいだ。

そうだ、「イブ母さん」と呼ぼう。 

女性のみに受け継がれるミトコンドリアDNAをトラックするとたった一人の女性に行き着く。


なんと壮大でロマンのある話だろう。

ところで、何度も挫折したこの本は、その話からさらに時を経て、人類が偉大なる旅を始めた5万年前のストーリーだ。



ミトコンドリアイブの本はまた別(下のやつ)。そっちは超読みやすい。お薦め。




その旅のメンバーはたった150人だった。


現生人類共通の先祖だ。

何世代もかけて、グレートジャーニーは続く。


幾多の試練を経て、時には絶滅の危機を乗り越えて、一部の人類は、日本に到着したのだ。


もちろん、僕ら日本人の偉大なる祖先だ。

そういう視点で考えれば、

グラビアアイドルも、
満員の地下鉄で臭い息を吹きかけてくるような二日酔いのオッサンも、
誰も彼もが「イブ母さん」で繋がったファミリーなのだ。

歴史の中では特定の民族や宗教にジェノサイドを行った最悪な独裁者が何人もいたが、彼らにこういうべきだ。
「イブ母さんが天国で泣いているぞ!!」と。


とは言え、今でも民族間での争いは絶えない。


「人類皆兄弟。愛が地球を救う」みたいにイノセントな感じには僕はなれそうもない。

飢餓以外でも、そういう宗教上の対立、紛争や戦争みたいな血で血を洗うバイオレンスで淘汰されて来たのも人類の歴史だということにも気が付く。

良い悪いではなくて、事実だ。
この切実なイシューについては別の機会に譲ろう。


一方、そんな大それた話じゃなくて、日々の生活の中ではどうだろう?

やはり、毎日の日々の暮らしの中でも、様々な困難に打ち当たる。

無理難題を吹っかける顧客。
同じ人類とは思えないパワハラ上司。
仕事や私生活での悩み。


もし自分がその渦中にいて、ストレスを抱えてにっちもさっちも行かない状況なのだとしたら。

5万年前のグレートジャーニーに思いを馳せる事は、そこから抜け出すヒントを与えてくれるかもしれない。


自分が弱い人間だ、とか思ってしまったら、アフリカ大陸旅立ってからの5万年を思い起こしてみるべきだ。


ハンパ無く気が遠くなる時間が経っても途絶えなかった自分の中のDNAを思い出せばいい。


相当ハイパーでスーパーなサバイバル遺伝子を誰しもが持っているのだ。



少なくとも、今日までは淘汰されなかった強烈にパワフルな遺伝子だ。


それが、自分の中で息づいていることを実感して欲しい。



一方で、自分の存在は、人類の歴史以上に宇宙の歴史や広大さと比較したら、それこそミトコンドリア以下に小さい存在だ。

自分が抱えている問題なんて、さらにちっぽけだ。


だから、自分の今の現状も偉大なる旅の過程にあると想像してみよう。


実際に、そうなのだ。 

僕らは、まだまだ人類のグレートジャーニーの途中にいるのだ。


さらなる5万年の旅のスタートに僕らは今立っていることを実感してみよう。

自分の存在が奇跡に近いことを思い出してみるのだ。

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2015年5月24日日曜日

自分の可能性をブーストするにはどうしたらいいのか?

ところで最近、自転車に乗ってますか?


日本でもBike(カッコイイチャリと言う意味)で通勤する人も増えて来た。

昔行った上海はまだ地下鉄工事中で、みんなチャリ(いや、全然 'Bike'って感じじゃなかった)に乗っていた。

10年後に行ってみたら誰も乗っていなかった。
地下鉄が東京みたいに複雑な路線の数になっていた。

今ではむしろオランダとかドイツとかのヨーロッパの都市部にバイカーを見かける。カッコいい。


「自転車に乗る」というのは人生のメタファーとして使われる。

「自転車は止まるとコケてしまう。

だから常に前に進まなければならない。
これは人生と同じ!。
行動する事で安定するのだ!」

みたいな。。。

中にはチャリンコに乗れない、という人がいるかもしれないが、大抵の人は何も考えずに乗れるだろう。


最初は誰にとっても補助無しの自転車に乗るのは困難なチャレンジだった。
(今のチビッコにはストライダーがあるので、イージーに自転車に移行出来るけど。)

それでも、次第に慣れて、スイスイと風を受けて気持ちよく漕げるようになる。


ブレーキングのタイミングも、コーナーの曲がり方も、初めはヨロヨロしちゃうけど、脳からの信号が筋肉にダイレクトに伝わるようになって、何も考えずにどこまでも走れるようになる。

前と後ろに子供乗せているママさんとかは見る人によっては曲芸だ。

それでも、余裕で夕方の街を颯爽と走っている。

これは脳の画期的な作用と言える。

一度体得してしまえば、慣れによって、一々初めから「どう乗るんだっけ」とか考えたりする回路をすっ飛ばして、無意識で行動が取れるようになるということだ。

脳は思考したりする時に、凄まじいほどのエネルギーを消費するので、一度体得してしまえば、脳みそを酷使しなくても行動がオートマティックにパターン化する省エネ作用だ。 


習うより慣れろ、と昔の人は言ったが正しい。
もっと言うと、最初は習って後は慣れろ、が正しい。


これやってみたいっす! Video Credit : Smarter Every Day

だからこそ、この自転車には乗れないはずだ。(最初は)






このリンクの動画を見て欲しい。

自転車のハンドルに細工をして、右に回せば左にタイヤが回り、左に回せば右に、というもの。


つまり、ノーマルなチャリとは真反対な動きをするチャリ。

ほぼ100%の人がその自転車でまともに1メートルも進めない。

このヘンテコなチャリが「どう動くか」を知っているのに。

頭で理解していても、幼少の頃に学んで慣れ親しんだノーマルな自転車の乗り方が染み付いているため、うまくコントロール出来ないのだ。

この実験をした彼は、乗れるようになるまで8ヶ月も要したと言っている。


(ちなみに彼の息子は2週間で乗りこなした。子供の脳がいかに柔軟かということを示している。多言語を学ぶには小さければ小さいほど良い、みたいな話もしている。)

Knowledge ≠ Understanding


これがビデオのキーワードだ。

「知識」は「理解」とイコールじゃない、みたいな感じだが、わかりづらい。

「アタマで理解する」のと「カラダで理解する」のは違うんだ、という感じで意訳するしかない。。

(英語はこういう時シンプルだな。。。)

どうハンドルを切れば良いか知識として知っていても、実際に乗ると難しい、とかそういう意味だ。

脳からの信号が筋肉に適切に伝わってないのだ。

自動化されていたプログラムをもう一回リブーストしなくては、アタマとカラダの両方で理解した状態にはならない。

どうやら、一度脳みそが体得した「学びと経験」は「強固な習慣」となって、新たな学びをモノにする上ではバリアになっているのだ。。 

もっと言うと、講義でいくら勉強しても、本をいくら読んで、頭の中に知識が増えても、
それを実践して行動して「なんだよ、全然上手く行かないじゃないか!」みたいな経験をして、それでも愚直に実践を続けないと、最終的に体得は出来ない。


みたいな感じに僕は理解した。

新しいことにチャレンジする時、今までの自分の行動パターンやセルフイメージが強烈に自分を縛っているので、瞬時に自分が変われるなんて夢物語なのかもしれない。

しかも、あまりにも「オートマティック化された日常生活」を送っていると、何が自分の可能性を縛っているかにすら気が付かないかもしれないのだ。


そこをグッと意識して、コケても構わないから知識を行動で実践してみる。何度もトライする。

そうすれば、また新しい脳からの「信号回路」が成長する。

自分の可能性をブーストするには、愚直だけど、きっとコケるけど、それでも前に進もうとする行動が必要なのだ。


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2015年5月14日木曜日

溜まっちゃたら出す。これ鉄則。


それが健康を保つ秘訣だ。


風邪を引いて熱を出すのは、カラダがウィルスという毒を出そうとしているのだ。


熱冷まし剤など飲んではいけない。

どんどん汗をかくに限る。

一晩ウンウン唸れば翌朝はスッキリだ。

昼メシ夜メシ、がんがん食ったら、朝は排泄の時間だ。


僕は朝メシを食べない。

 最近人気のジュースクレンジングもベースはそういうコンセプトだ。


生の野菜やフルーツのジュースは消化による内臓の負担がほとんど無いから内臓を休ませながら栄養素を摂るのに適している。

1日から数日、食事という摂取する行為を制御して、内臓を休ませ排泄にフォーカスさせる。


デトックスの原理だ。

溜まっちゃったら出す、という原則がここにも存在しているのだ。

ちなみに僕も行きつけのジューススタンドで月一やってる。(3日連続のはしんどい。なのでOne dayだけにしている。そういう微妙に、しかも決定的にヘタレなのが、自分だと自覚している。)

東京にいる時は大高酵素で実践してる。

大高酵素と僕の内臓の相性は良い。
腹が膨れるのでツラく無い。

カロリーは高いのでダイエットにはならない。
あくまでもデトックスだ。
(ハワイでも是非販売して欲しい。)


とにかく、溜めてはいけないのだ。どんどん出す事が重要だ。


思春期真っ盛りな中学生男子なら、このブログタイトルだけ見ても意味する所を瞬時に理解してくれるだろう。


そう。僕は、あの頃に人生の真理に気付いていても良いはずだったのだ。


インプットしたらアウトプットしなくてはいけない。

それが真理だ。

スーパーで買い物をする。


僕は世界の至る所のスーパーが無性に好きなので、つい楽しくなって面白そうな食材を買い込んでしまう。

そして、ある日発見するのだ。
冷蔵庫の奥の方で完全にミイラ化した食材を。

週末に作ろうと思って買ったアーティチョークが茶色く変色している。


さらに、ヒゲみたいな根っこの生えた人参と遭遇するのだ。


まだイケる。明日の朝のジュースにしよう。

(もちろん、冷蔵庫の奥底に埋もれたビール缶を発掘した時の喜びは筆舌に尽くし難い。しばし喉を潤す為に休憩をしよう。)

要するに溜め込んでしまうと腐るのだ。


それはきっと「知識」も同じだ。


勉強ばかりして、ビジネス書ばかり読んでノウハウばかり溜め込んでも、実践でアウトプットする機会がなければ朽ちてしまい悪臭すら放ってしまうようになるのだ。

口を開けば、知識と理屈のオンパレードだけど、実行が伴わない人が周りにいると思う。

(オレはどうなの?ま、自分の事はこの際、棚に上げておく・・・。)

僕の高校時代にホットドッグプレス(80年代伝説のティーン雑誌。ポパイが表カルチャーならホットドッグプレスは裏だった)を読みまくって、女性の口説き方のマニュアルが全て頭に入っている男がいた。


ところが「女性を誘い出す」「そこで実践し、手痛い失敗をしてフィードバックする」という一歩が踏み出せないので、そのまま朽ちてしまったヤツがいた。

もちろん、彼に聞けば、どのデートスポットに行けば女の子のガードが極限まで下がるか、ということが分かったので、そいういう意味では有効だった。

僕は、会社を辞める前にある経済界でも著名な占いの先生にお会いする機会があった。

僕は雑誌の巻末や朝のワイドショーのエンディングの「今日の占い」みたいなヤツをとことん信じないタチだ。


それでも、さすが経済界の重鎮と懇意にしているその先生はひと味もふた味も違っていて、一々一言一言が勉強になった。

その先生に言われた。


「あなたは今まで、社会や会社から与えられ続けていた。

それは知識だったり、経験だったり、お給料だったり。
そういう時期の転換期にあなたはいます。
これからは『得る』ことよりも『与える事』を考えて行動して下さい。
そうすれば運気はまた上昇するでしょう」

要するにInして来たならOutもしろ、ということだ。

人生で得た事をどんどん惜しまず提供しろ、ということだ。
Inするだけなら座学でOKだ。
しかし、Outする行為は行動を伴う。

持ってる知識を人に提供して役立てたり、自分のビジネスで実践しなくてはならない。

アクションが大事だ。

知識を得たらtryしてみる。

Now or Neverな行動がなければせっかくの「知識」も冷蔵庫の奥で朽ち果てた残念な食材のようになってしまう。

腐る前に、引っ張り出してまな板に載っけて包丁を入れるのだ。


そうすれば、素材がアイデアに変わる。


知識を吸収したら、どんどん吐き出す作業をやって行こう!

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2015年5月8日金曜日

スタックした!そういう時は迷わず「禅」だ!

会社を辞めてまる2年が経った。


ハワイと言う楽園に住んでから2年が経ったということだ。

「この2年は完璧でした!全てがスムースで予定通り!

オレって最高!ハワイに乾杯!」

みたいな感慨は皆無だ。


正直に書こう。

僕はこの1ヶ月スタックしていたのだ。

完全に。
2年前に考えていたゴールというか目算から大きく現実がずれて来てしまっているのだ。


ビジネス、ライフスタイル全般だ。

最初は小さな誤差だから気にしてなかった。

冒険をしていれば、ちょっとしたアクシデントは自然に起こる。

しかし、2年も経てばチリも積もってしまう。

あたりまえの事だが、フリーになってしまえば誰も自分の仕事っぷりを評価したり査定したりしない。

今僕にあるのは顧客や家族、友人からのダイレクトな反応だけだ。

自分のパフォーマンスは自分がよく分かっているので、もの凄くネガティブに自分を評価してしまう。

僕は自分にもっと甘いと思っていた。


フリーになれば、会社とかボスからの評価を気にせずにノビノビと活動出来ると感じていた。

そして学んだ。
自分を客観的に評価することは難しい。

ここがダメだ、あそこがダメだ、という感じでオレってこんなにダメ人間だったのかと驚く程だ。


なぜ、会社を辞めた時に理想とした2年後に辿り着いていないのだろう?

これが部下だったら、色々コーチングを駆使して、「いや、君のここは良い所だよ。だから伸ばして行こう」とか「何事もポジティブに考えなきゃいかんぜ」とか言えるのかも知れないが、いかんせん自分で自分を励ますこと程茶番に思える事は無い。

セルフコーチほど難しいものは無いのだった。


PDCAサイクルで上手く行く!」
みたいなのは、他人事だから言えるんじゃないか、という気がして来た。

個人企業家が外部にコーチを雇う気持ちが最近よく分かって来た。

とにかく、どうやったら今より改善して、今後サバイブ出来るのか、みたいな事を常に考えてこの1ヶ月を過ごしていた。


だから

「2年経ったって?What the heck? それがどうした?」
みたいな身もフタもない心境になっていたのだ。

そして堂々巡りになり、文字通りスタックしていたのだった。


ブログの更新が滞ったのも、そういう分かりやすい理由からだった。

どうしたら理想に近づけるのか。
今までの行動のどこが間違っていたのか。
答えはどこだ!


もう一度、飼い犬に戻りたいか?

僕のブログを読んでくれている人は意外に若い人が多い。
割合で言うと20代〜30代が60%を越える。

もちろん、残りの大半は同世代の40代だ。

だから本当は何か「為になる」ことを書く方がベターだろう。

ただ、人生にはスタックやスランプは付き物だ。
バイオリズムには振り幅がある。


あのイチローだって、WBCの時にスランプに陥った事を告白している。
避ける訳には行かないのだ。

イヌだったころは、孤高に生きる狼に憧れた。

いざそうなって見ると、毎日決まった時間にペディグリーみたいなドッグフードを与えられ可愛がられているチワワを見て、羨ましく感じてしまうのだ。

もう一度チワワに戻ってみるか、とか考えてみた。

明日のエサの事を考えなくていいと言うのは、この世の楽園じゃないか!
ハワイに匹敵するくらいの楽園だ!

いや、この歳でチワワは無理だ!
そもそも会社員の頃だってチワワみたいな愛くるしいワンちゃんじゃなかったじゃないか。

とか逡巡としながら、実はオレは狼みたいにカッコイイやつじゃなくて実際は野良犬になっただけじゃないか、みたいなルーザーな感覚に襲われる。

こういう時は、人に会ったり、書籍を乱読するに限る。
頭の中を、新しいインプットでグチャグチャにして敢えてカオスを作るのだ。


そのカオスから何かが浮かび上がって来るのを待つのだ。



ビジネス書に答えは無かった。


浮かび上がって来たのは

うを水をゆくに、ゆけども水のきはなし」
という言葉だった。

道元の言葉だった。
そう「禅」だ。

仏教とかから一万光年離れた所にいるような僕が禅かよ?
ポップカルチャーで育った僕が「禅」とは!

(人はこうして宗教に目覚めるのか、とか思ってしまった。
よく中高年の人が、お遍路とか喜んで行っているのをみて、あの人達はビートルズやウッドストックに熱狂したロック世代なのに、なぜ!?とか思っていた。)


中学の時、奈良京都への修学旅行で聞いたお坊さんの説法が今までの人生で聞いたスピーチの中でも最高に残ってる。
スティーブジョブスも禅に影響を受けたことを明らかにしてる。


うを水をゆくに、ゆけども水のきはなし

魚は水の中を目的を持って泳いでいるのではない、自然に任せ、流れに逆らわずに泳いでいる。


とかそういう意味だ。

道元は言う。
「無目的に生きなさい」と。


1年先、2年先はこうあるべき、そう思って生きるから「今」がつらくなる。


今すべきことに没頭して明るく生きろ。
その努力の結果に関しては、自然まかせだ。

まじか!と。

僕は良くクライアントにも家族にも言っている。


目的やここに行きたいというゴールがなければ、今どうするかが分からなくなってしまう。


だから、プランの有無は別にして、目的は持つべきだ。
戦略的に生きたいのなら、なおさらだ!と。

まったく道元の教えは真逆だ。
将来の目的を持つから、「今を生きる事」が出来ない、と説く。

まさにこれが「禅問答」ってやつか!

でも、今のスタックした自分にはしっくり来るのだ。


そして書き出す。徹底的に「無心」で書き出す。



僕は、自分にもう一度向き合おうと決めた。
人生の意味とかビジネスの目的は、横に置く事にした。

ありったけの本音を紙に書きなぐってみようと思い立ったのだ。


正しくはEvernoteを立ち上げてキーボードを叩きまくったのだ。

当然人には見せられないような内容も含めてどんどん流れるように出て来た。

自分ですら直視したくないような、恥部みたいな事もガンガンに書いた。
これが漏洩したら、地球の反対側サンパウロとかまで高飛びしたくなるくらいの恥部だ。

禅にインスピレーションを受けただけに、神がかっていた。
自分じゃない誰かがブラインドタッチでキーボードを打っている感じだった。


どうにもコントロール出来ない色々な問題。
主にビジネスに関してだったり。
夫婦の口論の元になる問題だったり。
果ては何でオレはサーフィンが上手くならないんだ!とかいうことまで。

自分の中にあるネガティブな要素を書き綴った。

まるで精神のデトックスだった。
どんどん毒が出て来る感覚だった。

書き始めは、環境や他人のせいにするようなトーンだった。
自分ではない、どこか他に原因があるような書きっぷりだった。
だから人様には見せられない程のダークサイドな自分だ。

そして、あぶり出されて来た真実をとうとう見つけてしまった。


全ての毒の根源は僕の中にあったのだ。


神がかって書きなぐったので、対照的に書くと、自分の中に悪魔を見つけたのだ。


そいつが、全ての毒を僕の体内に吐き出していたのだ。

思うように行動出来ないことを、僕は他者に責任を転嫁していた。

表立って、誰かにクレームを付けた、ネチネチと恨んだとかそういうことではない。


それは自分の尊厳にかけて無いと言える。

ただ、ありとあらゆる自分の問題の責任をどこか別の所にあると無意識に思っていたことに気が付いた。
他人だったり、行政だったり、果てはハワイのゆるい空気にすら!


それがこの1ヶ月間のスタックの原因だった。

吐き出してみて気が付いた。

今、自分がここにいるのは、全て自分が選択した結果なのだ。
スタックの原因も外にあるのではなくて、中にあったのだ。

道元の言う通り、今を「確実に」生きる為には、真実の自分を発見し直視しなくてはならない。

そうでなくては、「禅」の教えは生きてこない。
そう悟ったのだ。

僕は、この作業をして、ほぼ1ヶ月振りに晴れやかな気分になった。
作業時間は30分くらいだった。

根が単純過ぎると言うのもあるかもしれないが、本心で自分で向き合う作業は、一種の悪霊退治みたいだった。
エクソシストの神父の気分に浸れる事が出来たのだった。

やみくもにストレスを抱えてまで、先のゴールを目指すというのもアリだろう。

ただスタックした時は、「今」だけを見つめるというのはとても大事だ。

そして、自分の内側の奥底にある何かがスタックの原因かもしれない。
そういう時は、「今」にフォーカスして、洗いざらいぶちまけるのは有効だ。

僕は、それを悪霊退治と呼んで、今後またスタックしたらその作業を行うだろう。

全ては自分事。
答えは自分の中にあるのだ。


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