Koy's blog

Koy's blog

2015年5月8日金曜日

スタックした!そういう時は迷わず「禅」だ!

会社を辞めてまる2年が経った。


ハワイと言う楽園に住んでから2年が経ったということだ。

「この2年は完璧でした!全てがスムースで予定通り!

オレって最高!ハワイに乾杯!」

みたいな感慨は皆無だ。


正直に書こう。

僕はこの1ヶ月スタックしていたのだ。

完全に。
2年前に考えていたゴールというか目算から大きく現実がずれて来てしまっているのだ。


ビジネス、ライフスタイル全般だ。

最初は小さな誤差だから気にしてなかった。

冒険をしていれば、ちょっとしたアクシデントは自然に起こる。

しかし、2年も経てばチリも積もってしまう。

あたりまえの事だが、フリーになってしまえば誰も自分の仕事っぷりを評価したり査定したりしない。

今僕にあるのは顧客や家族、友人からのダイレクトな反応だけだ。

自分のパフォーマンスは自分がよく分かっているので、もの凄くネガティブに自分を評価してしまう。

僕は自分にもっと甘いと思っていた。


フリーになれば、会社とかボスからの評価を気にせずにノビノビと活動出来ると感じていた。

そして学んだ。
自分を客観的に評価することは難しい。

ここがダメだ、あそこがダメだ、という感じでオレってこんなにダメ人間だったのかと驚く程だ。


なぜ、会社を辞めた時に理想とした2年後に辿り着いていないのだろう?

これが部下だったら、色々コーチングを駆使して、「いや、君のここは良い所だよ。だから伸ばして行こう」とか「何事もポジティブに考えなきゃいかんぜ」とか言えるのかも知れないが、いかんせん自分で自分を励ますこと程茶番に思える事は無い。

セルフコーチほど難しいものは無いのだった。


PDCAサイクルで上手く行く!」
みたいなのは、他人事だから言えるんじゃないか、という気がして来た。

個人企業家が外部にコーチを雇う気持ちが最近よく分かって来た。

とにかく、どうやったら今より改善して、今後サバイブ出来るのか、みたいな事を常に考えてこの1ヶ月を過ごしていた。


だから

「2年経ったって?What the heck? それがどうした?」
みたいな身もフタもない心境になっていたのだ。

そして堂々巡りになり、文字通りスタックしていたのだった。


ブログの更新が滞ったのも、そういう分かりやすい理由からだった。

どうしたら理想に近づけるのか。
今までの行動のどこが間違っていたのか。
答えはどこだ!


もう一度、飼い犬に戻りたいか?

僕のブログを読んでくれている人は意外に若い人が多い。
割合で言うと20代〜30代が60%を越える。

もちろん、残りの大半は同世代の40代だ。

だから本当は何か「為になる」ことを書く方がベターだろう。

ただ、人生にはスタックやスランプは付き物だ。
バイオリズムには振り幅がある。


あのイチローだって、WBCの時にスランプに陥った事を告白している。
避ける訳には行かないのだ。

イヌだったころは、孤高に生きる狼に憧れた。

いざそうなって見ると、毎日決まった時間にペディグリーみたいなドッグフードを与えられ可愛がられているチワワを見て、羨ましく感じてしまうのだ。

もう一度チワワに戻ってみるか、とか考えてみた。

明日のエサの事を考えなくていいと言うのは、この世の楽園じゃないか!
ハワイに匹敵するくらいの楽園だ!

いや、この歳でチワワは無理だ!
そもそも会社員の頃だってチワワみたいな愛くるしいワンちゃんじゃなかったじゃないか。

とか逡巡としながら、実はオレは狼みたいにカッコイイやつじゃなくて実際は野良犬になっただけじゃないか、みたいなルーザーな感覚に襲われる。

こういう時は、人に会ったり、書籍を乱読するに限る。
頭の中を、新しいインプットでグチャグチャにして敢えてカオスを作るのだ。


そのカオスから何かが浮かび上がって来るのを待つのだ。



ビジネス書に答えは無かった。


浮かび上がって来たのは

うを水をゆくに、ゆけども水のきはなし」
という言葉だった。

道元の言葉だった。
そう「禅」だ。

仏教とかから一万光年離れた所にいるような僕が禅かよ?
ポップカルチャーで育った僕が「禅」とは!

(人はこうして宗教に目覚めるのか、とか思ってしまった。
よく中高年の人が、お遍路とか喜んで行っているのをみて、あの人達はビートルズやウッドストックに熱狂したロック世代なのに、なぜ!?とか思っていた。)


中学の時、奈良京都への修学旅行で聞いたお坊さんの説法が今までの人生で聞いたスピーチの中でも最高に残ってる。
スティーブジョブスも禅に影響を受けたことを明らかにしてる。


うを水をゆくに、ゆけども水のきはなし

魚は水の中を目的を持って泳いでいるのではない、自然に任せ、流れに逆らわずに泳いでいる。


とかそういう意味だ。

道元は言う。
「無目的に生きなさい」と。


1年先、2年先はこうあるべき、そう思って生きるから「今」がつらくなる。


今すべきことに没頭して明るく生きろ。
その努力の結果に関しては、自然まかせだ。

まじか!と。

僕は良くクライアントにも家族にも言っている。


目的やここに行きたいというゴールがなければ、今どうするかが分からなくなってしまう。


だから、プランの有無は別にして、目的は持つべきだ。
戦略的に生きたいのなら、なおさらだ!と。

まったく道元の教えは真逆だ。
将来の目的を持つから、「今を生きる事」が出来ない、と説く。

まさにこれが「禅問答」ってやつか!

でも、今のスタックした自分にはしっくり来るのだ。


そして書き出す。徹底的に「無心」で書き出す。



僕は、自分にもう一度向き合おうと決めた。
人生の意味とかビジネスの目的は、横に置く事にした。

ありったけの本音を紙に書きなぐってみようと思い立ったのだ。


正しくはEvernoteを立ち上げてキーボードを叩きまくったのだ。

当然人には見せられないような内容も含めてどんどん流れるように出て来た。

自分ですら直視したくないような、恥部みたいな事もガンガンに書いた。
これが漏洩したら、地球の反対側サンパウロとかまで高飛びしたくなるくらいの恥部だ。

禅にインスピレーションを受けただけに、神がかっていた。
自分じゃない誰かがブラインドタッチでキーボードを打っている感じだった。


どうにもコントロール出来ない色々な問題。
主にビジネスに関してだったり。
夫婦の口論の元になる問題だったり。
果ては何でオレはサーフィンが上手くならないんだ!とかいうことまで。

自分の中にあるネガティブな要素を書き綴った。

まるで精神のデトックスだった。
どんどん毒が出て来る感覚だった。

書き始めは、環境や他人のせいにするようなトーンだった。
自分ではない、どこか他に原因があるような書きっぷりだった。
だから人様には見せられない程のダークサイドな自分だ。

そして、あぶり出されて来た真実をとうとう見つけてしまった。


全ての毒の根源は僕の中にあったのだ。


神がかって書きなぐったので、対照的に書くと、自分の中に悪魔を見つけたのだ。


そいつが、全ての毒を僕の体内に吐き出していたのだ。

思うように行動出来ないことを、僕は他者に責任を転嫁していた。

表立って、誰かにクレームを付けた、ネチネチと恨んだとかそういうことではない。


それは自分の尊厳にかけて無いと言える。

ただ、ありとあらゆる自分の問題の責任をどこか別の所にあると無意識に思っていたことに気が付いた。
他人だったり、行政だったり、果てはハワイのゆるい空気にすら!


それがこの1ヶ月間のスタックの原因だった。

吐き出してみて気が付いた。

今、自分がここにいるのは、全て自分が選択した結果なのだ。
スタックの原因も外にあるのではなくて、中にあったのだ。

道元の言う通り、今を「確実に」生きる為には、真実の自分を発見し直視しなくてはならない。

そうでなくては、「禅」の教えは生きてこない。
そう悟ったのだ。

僕は、この作業をして、ほぼ1ヶ月振りに晴れやかな気分になった。
作業時間は30分くらいだった。

根が単純過ぎると言うのもあるかもしれないが、本心で自分で向き合う作業は、一種の悪霊退治みたいだった。
エクソシストの神父の気分に浸れる事が出来たのだった。

やみくもにストレスを抱えてまで、先のゴールを目指すというのもアリだろう。

ただスタックした時は、「今」だけを見つめるというのはとても大事だ。

そして、自分の内側の奥底にある何かがスタックの原因かもしれない。
そういう時は、「今」にフォーカスして、洗いざらいぶちまけるのは有効だ。

僕は、それを悪霊退治と呼んで、今後またスタックしたらその作業を行うだろう。

全ては自分事。
答えは自分の中にあるのだ。


Thank you for your 'click!'






0 件のコメント:

コメントを投稿