かつて僕は全てを分かってると思っていた。
だけど、何も知ってなんかいなかったんだ。
The more I know, the less I understand
All the things I thought I figured out, I have to learn again
(ドン・ヘンリー Heart of Matterより)
僕がまだ小学生に入る前だから、多分5歳くらいだったと思う。
当時イナズマンというヒーローものにハマっていた。
番組が終わると僕はすっかり憑依して、イナズマンになった気分で過ごしていた。
ウルトラマンがシュワッチ!で、仮面ライダーがトゥ!ならイナズマンはチェースト!だった。
僕は、一人で妄想の世界で怪人と戦っていた。
その時、夜勤明けのオヤジはえらく不機嫌で、一人ドタバタと転げ回っている僕を咎めて叱った。
「もう少し、静かに遊べ」とかなんとか言ったのだと思う。
5歳の男の子は、ちょっとくらい怒られたくらいでは妄想からさめる事は無い。
僕は、夜勤明けで次の出勤まで仮眠を取ろうとしているオヤジがいる二階の両親の寝室から離れようと、階段を駆け足で降りて行った。
そして、最後の二段くらいを「チェースト!」のかけ声と共に飛び降りたのだった。
何が起こったのか分からなかった。
烈火のごとく怒りながら階段を駆け下りて来たオヤジに僕は横っツラを一発を張られたのだった。
「親に怒られて『チェ』と舌打ちするヤツがあるか!!」
完全に誤解だった。
イナズマンなんだよ!と精一杯弁解した。
その言い訳に逆にブチ切れしたオヤジは僕の首根っこを掴んだ。ぶん投げられるかもしれない。
恐怖を感じた僕は死にものぐるいで謝った。
既に大泣きしていた。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイを何度繰り返したか分からない。
子供心にも、事の理不尽さに情けなくなった。
小学館の学習雑誌を発売日になるとお土産に買って来てくれるオヤジが大好きだった。
補助無しのチャリンコに乗れるように一所懸命にサポートしてくれたオヤジが大好きだった。
しかし、この時ばかりは、ありえない!という気持ちが心の中に満載だった。
そして思ったのだ。
オレがいつか誰かの親になる時は、絶対にこんな理不尽な理由で子供を怒るのはヤメよう。
今のまま気持ちを忘れずに育てば、子供の心を完全に理解できるイケテル親になれるはずだ。
無論そういう言葉で考えたはずはないけれど、マジで子供心にそう思ったのだ。
親は勝手だ。
優しい時もあれば、信じられないくらい恐い時もある。
もちろん、自分がきっと怒られる何かをしたのかも知れない。
子供なんだから、何が良くて何が悪いのかよく分からない。
それでも何となく悪い事をしちゃったかも、という空気は分かる。
それでも、イナズマンのチェーストと「ちぇ!」とを聞き違えるのはいくら親でも良いはずが無い。
信じられないかも知れないが、この出来事はまるで昨日の事のようにカラーフィルムで細かいディテールまで頭の中で再現出来る。
きっとそれくらい強烈な体験だったのだろう。
あれから40年が過ぎて、僕も5歳の息子のオヤジとなっている。
あの時、子供の気持ちを理解出来る大人に、親に、なろうと堅く心に誓った訳だが、どうやら僕も人の子だった。
ついつい理不尽な自分の気分や感情や誤解で息子を叱り飛ばすことがままある事に気付く。
あの時のオヤジを責められる訳が無いのだ。
歴史は繰り返すのだ。
子供は自分の環境をコントロール出来ない。
ましてや親を選ぶ事も出来ない。
親の理不尽な行動にも我慢してついて行くことが彼らの世界の全てなのだ。
ついこの間まで赤ん坊だった息子も、あの時の僕のように感情や思いがきっとあるはずだ。
僕はそこまで分かっているくせに、きっと100%完璧に子供の気持ちを理解出来ているとは言えないだろう。
僕は息子との時間をマックスにする為に会社を辞めた。
今でもベストな決断だったと思っている。
という事は、むしろ僕に対するオヤジの時より、僕は自分の息子に接している物理的な時間が長い。
もしかするとより多く彼を傷付けていることがあるかもしれない。
それでも、息子は100%以上の素直さで僕に真っすぐに向かって来てくれる。
弱冠5歳の彼にとって神様みたいに絶対的な存在は僕ら親しかいないからだ。
今、自分が息子のためにと思い意思決定をしていることが、本当に息子の為になっているのかは正直分からない。
息子は、今、彼の人生の最初の節目を迎えた。
1歳半からそれぞれ東京、ハワイと通ったプリスクール生活が終わろうとしているのだ。
秋からはキンダーガーデン、アメリカでは義務教育であるいわゆる幼稚園が始まる。
か細い肩と、うつむいたときの表情はまだ生まれた時の赤ちゃんのままだ。
それでもきっと、5歳なりにしっかりと自分のアイデンティティを持ち始めている事は間違いない。
プリスクールは義務教育ではないので、ある程度のスケジュール的な柔軟性がある。
それでも、彼にとっては人生の節目である事は間違いない。
それなのに僕ら親の仕事の都合で、クラスの皆と一緒の卒業写真を撮る事が出来ない。
だから僕はスクールのティーチャーにお願いして、ガウンと帽子を借りた。
週末の日曜日、親子で思い出の場所でガウンを着て卒業に向けた大撮影大会を行う事にしたのだ。
僕はカメラマンに徹して、彼の表情を追った。
総数にして200枚くらいの写真を撮った。
毎日一緒に通った道。 |
そして思った。
100%の親にはなれないかも知れないけれど、それでも僕は100%を目指そう。
きっと君のパパとママ両方のジイジ、バアバもそう思ってパパとママを育ててくれたはずだから。
Just one click? Thank you!
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