世の中にに想像力がある限り、成長し続けるのだ。
Disneyland will never be completed.
It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.
by ウォルト・ディズニー
ルーカス、「フォースの覚醒」をディスる。
スター・ウォーズの生みの親であり、希代のクリエイターであり、インディペンデントな企業家でもあるジョージ・ルーカス。
彼が絶賛公開中の「フォースの覚醒」をディスる発言をしているインタビュー動画(15年末)を見た。
インタビューを受けるルーカス(出典:Variety.comより) |
ルーカスがイメージしていた新しいスター・ウォーズの物語とは相当ギャップがあったのだろう。
彼は、(その後撤回したが)ディズニーに自身の会社「ルーカスフィルム」すなわち「スター・ウォーズ」を売ってしまったことを、「売春奴隷業者」に売り渡してしまったというかなり過激な発言をしていた。
興味がある人は是非動画を見ていただきたいが(全編英語字幕無し)、インタビュー自体は終始穏やかな雰囲気なので、こうして発言だけを文字にして感じるのと実際の発言はニュアンスが異なるもの事実だ。
それでも、世界で記録的な興行を続ける新作に不満足なのが感じられる。
日本語の記事が無いか検索したら、あった。
以下引用。(The Huffington Postより)
- 70歳近くなり、今後の人生について考えていた。(約30年ぶりに)再婚して娘もでき、映画芸術についての博物館を建てる計画も進めている。今後撮りたい実験映画もある。人生の転換期を迎えた感があった。
- しかし最近の数作品には非常にコストがかかってしまい、従業員にも会社にも申し訳ないと思い、スター・ウォーズの新作に取り掛かろうと考えた。
- 新作の製作については、当時ルーカスフィルムで共同会長を務めていたプロデューサーのキャスリーン・ケネディにある程度は引き継いで、(監督・脚本・製作すべてを務めたエピソードI〜IIIと比較すれば)やや引いた立場で関わる計画だった。ストーリーを考え、その体制で脚本作業などを進めていた。
- 同時に、将来的な引退についてディズニーのCEOであるロバート・アイガーに相談していたところ、もし本当に会社を売却する気があるのならぜひ買い取りたいと提案され、ルーカスフィルムごと引き渡す交渉が始まった。
- ディズニーへ会社ごと任せる判断をしたが、すでにストーリーの案はあり脚本作業も進行していたことから、エピソードVやVI(『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』)で他人に監督を任せたように、総指揮のような形で制作する方向だった。
- しかし、数週間でこれは無理だと気づいた。現場で監督を助けたりあれこれ指示を出したりするのは、自分で監督するよりよほど大変だった。
- また、映画の方向性についてもディズニーと相違があった。自分は何よりも物語を重視して、父と息子の問題、祖父や、世代について描くつもりだった。スター・ウォーズは、結局のところ家族ドラマ(ソープオペラ)。スター・ウォーズはよくスペースオペラと言われるが、本質は家族の物語。ソープオペラであって、宇宙船がどうこうではない。しかし、ディズニーが求めたのは「ファンのための映画」だった。
- ストーリーも拒絶され、このまま関わっていては自分がトラブルの原因にしかならないと思い、身を引いて道を分かつことにした。ディズニーもさほど熱心に関わってくれという態度ではなかった。
ルーカスはスター・ウォーズを世に出してから、ほとんど「職業映画監督」としてのキャリアを終了してしまった。
同世代の盟友スピルバーグが様々な映画を撮っているのと正反対だ。
彼は監督と言うよりビジネスマンになってしまったのだ、という話は映画ファンの間でよく交わされるトピックだ。
スター・ウォーズが彼にもたらした利益は天文学的だ。
映画のキャラをマーチャンダイズしたり、スピンオフの物語(ノベライズやアニメやゲームなど)を出して行くビジネスモデルはハリウッドではスター・ウォーズが最初だ。(日本は結構昔からヒーローモノのメディアミックスやクロスマーチャンダイジングの手法は存在していた。)
そして、エピソード3「シスの復讐」の公開がされた時点で「もうスター・ウォーズは作らない」と宣言してしまった。
ルーカスとはスター・ウォーズのことであり、そのストーリーは彼個人の所有物だと宣言されたのだった。
僕らはショックを受けた。
だからディズニーが彼の会社を買収して、新たなエピソードを作ると宣言した時に、往年のファンは小躍りして喜んだのだ。
僕はスター・ウォーズに関しては「無条件降伏」をしているファンなので、評判の悪いエピソード1〜3も好きだ。
それでも、これが20年近く待ち望んだ「新3部作」なのか、という落胆の気持ちが無かった、と言えば嘘になる。(この時点で「無条件」じゃないじゃん。。)
今回、作品がルーカスの手を離れ、現代におけるトップレベルの映画監督であるJJエイブラムスが監督をすると聞いた時は、「Yes!」とガッツポーズをしたくらいだ。
彼は今までミッション・インポッシブル、スター・トレックと大作の続編を見事に成功させているからだ。
ルーカスは僕のヒーローだが、映画監督としては全く信用していない自分をその時に再確認してしまったのだ。
ルーカスは実際に「ルーカスフィルム」を売却する際に、その価値を上げようとして新しいエピソードのアイデア作りに着手したという話もある。
だが、新しくルーカスフィルムのトップになった敏腕プロデューサーのキャスリン・ケネディはそのプロット(ストーリーの原案)を却下した。
(彼女は長年スピルバーグの片腕だった女性だ。レイダースではルーカスとも仕事をしているし、旧知の関係だ。)
そして、監督に指名したJJエイブラムスとルーカスフィルムのデベロップメントチームとプロット作成に入るのだ。
ルーカスは完全に蚊帳の外だ。
そして、ルーカスは身を引き、その後のインタビューで愚痴をこぼすのだ。
「彼ら(新しいルーカスフィルムの経営陣と監督JJエイブラムス)は懐古趣味なスター・ウォーズを作りたがった。
僕は、常に新しいモノを作りたがったが、彼らは違った」みたいな発言をするに至るのだ。
僕はここにハリウッドや米国のクリエイティブ業界の底力があると痛感するのだ。
ルーカスが今回の監督のJJエイブラムスやほとんどのスタッッフからとてつもないリスペクトを受けている事は間違いが無い。
しかし、人物を「絶対視」せず「神格化」することはないのだ。
日本で言うと、例えばジブリをどこかの映画会社が買収して、宮崎駿氏にプロットを考えさせて、結局社長が「却下」するのをあまり想像が出来ない。
日本では(特に年齢の高い)一流のクリエイターは神格化されるケースが多い。
日本の場合は、芸人さんとかもそうかもしれない。
漫才や落語(最近ではひな壇芸人も)といったエンタメも非常にクリエイティブな世界だが、老練な先達を「兄さん、姐さん」「師匠」と呼んで、神格化する風潮がある。
(その昔、吉本興業はヤスキヨのやすし師匠を解雇したが、それは「芸」の内容ではなく、刑事事件を起こしたからだ。)
そうして、彼らを前に誰も「No」と言えない空気が充満するのだ。
そもそも、ディズニー自体が、ウォルト・ディズニーという個人を神格化せず、その「コンセプト」だけを大事にしながら、巨大なエンタメ企業として成長しているのはそういう意識が背景に存在しているからだ。
リスペクトしても神格化せず。
それが、クリエイティブなビジネスを発展させるキーワードだ。
Appleもクリエイティブな企業だ。
ジョブス亡き後のブランディングは困難な道に思えるが、なんとか踏ん張って「神格化=絶対視」への道を回避しているように思える。
日本の(多くの)場合は、カリスマが去った後には何も残らない。
虫プロも手塚治虫という偉大なクリエイターが去った後は細々と権利管理をしているだけの印象だ。
ウルトラマンの円谷プロも。黒沢監督の黒沢プロも。
そして宮崎氏が去った後のジブリも、そうなってしまうかもしれない。
ジャニー喜多川氏が去った後のジャニーズ王国はどうなるだろうか?
今や破竹の勢いがあるエグザイルのLDHもカリスマなHIROさんが引退した後どうなるのだろうか?(ってか大きなお世話だ!)
クリエイティブな仕事をしようと思ったら、過去の偉大なクリエイターを尊敬し、彼らから学ぶ事は大事だ。
しかし、その人物を必要以上に崇める事は危険だ。
萎縮し、自分のクリエイティビティを発揮することが困難になる場合があるからだ。
必要であれば、キャスリーン・ケネディやJJエイブラムスのように、偉大なるルーカスのアイデアを一蹴するような気概が必須となる。
今そこに存在するものは全て多くの人間の英知によって創造された偉大なストーリーを持っている。
しかし、常に「未完成」であることを忘れてはいけない。
そしてそれを「新たに発展させるのは自分である」、と信じる事が重要なのだ。
長文お付き合いいただき感謝です。
それでは、2016年が皆様にとって素晴らしくクリエイティブな年になりますように!!!
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