「人生のある時期になると、自分という存在の真ん中に立ち止まり、戸惑う瞬間があるものだ。
過ぎてしまった人も、これから迎える人もいるだろうが、みんな経験する。それは重要な瞬間だよ。
現実的な決定を下さねばならず、もはや夢のようにただ思い描く未来に隠れ続けることは出来ない。」
これ、Side Waysという2004年に公開された映画の日本版公式サイトに寄稿されたプロデューサーであるマイケル・ロンドン氏の言葉です。
風光明媚なサンタバーバラ近郊のワイナリーなロケーションも最高! |
この映画は優れた原作を優れた映画に昇華(アダプト)させたクリエイターに贈られるアカデミー脚色賞を受賞した優れた作品なのですが、
もう見事に「中年の危機と再生への希望」を描いた作品だった。
どこかで、今の自分のいる場所は決して本当の自分がいる場所ではない、そう思いながら、いつしか自分の夢を諦め、誰に言われた訳でもないのに、現実との折り合いを優先して生きている。
そして訪れる、「オレの人生これでいいのかよ!」な中年を襲う自己喪失感。
そして訪れる、「オレの人生これでいいのかよ!」な中年を襲う自己喪失感。
このプロデューサーの言葉を、後生大事にクリッピングしていた公開当時35歳の僕は、きっといつか訪れるであろう自分自身の中年の危機を予感していたんだと、会社を辞めフリーになった今なら思える。
思い返してみると、僕は10代~30代とあまり自分の進路に悩んだ経験はあまり無かった。
そう書くと、エラくスマートな人間をイメージしてしまうけれど、実際は真逆です。。。
自他ともに認める劣等生で、ある教科では及第点ギリギリを取り、ある教科は教師がカンニングを疑うくらいのスマッシュヒットな成績を修めるので、
自分がどう道を進めばいいのか迷うチョイスの幅が全然無かったのであった。
人間優秀過ぎると、そのせいで悩んでしまうのだ、オレはアホで良かった。と真剣に考えていたのです。
おかげで、自分の「好き」と「生きたい方向」が見事に合致し、青春に付き物の「悩み」とは無縁のまま突っ走ってこれた。
アホ、最高です。
社会人になった時でも、自分が起業出来る程の気力とスキルがあるとはとても思わなかったし、とにかくどっかの会社に潜り込んで給料を貰いながら20代を謳歌しつくそう、という変わらないアホっぷりを炸裂させていたのです。
その後、様々なご縁を通じて転職とプロモーションというか出世を繰り返し年収も同時並行で上がって行った。
30代前半で結構早めに管理職になった後も、自分より遥かに優秀な部下とスタッフのおかげで充実しそこそこ順風な生活を送っていました。
なので、自分にそんな日が来るとは思っていなかった。
middle age crisis。中年の危機。
このやり場のない思いの出口はどっちだ!! |
40歳を過ぎると、どれだけ気持ちが若くて体力があっても、頭の片隅で「ああ、人生の半分は折り返してしまったんだな」という事を考える。
そして40にもなれば、自分の両親も確実に歳を取ったなぁ、と客観的に思わざるを得ない。
決してネガティブな意味ではなく、単に世に生を受けたものには必ず終わりがある、というシンプルな法則を結構リアルに考えるという意味でだ。
そんな事を考えない40過ぎの人とは僕は友達になれそうにない。多分。
そして思うのだ、オレの人生これでいいのか?と。
本当にやりたいことをやっているのか?
自分は何に貢献する為に生まれて、そして今生きているのか?
息子に今のオレの生き様を自慢出来るだろうか?
っていうか、オレは今いい顔してるんだろうか?
きっと二昔前に流行ったピーターパンシンドロームと中年の危機が同時に来てしまったのだ。
常識的に考えれば、普通大人はそこで自分の人生に折り合いを付けて生きて行く覚悟を決めるのかもしれない。
自分は家族の為、子供の為、会社の為、顧客の為に生きて行くのだ。そう覚悟を決めるのかもしれない。
でも、何となく僕個人としては、それは無い、と思った。
むしろ嘘くさい、と思った。
自分が自分の為に生きる覚悟を決めた時に、きっとそれが家族や人への好影響を産み出すに違いないと考えた。
決して、それは自分さえ良ければ良い、といった利己的な打算ではモチロン無い。
自分をごまかす生き方は、結局対人関係もごまかす、ということにつながるという意味で考えているのです。
そして、この映画プロデューサーの言葉に戻る。
「現実的な決定を下さねばならず、もはや夢のようにただ思い描く未来に隠れ続けることは出来ない。」
これはどういう意味だろうか?
夢を見ず、現実を直視しろ。という意味だろうか?
僕はそうは思わない。
この人間を鋭い洞察力で診る、アカデミー賞を穫るような優れたクリエイターがそんな野暮な事を言う訳が無い。
「夢を未来の夢としてみる甘い時間はもう終わったのだ、今ここにある現実があなたの未来なのだ。行動への決定を下すのも未来のあなたじゃない、今の現実のあなたなのだ。」
きっとそう言う意味だと僕は考える。
やはり、Now or Neverなのだ。
今を生きるのか、過去に生きるのか。
誰にも決められない。決めるのは自分自身なのだ。
このプロデューサーが言う様に、中年の危機はきっと誰しもにそれぞれの形で訪れる。
それはきっと神様があなたに与えたもう一つのチャンスなのだ。
一度母親から生を受けた時と同じ様に、今度は自らが自らを再生させるチャンスなんだと僕は思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿