Koy's blog

Koy's blog

2014年11月30日日曜日

大事な部分を維持する為に、変化する勇気を持てば、サバイブ出来るはず。

最近80年代後半のポップミュージックを聞いていて、
80年代の自由さ、斬新さにとてもインスパイアされたの。
2年って色々変わるわよね。

髪形だったり、スタイルだったり…で、
この2年間で自分自身の音楽も変わったと思うわ。
新作は、初の公式ポップ・アルバムよ

テイラー・スウィフト(CDジャーナル


ラジオから高校生のチアリーダーが好んで使いそうな曲が
ガンガンにローテーションされていて、

ウチの息子はプリスクールの送り迎えの車内で
この曲がかかるとサビの' shake it all"とか口ずさみながら
ノリノリになっています。

日本のポップス業界がある特定のガールズグループとかボーイズグループに占領されている現状と比較して、
アメリカのポップス業界は今でも元気で、多様で、
若い才能がどんどんプロデュースされて出てきている。

なので、この曲を歌っているのもきっと大型新人なのかもしれないとか、したり顔で考えていたら、
DJがテイラー・スウィフトだと紹介したので少し驚いた。

僕に取って彼女は日本でも人気があるとは言え、
カントリーカテゴリーの歌姫だと思っていたから、
この100%ポップな感じが彼女とは信じられなかったのだ。



iTunesでも世界的にDL一位になったりと、相変わらずの人気だし、楽曲もポジティブでまさに80sチックな感じなので、メチャクチャ気に入ってしまった。


オレが20歳若かったら、理想の彼女像はテイラーだ、とか言っていたに違いない、とかアホなことを思いつつ、
今日書きたかった事は、別に彼女の新曲
(ってか、リリース8月だし、今もう師走だし)
の紹介ではもちろんない。

僕がピチピチのテイラー・スウィフトの曲を聞きながら思い出したのは
有名な「春木屋理論」です。

そう、あの有名な荻窪のラーメン屋さん。

「(昔から)変わらぬ旨さ」と言われる為には、
どんどん良くなって来ている食事情や
お客様の「舌」に応えるべく「変わり続けなければならない」
という、あの理論です。

最初にこの話を聞いた時にダーウィンの進化論
強い物が残るのではない、変化を受け入れるものが生き残るのだ」
を聞いた時より衝撃を受けたのですが、
大好きだったソニーの凋落の原因もそこにあるのかもしれないと考えた。

テイラー・スウィフトは、あっけらかんと、
いとも簡単に「変化」を堂々と宣言していた。

カントリーソングのメッカであるナッシュビルに住む彼女は、
カントリー歌手としての成功を維持しようとは考えなかった。

ただ、表現者として、自分の内なる変化を自然に受け止めていた。

「サバイブする為には、変わり続ける事」
という、「春木屋理論」は、別にラーメンとテイラー・スウィフトだけに限ったことではないのは当然だ。

ありとあらゆるブランドや人間にもあってはまる原則だ。

昔も今も変わらずに光り輝いている人というのは、
変化を受け入れるのみならず、
変化を是として意識的に昨日より、今日、そして明日と
変わり続ける事を座右の銘にしているのかも知れない

もしかすると、日本人と言うのは、必要以上に「変わらない」ということに無意識に価値を置いていて、そのせいで自滅する、というケースがあるのじゃないかとか思ってしまう。

例えば、偉大なるマンネリとも言える「男はつらいよ」の寅さんも、渥美清というこれまた偉大なる俳優が「寅さん」を引退して終わってしまった。

コアのアイデアは変わらずに、俳優が変わりながら新作ごとに変化をしてトレンドに併せてパワーアップしている「007シリーズ」とは全然違う。

惜しまれつつ(かどうかは置いておいて)終わってしまった「笑っていいとも」だって、マンネリが飽きられての終了だったと思っている。

同じ様に、コメディアンが司会を務めるアメリカのバラエイティ「トゥナイトショー」は、これもコアアイデアは変わらずに、司会者をチェンジして、時代と共に変化をさせながら50年も存続しているお化け番組だ。

アメリカの音楽業界はCDから、ダウンロードへと完全にそのあり方や姿を変えてしまったが、日本のように「音楽不況」という嘆きはあまり聞こえてこない。

つまり、環境に併せて「変化」をする、というのは「コア」となる部分を存続させる為には「必須」であるということがわかる。

僕はトム・クルーズのファンだが、いつまでも万年青年みたいなイケメン役しか演じていないのは相当無理が来ると思っている。

ポール・ニューマンの若い頃は水の滴るようなイケメン俳優だったが、どんどん変化に併せて老獪で重厚な俳優として人生を全うした。

変化は必須なのだ。

僕は、決して保守的ではないが革新的な男でもない。

まさにレギュラーガイというかビールとピザと寿司とTシャツで過ごすことが
大好きないたってノーマルな男なのだが、
サラリーマンを辞め、ハワイでロンバケし、
フリーで生きて行く覚悟を決めた時から、
「変化する事」を意識するようになった。

だから5年後の自分を今想像することは出来ない。

自分が変化をする、ということを意識的に行うということは、
前回書いたような「主体性」を持たなくては成立しないことのように思う。

黒髪を金髪にするとか、そういうぶっ飛ぶような変化でなくても良い。

むしろ、人が気がつかないような
小さなイノベーションを毎日重ねる事を続ければ、
きっと生き残りは可能だし、
もっと遠くへいけるかもしれない。

2014年11月26日水曜日

自分のボスになる編。サラリーマン強制終了からのロングバケーション考。

なんだかんだでロングバケーションが始まった。

香港での食い倒れをとっかかりに、シンガポールのマリーナベイサンズに一週間ステイ。
その後、かつて訪れてもう一度行きたかったクロアチアのドゥブロブニクの風光明媚な景色の中で魚料理を堪能した後は、南仏プロバンスに一ヶ月滞在する。

という計画は3歳の息子も交えた家族会議で却下になり、それは次回のロンバケにしようと言う事になった。

実際には、羽田からの直行便で、ホノルルに向かったのでした。

年に数回あった海外出張のおかげで貯まったマイレージを使い、家族三人をビジネスクラスにアップグレードして行った今までのハワイ旅行とは違い、ここは堅実にエコノミークラスでの渡航だった。

観光ビザで過ごせる期間一杯までハワイに滞在する予定だったが、決めていたのは約一ヶ月間のステイ先であるコンドミニアムだけ。

その他は全て行き当たりばったりというスーパーノープランなバケーションだった。

きっと、はたからみたら株や宝くじにでも当たった能天気なファミリーに見えたかもしれないが、実際は一寸先は闇、を地で行くようなアドベンチャーファミリーだったのだ。

それでも、行動した先には何か「サイン」のような物が見えて来るかもしれない。

エンドレスサマーで人を優しく包み込むような潮風が当たり前に吹いているような環境では、どんな状況でもきっと明日は明るいと根拠無しに思える所も素晴らしかった。
カハラ。なんと優しい風景。

息子はまだ3歳だったので、義務教育のタイミングでは無かったが、プリスクールは一番早くに決めた。

1歳からバイリンガルのプリスクールに通っていた息子なので、場所が変わっても「親と離れて集団で他の子供と過ごしつつ、しかも英語な環境」だけは継続させたかったからだ。
君は将来、オヤジの決断をどう評価するんだろうか。。

ネットを駆使し、クレジットヒストリーも無い状態で、怪しい情報にも翻弄されながら、数打ちゃ当たる戦法で部屋のレント情報にアタックをした。

結果、幸いにも気持ちのいいアパート(コンド)の大家さん夫婦(プチリタイヤ中の米国人)に出会う事が出来た。
彼らへのプレゼンをきっちりこなし倍率の高かった部屋にも入居が出来た。

その間に、ハワイに旅行で来る友人達と食事をしたり、新しい友人との出会いがあったり、波乗りにチャレンジしたり、そうやって、楽園での日々が過ぎて行った。

特に毎日何をする訳ではないが、朝、日の出と共に目覚め(嘘。日の出の2時間後くらい)、子供を送り、自宅でランチを作り、昼間からワインを飲み、眠くなれば潮風を感じながら昼寝をする。

みたいなストレスフリーな生活は、自分達の等身大なバケーションの形として満足出来るものであった。

所が、いつになっても僕が期待した
「人生が変わるようなドラマチックなインスピレーション」
と言うものに出会うことが無かった。

Oops! photo by Jasmeet @ Flickr http://goo.gl/nUSUHn

そればかりか、食っては飲み、そして昼寝するという生活を2,3週間続けせいで、お腹周りがぽっこりしてきてしまったのだ。

一方で、銀行の預金口座の残高ばかりはドラマチックに減って行ったのだ。

僕はそこで立ち止まって考えざるを得なかった。

これでは、自分が否定した「老後リタイアしたオッサン!」みたいなハワイライフじゃないか!

いやいや、違う、違う。

このバケーションは、今後の自分の人生へのインスピレーションを最大にする為に起こしたアクションではなかったのか?

そして悟った。

この休暇中、僕に決定的に欠けていたのは明らかに
「主体性」
だったのだ。

ハワイは、何と言うか、母性に満ちあふれているような土地だ。

観光客もローカルもメインランドからやってくるホームレスも、全ての人を優しく包んでしまう。

(それぞれ過酷な現実を抱えている人もいるだろうけど、実際に本土のミシガンとかウィスコンシンとか、コロラドとかイリノイみたいな冬が強烈な所とは全然違う。アラスカなんか想像もつかない。)

なので、うっかりとその居心地の良さにフワフワしてしまう。

そういう優しい母性から乳離れをする為には、主体性というか、英語で言うIndependence spirit を持たなくてはならないことに改めて気が付いた。

ハワイでバケーションを過ごしながらそういうことを考えている人間が他にいるのか分からなかったが、僕のような自分に甘い人間の代表選手みたいなヤツは、クリアに意識をしなくてはダメなんだと気が付いた。

結局、ロンバケといっても無為に過ごすのであれば、それは単にボ〜っとした日曜日が連続するだけなんだと、当たり前の事を実感することになった。

そこには会社のメンドクサイ人間関係もない。
金曜の夜に電話をかけて来て月曜の朝までに資料が欲しいというようなクライアントもいない。

いるのは、ただ自分だけだ。

自分と向き合う事から逃げずに、真の自分に気が付かなければ、何もロンバケはもたらしてくれる事は無い。

それには主体性を意識的に持たなくてはならない。

もっと言えば、「自分が自分のボスになる」、ということの意味を理解する、という意味だ。

20年間サラリーマンだった僕は、骨の髄までサラリーマンになっていて、真の意味で「主体性」を持って「行動する」という行為に慣れていなかったことに気が付き愕然としたのだった。

今までは、会社の目指す方向だったり、ボスの指示に文句を垂れながら従うメンタリティでも生きて行く事が出来た。
なので、いざ有給休暇となるとその開放感に浸るだけで十分だった。

しかし、渡って来た橋を燃やす覚悟みたいなノリのロンバケでは、主体性を持つ事が何よりも重要だという事にやっと気付いたのだった。

そういう発見の中で、以下のような最低限のしばりを自分に課す事に決めた。

○流されるにしても主体性を持って流されること。
○家族の絆を感じまくる事。(これだけ長時間フィジカルに一緒に行動したことがあっただろうか?)
○目の前に起こっている事を見極めて、ひとつずつ考えながら行動すること。(日常のささいなことを見逃してはならない。何かのサインかも!)
○感じた事を簡単にメモに取っておく事。(毎日)
○食った食事をフレンチからスパムおむすびまでログって置く事。(毎日)

メシまで?!とか思うけれど、実は食事を選ぶという行為は主体性を持つトレーニングの上位に来る概念だと僕は思っています。



長文にお付き合いいただき感謝です!

2014年11月24日月曜日

サラリーマン強制終了からのロングバケーション考。その1。

"バケーションの何が素敵かって言ったら、スケジュールという縛りから解放される事よ。
普段の私のスケジュールは朝から晩までぎっしり。
でも、バケーションの時は、そのスケジュールを一切忘れるの。"

(The thing I love most about going on vacation is that I get to leave behind any kind of schedule. My entire life is scheduled from morning to night, and when I'm on vacation, there is no schedule.)
ケリー・クラークソン(アメリカンアイドル初代チャンプ)

バケーションは非日常と同義なので、効率を重視するスケジュールを立てるのは粋ではない。

心の底ではそう思っているのだが、僕は貧乏性で朝から晩まで、どこに行って何をするか、というのを事前に決めておくタチだった。

次にいつ取れるかも分からないせっかくの有給休暇を有意義なものにする為には、分刻みのスケジューリングが大事だ。

南の島に遊びに行って、最悪雨だった場合のプランBまで考えていた。

ところが、その通りに進んだ事が無い。

何故なら、バケーションの開放感から、大抵前の晩にガンガン深酒をしてしまうので、当初の時間通りに起きられた試しがないからだ。

そうやって、有名無実と化したバケーションスケジュールを前に、中途半端な消化不良の中で有休を消化するようなものが僕に取ってのバケーションだった。

それでも、そういういい加減さもバケーションの楽しみには違いなかった。

かつて働いた会社の香港支社にサーファーのブラジル人がいた。

彼とは電話会議の度に怒号に近いほぼケンカなやり取りをするような仲だったが、彼が出張で東京に来た時には10年来の友人のように酒を飲んだ。

彼を恵比寿にある行きつけの立ち飲みワインバーに誘い、サーフトリップの為に一年仕事を休んだという話を聞いた。

南アフリカとインドネシアを中心に旅をしたらしいが、日本ではそういうサラリーマンが皆無なので、非常に羨ましかった。

彼は、そういうバケーションを定期的に取る事で、自分が生まれ変わる事が出来ると言っていた。

「お前はどうしてやらないんだ?」

そいつの全身からは「オレはオレの為の人生を生きてます」オーラが滲み出ていた。

一年のバケーション、という響きは文字通り腹に響きまくってしまった。

いい歳のオッサン(僕と同い年)が、平気で一年(仕事)を休み、また金を稼ぎにサラリーマンに戻る、という世界では自然のスタンスが、なぜ日本では自然ではないのだろうか。。。

数日したら元の現実に戻るような「有休消化」(消化って変な言葉だ。)ではなくて、人生が変わるようなドラマチックなバケーション。

今から4年くらい前だったが、僕はその頃からいつかロンバケをすると心に決めた。


キムタクと山口智子のドラマの世界だけしか起こらないと思っていた世界が、目の前にいるブラジル人が出来てオレに出来ないはずが無いという確信に変わったのだ。

40過ぎて、ほとんど何も計画を立てないような長期のバケーションを取るというのは、エキサイティングなアイデアだが、不安が無い訳ではなかった。

いや、頭のネジの5、6本を外すような作業が必要だった。

それでも、そう言う事が出来るのは40代の前半である今でしかないという思い込みもあった。

何となくだが、将来老人になってリタイアした後のバケーションでは、そのバケーションから得るかもしれないインスピレーションをその後の人生に活かす事は出来ないのではないか、と思ったからだ。

(そんなことは無い、という人もいるかもしれないし、いくつになってもインスピレーションを得ていたい。ただ、実際老人にはなったことがないから正直分からない。)

サラリーマンである事の疑問がどうしようもないくらいに高まった44歳の春に僕は会社を辞めたのだった。

3歳の息子と妻を道連れにした、ロンバケがこうして始まった。

To be continued.
長いので次回に続く。







2014年11月19日水曜日

なぜ日本人はハワイにこんなにも惹き付けられるのだろう。。僕なりに考えてみた。

先日、オアフのイーストサイドにあるHalona Cove Beach (ハロナ岬海岸)、別名Eternity Beachを訪れた話をフェイスブックにアップしました。

楽園とはこのこと
三方を高い崖に囲まれた、このビーチはまさに神の存在を感じさせるような佇まいで、僕はプール用のゴーグルをかけて飽きる事無く、素潜りをしまくって童心に返りまくっていた。

すぐ横ではメインランドから来たような白人カップルツーリストが肩まで海水に浸かりながら、とろけそうな顔をしながらイチャツキまくっていた。


映画from here to eternityの舞台になったことからこの別名が

そのフェイスブックのポストに、森羅万象に八百万の神が宿るという日本人のメンタリティとハワイの自然の中に「神々」の存在を信じるこの島の人々のメンタリティには親和性がある、みたいなことを書いた。

ハワイに訪れるツーリストは年々アジア、特に韓国や台湾の人達の割合が増えてはいるが、やはり圧倒的なのは日本人だ。

それも、毎年1回から数回とリピーターがとても多い。
誰かが言っていたが、海外の旅行先でこれほどリピーターが多いデスティネーションは珍しい。

きっと「ハワイ好き」には色々な理由があるので、僕がここで偉そうにその傾向と理由と背景、みたいなこと一元化して書けるわけがない。

ただ、

- 憧れのハワイ航路の時代から刷り込まれた楽園のイメージ
- 日本からの絶妙な距離感からの非日常感
- 常夏で爽やかな潮風(何と言ってもこれ)
- ハワイ特有の蒼い海(何と言ってもこれ)
- ビーチライフスタイルを満喫(だから絶対にこれ)
- そして、英語がヘタクソな日本人でも全く問題なく過ごせる環境

などという要素以外に、日本人の心の底にある宗教観に最も近い外国がハワイだからじゃないだろうか、と神聖な海の上でプカプカ浮かびながら考えたのでした。

そう宗教観です。極論過ぎます。確かに。。

日本人は海外に留学したり、駐在なんかをしている時に、現地の人間から「お前は神を信じてるのか?」と聞かれ、「私は無宗教です」とリアクションすることがほとんどのケースだろう。

もしくは、葬式を思い出して「(何となく違和感あるけど)仏教徒です」とか言うのではないだろうか?

クリスチャンの割合は隣国の韓国と比べても圧倒的に少なくマイノリティなので、ほぼ日本人は自身を無宗教、もしくは「多分」仏教でしょ、と感じている人が多い気がする。

アメリカはご存知の通り、プロテスタントが中心になって建国したクリスチャンの国で、大統領も宣誓の時にバイブルに手を当てて行う。

ハワイは最も新しい合衆国の州ということもあって、明らかにそういうクリスチャニティ的なカルチャーから一線を画した所に存在しているように思ってます。
王国だったし。

無論、一般的なローカルは洗礼を受けているケースが多いだろうし、教会も普通に至る所にある。

ただ僕が感じるのは、このハワイ諸島特有の創世神話だったり、山や海などの自然に宿る「神々」のストーリーだ。

神々、というだけで八百万の神とシンクロしそうになる。

僕らがオアフでショップをオープンする時に、こちらのカフナ、いわゆる祈祷師にクレンジングと呼ばれる神聖な儀式をお願いしたが、これはまさに日本における地鎮祭と同じような性質を持っていた。

日本の神道は細かい教典はない。ただ、伝統的な祝詞を厳かに読み上げ、自然に敬意を表し、感謝を述べるという意味でも共通だ。

そういう場合の「神」とは一神教で言う「God」とは全く異なると感じている。

ここには「神」を感じるよね?みたいな、感覚的なゆるい、それでいて厳かな気分だ。

僕の大好きな写真家、三好和義氏の「楽園」シリーズにおける、沖縄の「ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄」とかいうタイトルから感じるスピリチュアルな感じだ。
一時は枕元に置いて寝るくらいにハマった写真集。最高過ぎる。

僕はそのユルさこそ、日本人の多くが共通して持つ宗教観だと思っています。
そこに良いも悪いも無くて、いたって歴史的かつ文化的な価値観だとも思います。

自然と共に生きて来た民が、自然に対して畏敬の念を持って接する時の、心地良さが日本人が本来持っていた自然への思いと高い親和性を持っているのだと感じるのです。

それこそが、日本人がここまでハワイを大好きな理由なんじゃないかと僕は、Eternity beachの澄んだ海の中でお魚さんとブクブク戯れながら感じた事だった。

僕ら日本人の多くは、日頃改めて「宗教」ということを考える事は特定の人達を除いて非常に少なくなっていると思う。

ただ、それはあまりにも日本人の宗教観が、日常に浸透しているが故だと僕は思う。

初詣に神社へ行き、教会で結婚式を上げ、クリスマスを祝い、そして仏式で葬式を上げる、というのは節操のなさの象徴みたく言われる事が多いが、僕は日本人らしい宗教観に基づいた当たり前の習慣に思える。

だいたい、あの七福神だって、恵比寿様一人を除いて全てが外国から来た神様だ。
なんというユルさと包容力!

この森羅万象に神々が宿り、外来の神様ですら包み込む包容力のあるのが本来の日本人だとするなら、昨今の閉塞的な日本の環境は日本人本来の姿ではないのかもしれない。

ハワイに来て、一様に日本人のツーリストが癒されてパワーを身にまとって帰国する姿は、僕には昨今のスピリチュアルブームなお伊勢詣りに通ずるものを感じます。

そして、僕はそれを非常にポジティブに感じてるし、僕も日本にいる時はお伊勢にお参りに行って、松坂牛をがっつり食べて帰って来るのが大好きです。

ハワイに来て、一様に日本人のツーリストが癒されまくって帰国するのは、このハワイにある包容力と自然に対する畏敬の念が、自分達の心の奥底にあるチャネルと合致するからなのかもしれない。

それがスピリチュアルと呼ぶのか、何なのか僕には分かりませんが、このハワイの自然が持つ偉大な神聖なるパワーは僕や大勢の日本人にプラスの気を与えてくれることは間違いないと確信しているのです。

2014年11月16日日曜日

「精神論」は悪者か?スキミング&カード偽造被害に遭遇して考えた。。。

「精神論」というのは、最近の日本ではとにかく嫌われる。

ものすごくネガティブな感じで捉えられている。

もちろん、前時代的な古い日本の精神論だけのオッサン臭をイメージしてしまって、汗をかかずに何でもスマートにこなすのがいいんです、みたいな最近の風潮と全く合致しないから当然だ。

僕も、野球部は有無を言わさず全員丸刈りとか、熱中症寸前まで炎天下で練習させるとか、そういう非科学的な体育会的理不尽さだったり、

技術もスキルも何も持っていないコーチ兼顧問が、全て「気合いで乗り切れ!」みたいなのは、死んでも好きになれません。

それでもここ一番は精神力、というかどういうメンタリティを持つか、というのは危機を乗り切る上で一番肝心要な部分じゃないかとも思っています。

なぜ、こういうことを書いたのかというと、とうとう、ついに、何でこのオレが!という感じなのですが。

クレジットカードのスキミング&偽造カード被害にあってしまったからです。

今朝、息子と二人で妻に内緒のスナック(僕はビール)を買い出しがてら、徒歩で行ける近所のスーパーへ。
その際、自分の日本の銀行口座からキャッシュを引き出そうとした時に「残高が足りません」の文字。

「なわきゃないだろ」
という事で、そそくさとスーパーを出て近くの銀行の支店のATMへ。

悪い予想通り同じ結果。

念のため、残高を印刷してみて出た最初の言葉が「Whatta Fxxk!!」だった。

そう、5歳の子供の前で大人が最も使ってはいけない禁断の英語4文字「ファッ●!」です。

それを思わず口走るほど、ショックな金額が印刷されていたのです。

ってか、ほとんど入ってないんじゃん。
オレの全財産はどこへ?ファッ●!

これは何かの間違いだ。そう思いたかった。

そうだ、この銀行もさっきのスーパーのATMも同じ銀行のブランドじゃないか。
ということは、この銀行にとんでもないトラブルがあって、デフォルト状態になっていてキャッシュが引き出せないだけかもしれない。

しかし、この残高がきっちり「ゼロ」とかだったら、何かの間違いだと思えるのですが、
「$198.18」(数字はフィクションです)みたく何となくリアルな感じだったので、確実にどっかの悪党にやられたと確信したのでした。

僕は自由と引き換えに毎月の給料を放棄した人生をチョイスしているので、日本の銀行の口座にある現金は、ある種、というかガチに保険みたいなもの。

それがすっかり無くなってるじゃないか!ファッ●!

僕はATMの前で茫然自失で立ちすくんだ。
おいおい、これからどうやって過ごせって言うんだよ。

「パパ、さっきホワットの後なんて言ったの?」
と息子が僕を見上げていて僕は決心した。

ここは動揺している場合ではない。

そうだ、こういう時に父親であるオレががどういう態度に出るか、それを神から試されているのだ。

その時とっさに頭に浮かんだのはマクラーレン刑事だった。

マクラーレン刑事は、どんな試練に次ぐ試練、アクシデントに次ぐアクシデントが起こっても「オラオラ、かかって来いよ!」
とばかりにタンクトップ一枚で足にガラスの破片を突き刺して血だらけでも不敵にニヤけていた。

ブルース・ウィルスがダイハードで演じたマクラーレン刑事はオレのヒーローだったじゃないか!

息子の目線までかがみ込んで僕は言った「さっきはホワッタファー(なんておならだ)!って言っただけだよ」
そう言ってブルースウィルスお得意のトラブった時の微笑を息子に向けたのだった。

もう僕の頭では、銀行のネットワークを使って仕掛けてきたサイバーテロリストとの戦いに勝ってやるというイメージが固まっていた。

こんなことでヘコムくらいなら、海外にも住まないし、フリーになんかならない。
そうだオレはファイターなんだ。マクラーレン刑事なんだ。
どんな困難が降り掛かろうとも、このオヤジは不適に笑う。普及の名作。特に一作目。

結局目の前でなんらかの乗り越えなくてはならない試練というか、トラブルが起こった時に必要なのは、最初は精神力なのだと実感した。

それがあって初めて、パニクらず、冷静に状況を把握し、そしてロジカルに展開を予想することが出来る。

起こった事実が強烈であればあるほど、その出来事は精神というか心にチャレンジしてくる。
そこを、マクラーレン刑事のようにまず笑ってしまえれば、次の展開は冷静に判断出来るのだ。

1. 先ずネットバンキングのアカウントで状況を把握する(何とメンテナンス中で機能してなかった。ますますサイバーテロだと思った。)

2. で、銀行の緊急ホットラインに確認する。(映画でよくある様に、最初の相手は何となく非協力的な雰囲気を持っている。この電話の相手もそんな感じだった。後半は非常に親身になっていただいたが。)

3. クレジット会社に電話する。(ここで強い協力者と出会う。どこで憎いテロリストが僕のカード情報をゲットしたのかを二人で追跡を始めた。不謹慎だが、ワクワクしてしまった。)

結果として、明らかに不正使用があったことが判明し、今後更なる調査の上、被害金は全て口座に戻されることになった。

僕の大事な虎の子を盗んだファッ●、もといオナラ野郎は心底憎いが、日本の銀行、カード会社両者の対応には心から感謝することになった。

大事な週末を捧げて、顧客のトラブルに真摯に対応してくれるこの安心感は、やはり日本ならではと僕は実感する。

生きていると色々な事が起こる。

そんな時に、どういうメンタリティで対処するか。

やはり、「精神論」って僕は大事だなぁ、とそう思うんです。

2014年11月15日土曜日

Kindleを購入しようかどうか迷ってる人に全く役に立たない個人的Kindle体験な話。

今さら、Kindleって素晴らしい、などと言ったことを書こうと思って、その前に少しググって見た。

案の定、Kindleのテクニカルなかなり詳細なレビューや、電子書籍端末の頭打ちの記事、はたまた楽天のkoboに対する辛辣なポストなどありとあらゆる情報がネットで踊っていたので、相当怯んでしまった。

ただ実は、先日暇な時にEvernoteにつらつらとKindleへの想いを綴っていたので、そのままボツにするのも憚られ、やけくそでアップする事に決めた。

持ってて良かった、この一台。ホントに。

そもそも何でKindle(アプリを含め)の事を書きたいかというと、
例えばあまりにも身近過ぎて、その存在のありがたみに気付かないことってあるよなぁ、と考えていた時に、オレにとってのソレは家族とiPhoneとKindleだと思ったからです。

その3つというのは、自分にとってハンパ無く重要にも関わらず、日常ではうっかり存在ですら当たり前になってしまっているもの。

なおかつ、存在の以前と以降では人生そのものが決定的に違っているという部分で共通している。

結婚して子供が出来たことで、僕の人生は大きく変わった。

カメラも音楽もスケジュール帳も、テレビ電話も、天気予報も、辞書も、そもそもネットがたった一つに凝縮され、手のひらに収まるガジェットなんて昭和生まれには奇跡としか思えない。

そしてKindleは僕の人生にどう影響したのか?

>愛すべき本をブックオフに売らなくても良くなった。

Kindle以前:部屋の断捨離などの機会に断腸の思いで、書棚に鎮座して余裕の顔をしている本を泣く泣くブックオフで叩き売った。
僕にとって値千金な価値を持つ本も、2003年食べ歩きマップみたいな本も、ブックオフの合理的なシステムによって、全てフェアに扱われるのは不憫だった。

>ハワイへ戻る時の、本セレクションの悩ましさからの解放!

Kindle以前:旅行トランクの中に本を入れすぎて重量オーバーというケースがあった。

なので、出発前夜は日本代表を選ぶ監督の気分で、ほとんど徹夜でシミュレーションして本のセレクトを行っていた。

そうやって努力をしてもハワイのアウェーな&ユルい空気では全くページを開く気になれないような本をセレクトしてしまう失敗もあった。

>機内で読む本にバリエーションが圧倒的に増えた為、空港内本屋で焦って本を買う事が無くなった。

Kindle以前:搭乗してから離陸し機内のエンタメがスタートするまでのハンパな時間に読めるような軽い本を空港で買っていた。
ところが、本屋での気分と、機内での気分が全然違い過ぎて「オレは、何でこんな本買っちまったんだろう?」ということがしばしばあった。

>暗闇でもどこでも堪能出来る。

Kindle以前:ベッドに本を持って入って、気が付いたら爆睡ということがほぼ毎回だった。ベッドサイドライトの電気代を無駄にしていた。

>買ってすぐ読める利便性は至福。

Kindle以前:ハワイという離島にいるので、買ったのを忘れる頃に届き、そしてそのままパッケージを開けないで一ヶ月とか経ってしまうことがあった。

上げれば上げる程キリがないKindleの魅力ですが、唯一の難点と言えば、ミステリーを読んでいて、伏線っぽい箇所に戻って確認するのがメチャクチャ面倒な事。

この感覚的にページをパラパラ高速で行えるのは紙に軍配が上がるな、やっぱり。(まぁ、慣れるもんですが。。)


とは言え、ブックオフ通いと徹夜でのセレクションを聞いて哀れに感じこんな愚兄にKindleをプレゼントしてくれた義妹と、ここまでブログを読んでいただいた皆様に感謝します!

2014年11月12日水曜日

もし、アナタが毎日の生活にくすぶってしまっているなら。答えは「旅」にあるのだ。という話。

僕たちはみんな年が変わる度に別の人間になるんだ。
僕は、生涯を通じて、誰しもがずっと同じ人間であるとは思っていないんだよ。

(All of us every single year, we're a different person. I don't think we're the same person all our lives.)
by スティーブン・スピルバーグ

東京に滞在していた時、僕は同世代(中年コヤジ、妙齢女子)の友人、知人らと、出来るだけグループじゃなく、個別に会って酒を飲んだ。

(思い切って!)一年もの長いバケーションを取ってしまったので、自分がどこまでボケてしまったのか、単純なキャッチアップをしたかったのでした。

そんな中で、外資系企業でディレクター職についているオトコと話した夜のことが印象に残っています。

僕は無責任極まりない男なので、「お前も会社辞めちゃえば?!」などと煽っていた訳ですが、彼は「お前は能天気過ぎる」という顔で言った。

「だよな。そうしたいとは正直思う。
でもさ、自分が何が出来るのか、何をしたら良いのか全く検討もつかないんだよ。
ただこの息詰まりな感じだけはなんとかしたいぜ。」

ジェネリックに言ってしまえば、彼は決して無能な男ではない。むしろ有能だ。

後輩からも、部下からも、上司からも、そしてきっと顧客からも信頼され、歳を食って異常に酒に弱くなってそこら中で寝てしまうことを除けば、実に完璧な男だ。

そんな彼ですら今の現状に閉塞感を持ち、将来に対する展望がうっすらとも見えなくなっている様子に僕は頷いて、ホッピーの黒をおかわりする事しか出来なかった。

  • 勤務している会社の方向と自分が目指したい方向とのギャップ。
  • バブル全盛上司や氷河期サバイブ部下との世代間ギャップによるソリの合わなさ。
  • 今の仕事が本当に自分のしたい事なのか、年々不明確になるのに、気が付くと一日が終わってる気持ちの悪さ。
  • 家族も出来て、自分の収入が自分だけのものではなくなった責任感と自由への渇望との葛藤。
  • 何よりも、キモい政治屋の跋扈する企業という組織への嫌悪感。
  • 年々消えかかって来る様に思える人生への情熱の炎に辛うじて枯れかけたオイルを注ぎながら過ごす生活。
  • 同世代や年下の人間がスタートアップで苦労しながらも輝いている姿へのかすかな憧れ。


これは、彼だけではない。

そう、数年前の僕自身の姿でもあるのだ。

東日本震災後の会社勤めへの違和感。
そして、下血してぶっ倒れ緊急搬送された2011年暮れから続いていた虚無感。

昔だったら、「それが大人になることだよ。何を甘い事言ってるんだ」と一笑に付されるような心の葛藤だ。

しかし、「葛藤」は乗り越える為にそこに存在しているのだ。

優れたストーリーには必ずヒーローが乗り越えなくてはならない「葛藤」が設定される。

「葛藤」がなくてはそこにヒーローも存在しないのだ。

これはストーリーテリングの動かしようのない鉄則の一つだ。

そう、僕ら中年は、その葛藤を乗り越える事で「ヒーロー」になれるかもしれないのだ。

無名のヒーローでもいいじゃないか。
自分の心の中にいるだけのヒーローでもいいじゃないか!

では、そこにいる凡人がヒーローになる為には、どうしたら良いのか。

答えは「旅」にある。

先に言っておくと、「アンコールワット遺跡を観に行こう」という旅行の事ではありません。
(いや、それでも充分価値があるはずだ。)

「葛藤」を乗り越える為に「旅」に出る。
ヒーローズジャーニー。

ルークスカイウォーカーも砂漠の星で、くすぶっているただの文句ブーブーの小僧だった。
それが、苦難と葛藤を乗り越え、最後には英雄として讃えられ、旅から帰還して、エンドタイトルとなる。

ロッキーもしがないヤクザ稼業から、エイドリアンと出会い、一縷の望みをかけて世界チャンプと対戦するまでの葛藤を乗り越えて、伝説のヒーローになった。

ヒーローになる為の旅には鉄則がある。
それは日常を捨てる、ということだ。

自ら、非日常の世界に足を踏み入れて、幾多のチャレンジをこなさなければならない。
ロードオブザリングのように。

そして、新しい人生を手に入れる。

(ロールプレイングゲームもヒーローズジャーニーがベースなのは言うまでもない。)


だから、もしアナタが上に書いたようなくすぶった気持ちでいるのなら、思い切って旅に出るしかない!

きっとアナタは、大学を4年で卒業して、皆と同じ様にロンゲを切って就活し、そして10年以上もサラリーマン、OLを続けている人かもしれない。

敢えて断言してしまうと、それは「日常の連続」でしかない。

アナタは、次の転職先に移る時に、有休も消化しないような律儀な人間かもしれない。

でもそれはもう金輪際止めてみよう。

少なくとも有休分はmust、理想的には半年くらい。
人生に一回でいいから非日常の旅を取り入れてみよう。

もちろん、リスクは伴うのは覚悟の上だ。
お金も減る。家のローンは。子供の教育は。
そうあなたは責任のある立場だ。
家族をリスクにさらす必然性は僕も感じない。

でも、もし自分の人生をただ「浪費」しているように感じるのだったら、そしてそれが堪らなく嫌なんだとしたら。
やってみる価値はあると思う。

僕の様に馬鹿げたチャレンジは出来ないかもしれない。
しかも、それ以上に僕は無責任だ。
文責はあるが、あなたの人生の保障は出来ない!

自身が信じるチャレンジに身を投じれば良いという話だったらどうだろう?

だから、「非日常」というキーワードで
自分なりの「旅」を探してみよう。

リスクを取ってチャレンジをしなければ、あなたがヒーローになることはきっとこの先も無いだろう。
何故なら、それは鉄則だからだ。

これは思いっきり蛇足かもしれないけれど、あなたが共感する全てのハリウッド映画をもう一度観てみよう。
そこには、必ず主人公が葛藤に直面し、それを乗り越える様が描かれているはずだ。
どんなドラマにもだ。コメディでも、マフィアモノでも、スパイダーマンでも。




もしその映画が駄作だと感じたら、その葛藤が巧く描かれていないか、もしくは完全に組み入れられていないかのどちらかだ。
(邦画に結構多い気がしてるのは僕だけだろうか。。)
唯一の例外はハリウッドのシステムの出身ではないタランティーノのレザボアとパルプフィクションだと個人的に思ってます。

あなたが自分のストーリーを演出するディレクターだったら、どう葛藤を乗り越える展開を描くだろう。

そして、どのような新しい日常を、人生をその先に描くだろう。

などと。。。
偉そうにほざく僕個人のヒーロージャーニーはまだ始まったばかり。

まだまだ旅の途中。
幾多のチャレンジに出会いながら。
自分をあたかもインディアナジョーンズのように思い込みながら。


2014年11月8日土曜日

子育て讃歌な素敵なCM二本。子育てって真剣に大変だけど、プライスレスな歓び でもあるんです、という二本。

僕は20年もの間アドマンだったので、今でも広告というかクリエイティブの世界に強い関心があります。

自身をライフクリエイターだと思っているので
(いや、自分の目でモノを見て、判断して、今日の生活を創造しようとしている人はみんなライフクリエイターだと僕は思うのですが)、
クリエイティビティが持つ底知れないパワーをいつも感じていたいと思っています。

基本的に「広告」というのは「製品やサービス」を売る手段に過ぎませんが、時に感情をくすぐる佳作とでも言うべき優れたコンテンツに出会える事があります。

今日ご紹介する2つのCMはどれもが、アイデアは非常にシンプルですが、それでも深い洞察に基づいた優れて人の感情に刺さる設計がされた作品です。

どちらも、「子育て」というモチーフを使っていますが、よくあるカワイイ子役に、可愛らしくセリフをしゃべらせると言った陳腐でクリシエな手法からは程遠いものです。

僕の友人のドクターは、虐待を受けた子や10代になったばかりなのに売春行為で補導された子達が収容される施設で働いています。

彼女の話を聞くと、本当にそんな酷い事が日本で起こっているのかと疑いたくなる、耳を塞ぎたくなるような扱いを受けている子供達が多くて驚くのです。

いかに事情があるにせよ、子供に罪は絶対に無い。
あるのは常に大人の勝手な事情なのだ。

子育てってのは、そりゃあ、もう大変だ。
子供は大人の言う事は絶対に聞かないし。
そこに何らかの法則があるんじゃないか??っつうくらい、大人目線では「やってはいけない」ことばかりしでかすものなのです。

完璧な親になろうとなんかしなくていい。
元々誰しもが不完全な大人なんだし。
完璧な親なんて、存在しない。

だから、肩の力を抜いて、今この時間を慈しもう。
子供と歓びを分かち合おう。
子供と一緒に泣こう。
子供と大笑いしよう。


こういうCMは人生を慈しんで楽しもう、そういうインスピレーションを与えてくれます。
英語が全くわからなくても全く問題ない素敵な作品です。











2014年11月6日木曜日

最初から優れたアイデアが必要なんて誰が言った?!先ずは、まっさらな白い紙に描いてみることから始めよう!

息子が熱心に画を描いていて。。。。
上から覗くと、果たして何の画なのか全く検討も付かない。

途中でどうやら描きたいものと違ったらしく、新しい紙をくれ!とせがんで来る。
また黙々と描き始める。

そして出来上がったのが、この画だ!
どーん!

おお!やっぱし何が描かれているのかさっぱり分からんぜ。

本人に聞いても、どう答えて良いのかわからない様子。

僕はなにげなく、それでもつっこむように、もう一度「何の画なのよこれは?」と聞いてしまった。

息子は苦し紛れっぽく「ウルトラマンマックス」と答えたのでした。

・・・・・僕はここで、もの凄い間違いをしたと気が付いた・・・。。。

これは当然ウルトラマンマックスではない。

僕が納得するような答えを息子なりに、描き終わった後に「後付け」で考えてしまったのだ。
彼なりの創造性を、無理やり「パパがきっと分かる範囲」という狭い所に押し込めてしまったのだ。

本当は、彼がどこかから受けたであろうインスピレーションを具現化すべく、ただペンが動くに任せて描いていただけなのだ。

夢中で、懸命に、愚直に、自由に、そして真っすぐに。
仕上がりがどうなるかも分からずに、ただただ、思うがままに。

何が描き上がるか、ワクワクしながら。

ここで、親ならどう声をかけるべきだろう?

「○○ちゃん、お山とか海とか、○○とか描こうよ」とか言うのだろうか?
う~ん、正解とは思えない。

「何だよ、これ?変な絵だなぁ」とか言うのだろうか。
これは当然、不正解だ。

こういう時の子供が凄いのは、思うに任せてとにかく描いてみる、というアクション至上主義な所だ。

ダメで元々、失敗したら次を描くまでだ。
次の画用紙をくれ!(正しくは僕のメモパッドだ)
最高にカッコいい。

何をすべきか、紙を前にウンウン唸っているより、先ず描き出す。
動き出す。気に食わなかったら、別の画用紙にまた描き出す。

最近、友人で起業家の吉野竹彦氏のブログでジェームス・C・コリンズの名著ビジョナリーカンパニーについてのポストがあった。

通常は、『素晴らしいアイデアがあり、それを実現するために会社を設立したのだろう』と私たちは思い込みがちです。しかし、多くの優れたビジョナリー・カンパニーの設立時の様子を調べると『とりあえず会社を作った、そして、アイデアを探した』というのが
実態だったのです。特に、設立初期では、なんでも屋のように、あらゆる可能性を試した
企業がほとんどでした。
上記は彼のブログからの引用。(そもそもの引用元は永田豊志著「思考の法則」から)


要はこういうことだ。
優れた会社は最初に「確信出来る優れたアイデア」ありきだったわけではない、会社の存続の為に愚直にあらゆる可能性にチャレンジした会社だ。

(僕がかつて何度も睡魔に襲われそうになって読んだ時は、時折メモったりしたのですが、読むのに時間がかかるのと、全体的な印象として結局大企業礼参にしか思えず、読み疲れしてしまったのでした。こんな素晴らしい示唆があったとは。自分の読解力のなさに愕然!)

会社にいた頃、良くこういう議論をした。

先にビジョンを明確にしないとダメ。
このビジネスに優れたアイデアはあるのか。
プロジェクトのマイルストーンは綿密に設定したか。
損益分岐のシミュレーションはしたのか。

正論だ。
でもワクワクしない。

しっかりとした事業計画を立てて、リソースの全てが揃ってからスタートする。
一見正論だが、それではいつまで経ったって何も始まる事は無い。

ハワイに住んでみたい、それだって時を待っていたらきっと今でも東京を離れる事はなかっただろう。


先行き分からんが、取りあえず行っちゃえ!そうやってジャンプしたからこそ、今がある。

絵の具が揃ってない。
ちゃんとしたキャンバスがない。
そもそも何を描こうか決めてない。
描く画の最終形がイメージ出来てない。

So what??

目の前に白い紙があったら、何でも良いから何かを描き始めれば良いだけなのだ。
ワクワクしながら描いていれば、いつか満足出来る画が描けるかもしれない。

一人ビジネスやマイクロビジネスなんてものは、事業の存続イコール自身の存続だ。
昨日やってた事と、明日やってる事が違って当然の世界だ。
どうサバイブするか、それしか命題が無い。

そんな時に、綺麗なパワポの企画書はいらない。
まさにペーパーナプキンプレゼン、エレベータープレゼンの世界だ。

だから、僕は息子のヘンチクリンな画を見ても、「ぐだらない質問」も「批評」もする事はもはや無いだろう。

「これは凄い!」と感嘆し「次は何を描く?」という言葉を繰り返し、彼が自分の可能性を引き出す為の愚直なチャレンジを応援したい。


それがそのまま、自分への重要なインプリケーションになるのだと気付いたのだから。

2014年11月4日火曜日

昨日のポストの後編として。ほぼジムと歯磨きについてになりました編。

いつかやろうと思ってます。
の「いつか」は一生来ない、というのはオフクロの口癖です。

100%オフクロは正しいので、「いつか書けばいい」と一瞬でも思ってしまった、昨日のポストの続編を間髪を入れず今日書こうと思います。

以下、その後編となります。

6)週3回はジムに通う。
そして、ムキムキの筋肉ではなくて、体幹とコンディショニングにフォーカスを始めた。

「程よく筋肉を刺激することは、脳下垂体から分泌される成長ホルモンの分泌を促します。」
photo by flickr 

要は、毎日寝ていてもガンガンにホルモンを出しまくっていた10代には遠く及ばないものの、筋トレすることで細胞と脳みそに「あれ、オレの身体ってもしかしてまだ30代だったけ?」と勘違いさせてやろうというチャレンジです。

実際、肌ツヤが良くなる効果もあると思うし、筋トレ時に浅く頻度の高い呼吸(胸式呼吸)をすることで、いわゆる「やる気ホルモン」みたいな物質が出て、考え方もポジティブになります。

最近は40の手習いで、サーフィンを練習していますが、体幹が弱っている事を実感してます。
なので、筋肉肥大を目的にせず、コアにフォーカスするようにメニューを変えています。

例えば、街を歩いていて、見た目やファッションは若作りでも、歩き方で一発で「ジジババ(失礼!!)」と分かってしまう人は、大概体幹が衰えているのだ、と僕は思います。

コアがしっかりしていれば、姿勢も維持出来るし、何より歩き姿に差が出るはず。

7)ストレッチポールをする。

僕が、過去十年で買ったグッズの中でもベストバイは何と言ってもストレッチポールです。
iPhoneを超えてトップです。
最近似た製品が多いのですが、これが一番使いやすい


たかだか数千円の製品ですが、毎晩ベッドに入る前にコイツを使った一連のストレッチは至福です。

購入して数年は毎回「これを買ってマジで良かった」と呟きながらストレッチをしてました。

いわゆる身体のメンテ、というかコンディショニングの為に使用しているのですが、肩甲骨や背骨、腰椎などの調整に抜群な効果を発揮してくれてます。

最近はフィットネスジムなどでも置いてあります。
順番待ちまでして、至福な面持ちでゴリゴリやってる人を見かけますが、その気持ち分かります。

でも、寝起きの固まった身体をほぐしたり、就寝前のリラックスの為には自宅に一本のストレッチポールが真剣にお薦めです。

もちろん、ジムでもワークアウト前後に使ってます。

神経に意識をフォーカスしながら動的なストレッチをすることで、筋肉と神経の連動も強化され、四十肩とかの防止にもなると思ってます。

8)プロポリスを使ったプレブラッシングとベイキングソーダをアフターブラッシングに使用する歯磨き

アメリカは本当に医療費が高い。
真剣に高い。

なので、アメリカでデンタルクリニックにかかるのは恐怖なわけです。
保険に入っていても被せ物が取れただけで、何百ドルとか聞くと日本の社会主義的な医療制度は奇跡だと感じるのです。

もちろん、アメリカは徹底した資本主義の総本山なので、お金さえ出せば世界最高水準の医療が歯科治療だけではなく受けられます。

それでも知り合いのアメリカ人から、「歯の治療の為に越境して南米まで治療に行って来た、そっちのが安いし最新治療を受けられるのさ」、みたいな話を聞くと、この国どうなのよ?とか思いますが。

僕は勉強熱心な最近の若い歯科医師の方を信用しているので、日本に行く度にメンテナンスしてもらってます。

そこで、歯周病とミュータンス菌の検査をしてもらった時に(顕微鏡モニターで見る自分の口内環境はカオスでした。)

処方された歯磨き剤。口内の菌を一掃する薬剤で、是非アメリカに持って帰りたいと思って、購入出来ないか聞いてみた。
結果、そのものは購入出来なかったのですが、それに近いものとして、これを薦められました。

Tom'sの歯磨きペイスト。
その時は、クリニックで買ったのですが、ネットでも買えた。

ただ、最初に処方された薬剤の菌をバスターしてる感じが忘れられず、結局あれはプロポリスだったんじゃないかと勝手な結論に至った。

薦められた製品もプロポリスって書いてあるし。
色も茶色かったし。

そこで、甘味がゼロの無調整っぽいプロポリスをホールフーズでゲット。

プロポリスは自然の抗菌剤であるし、飲む人もいるくらいだから、歯磨きに使っても良いだろうと使ってます。

結構ピリピリ痺れる感じが「バスター感」を醸し出してくれてます。

もちろん、激しく色が付くので、あくまでもプレブラッシングで、主に歯茎のポケット部分を優しくブラッシング。

その後写真のペーストを使ってしっかりブラッシングしています。
なので、色の沈着はありません。

そしてフィニッシュはベイキングソーダ、(重曹ですね)を溶かした水で30秒x2回のゆすぎ。
と言えば、こちらのブランド

このゆすぎは食後もなるべくやるようにしてます。家にいる時限定ですが。

これは、そもそもアルカリ性の唾液が虫歯菌を殺菌する役割があるのですよ、本来は。
という歯科衛生士さんの話を聞いて、ググってみたら重曹水が口内をアルカリ性にしてくれる、というトピックスが幾つも見つかったので、それ以来使ってます。

メチャクチャ安いので、バンバン使っても気にならないし、今では息子のブラッシングのフィニッシュにも活用しています。


*あくまでも使用者本人の感想です。

老化は体幹から、そしてお口から、ということで。。。
良く、「若さは気力が勝負」と言う人もいるのですが、僕は「若さはフィジカルが勝負」な気がしてます。

身体がだるいと、動かない、気分が優れない、気力が萎える。歳を取る。
そういう循環な気がします。
身体のメンテは怠らず、日々のルーティン化しちゃいましょう!