息子が熱心に画を描いていて。。。。
上から覗くと、果たして何の画なのか全く検討も付かない。
途中でどうやら描きたいものと違ったらしく、新しい紙をくれ!とせがんで来る。
また黙々と描き始める。
そして出来上がったのが、この画だ!
どーん!
どーん!
おお!やっぱし何が描かれているのかさっぱり分からんぜ。
本人に聞いても、どう答えて良いのかわからない様子。
僕はなにげなく、それでもつっこむように、もう一度「何の画なのよこれは?」と聞いてしまった。
息子は苦し紛れっぽく「ウルトラマンマックス」と答えたのでした。
・・・・・僕はここで、もの凄い間違いをしたと気が付いた・・・。。。
これは当然ウルトラマンマックスではない。
僕が納得するような答えを息子なりに、描き終わった後に「後付け」で考えてしまったのだ。
彼なりの創造性を、無理やり「パパがきっと分かる範囲」という狭い所に押し込めてしまったのだ。
彼なりの創造性を、無理やり「パパがきっと分かる範囲」という狭い所に押し込めてしまったのだ。
本当は、彼がどこかから受けたであろうインスピレーションを具現化すべく、ただペンが動くに任せて描いていただけなのだ。
夢中で、懸命に、愚直に、自由に、そして真っすぐに。
仕上がりがどうなるかも分からずに、ただただ、思うがままに。
何が描き上がるか、ワクワクしながら。
何が描き上がるか、ワクワクしながら。
ここで、親ならどう声をかけるべきだろう?
「○○ちゃん、お山とか海とか、○○とか描こうよ」とか言うのだろうか?
う~ん、正解とは思えない。
「何だよ、これ?変な絵だなぁ」とか言うのだろうか。
これは当然、不正解だ。
こういう時の子供が凄いのは、思うに任せてとにかく描いてみる、というアクション至上主義な所だ。
ダメで元々、失敗したら次を描くまでだ。
次の画用紙をくれ!(正しくは僕のメモパッドだ)
次の画用紙をくれ!(正しくは僕のメモパッドだ)
最高にカッコいい。
何をすべきか、紙を前にウンウン唸っているより、先ず描き出す。
動き出す。気に食わなかったら、別の画用紙にまた描き出す。
通常は、『素晴らしいアイデアがあり、それを実現するために会社を設立したのだろう』と私たちは思い込みがちです。しかし、多くの優れたビジョナリー・カンパニーの設立時の様子を調べると『とりあえず会社を作った、そして、アイデアを探した』というのが
実態だったのです。特に、設立初期では、なんでも屋のように、あらゆる可能性を試した
企業がほとんどでした。
上記は彼のブログからの引用。(そもそもの引用元は永田豊志著「思考の法則」から)
要はこういうことだ。
優れた会社は最初に「確信出来る優れたアイデア」ありきだったわけではない、会社の存続の為に愚直にあらゆる可能性にチャレンジした会社だ。
(僕がかつて何度も睡魔に襲われそうになって読んだ時は、時折メモったりしたのですが、読むのに時間がかかるのと、全体的な印象として結局大企業礼参にしか思えず、読み疲れしてしまったのでした。こんな素晴らしい示唆があったとは。自分の読解力のなさに愕然!)
(僕がかつて何度も睡魔に襲われそうになって読んだ時は、時折メモったりしたのですが、読むのに時間がかかるのと、全体的な印象として結局大企業礼参にしか思えず、読み疲れしてしまったのでした。こんな素晴らしい示唆があったとは。自分の読解力のなさに愕然!)
会社にいた頃、良くこういう議論をした。
先にビジョンを明確にしないとダメ。
このビジネスに優れたアイデアはあるのか。
プロジェクトのマイルストーンは綿密に設定したか。
損益分岐のシミュレーションはしたのか。
正論だ。
先にビジョンを明確にしないとダメ。
このビジネスに優れたアイデアはあるのか。
プロジェクトのマイルストーンは綿密に設定したか。
損益分岐のシミュレーションはしたのか。
正論だ。
でもワクワクしない。
しっかりとした事業計画を立てて、リソースの全てが揃ってからスタートする。
しっかりとした事業計画を立てて、リソースの全てが揃ってからスタートする。
一見正論だが、それではいつまで経ったって何も始まる事は無い。
先行き分からんが、取りあえず行っちゃえ!そうやってジャンプしたからこそ、今がある。
絵の具が揃ってない。
ちゃんとしたキャンバスがない。
そもそも何を描こうか決めてない。
描く画の最終形がイメージ出来てない。
So what??
目の前に白い紙があったら、何でも良いから何かを描き始めれば良いだけなのだ。
ワクワクしながら描いていれば、いつか満足出来る画が描けるかもしれない。
絵の具が揃ってない。
ちゃんとしたキャンバスがない。
そもそも何を描こうか決めてない。
描く画の最終形がイメージ出来てない。
So what??
目の前に白い紙があったら、何でも良いから何かを描き始めれば良いだけなのだ。
ワクワクしながら描いていれば、いつか満足出来る画が描けるかもしれない。
一人ビジネスやマイクロビジネスなんてものは、事業の存続イコール自身の存続だ。
昨日やってた事と、明日やってる事が違って当然の世界だ。
どうサバイブするか、それしか命題が無い。
そんな時に、綺麗なパワポの企画書はいらない。
まさにペーパーナプキンプレゼン、エレベータープレゼンの世界だ。
だから、僕は息子のヘンチクリンな画を見ても、「ぐだらない質問」も「批評」もする事はもはや無いだろう。
「これは凄い!」と感嘆し「次は何を描く?」という言葉を繰り返し、彼が自分の可能性を引き出す為の愚直なチャレンジを応援したい。
それがそのまま、自分への重要なインプリケーションになるのだと気付いたのだから。
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