それを日本語と英語でのバイリンガルでやっちゃうので、親としては柱の陰で感激の涙なのです。
アメリカでは小さい頃から「show and tell」といった「自己PR」のトレーニングがあって、その経験を積むことで、人前で自分の事を話す事に慣れて行く事が出来る。
また、一体自分が何に興味があって、どうしてそうなったのか、と自然と自分を掘り下げて意識をするようになる。
また、一体自分が何に興味があって、どうしてそうなったのか、と自然と自分を掘り下げて意識をするようになる。
日本では突然に就活のタイミングで「自己PR」なんぞを考えなくてはいけなくなる為、誰しもが「私は一体誰?」と苦悩し、悶絶してしまうケースが多い気がする。
xx大学の私です、の大学名を取った時に残るのって何だ?!みたいな。
xx大学の私です、の大学名を取った時に残るのって何だ?!みたいな。
そして、よくわけの分からない「就活スクール」が活況になってしまう。
息子には、自分が所属する学校や会社、社会、などの看板に依存するのではなくて、個としての自分をしっかり持って淡々と主張出来る人間に育って欲しいなぁ、と思うのです。
これからの時代、個人の存在感が価値を持ち、それが社会やコミュニティに循環して行くだろうと考えているからです。
そう言う事を書きながら「キャバクラでの名刺ジャンケン」のエピソードを思い出した。
前に某大手有名人気企業の男子が飲みの席で「キャバクラにおける名刺ジャンケン」の話を嬉しそうにツバを飛ばしながら話してくれたことがありました。
「xx物産には勝つんだけど、oo通には負けるんだよね~、いやウチの会社強いっしょ?」、みたいな底抜けなバカ話で。
要はキャバクラで飲んでる客同士がキャバ嬢の前で、名刺を出してキャバ嬢からより多くの「すごい〜」を貰った方が勝ちという・・・・・・。
楽しそうじゃないか!いや、そうじゃなくて。
いや、会社のブランドは分かったけど、それで君は誰なのよ??
「xx物産には勝つんだけど、oo通には負けるんだよね~、いやウチの会社強いっしょ?」、みたいな底抜けなバカ話で。
要はキャバクラで飲んでる客同士がキャバ嬢の前で、名刺を出してキャバ嬢からより多くの「すごい〜」を貰った方が勝ちという・・・・・・。
楽しそうじゃないか!いや、そうじゃなくて。
いや、会社のブランドは分かったけど、それで君は誰なのよ??
今、否応無しにグローバル化は進んでます。
資本のみならず、人もボーダレスに流動化してると思ってます。(日本以外は)
資本のみならず、人もボーダレスに流動化してると思ってます。(日本以外は)
善かれ悪しかれ、乱暴に言うと「グローバル化」というのは「欧米化」ということだと思います。
欧米的文化は宗教的にも文化的にも「個」をスタート地点にします。
「個」と「神」が1対1の契約をする社会です。
個が全てのスタート。
日本の住所の書き方と、欧米のそれでは順序が真逆なのも象徴的です。
日本には、xx会社の何さん、oo家の誰それ、△△ちゃんのママ、□□大学出身のオレ、のように自分の名前よりも、どこに所属しているかを優先した自己認識をするような慣習があると思うんです。
相手もそれであなたを無意識に評価してしまう、みたいな。
相手もそれであなたを無意識に評価してしまう、みたいな。
まるで江戸時代の武家社会みたいな「お家」を中心とした「没個性」を半ば強要する習慣が残っています。
僕は日本の歴史が大好きなので、日本的な普遍的価値観を日本人としてレスペクトしています。
だから守るべき伝統としての文化も当然あると思ってます。
梨園に生まれ歌舞伎役者としての将来を期待され、オレはたこ焼き屋になる、と言ったとしても中々そういう自由を許されない世界があり、それをレスペクトしたいと思っているのも僕です。
それについては、また別途ブログに書きたいと思います。
こういう所属するどこかの場所、つまり会社とかを個としての自分より優先したメンタリティはいざ「お家」断絶の危機になると結構焦ると思います。
幕末に一番強かったのは、脱藩した浪人達の集団だったり、外様と言われた長州や薩摩だったのは今でも大きな示唆があります。(こういう話は長くなっちゃうのですが抑えよう。。。誰も読まんぞ。。。。。)
人間は一人で生きて行ける訳ではないので、フリーランスだろうが会社員だろうが、プロジェクト毎に緩やかなチームを編成するのが、僕はこれからの仕事の理想型だと思っています。
だから個人が自分の強みを知っていれば、有機的な目的集団としてのチームを編成した時に大きな力を発揮するのではないかと思っています。
そして、そういう個人が対等に集まったチームは多文化で国籍が意味をなさないものになるはず。
そうヨーロッパのサッカークラブの様に。
そうヨーロッパのサッカークラブの様に。
既に、日本以外の場所では、そういう企業と対等のイメージを持った個人が数多く存在しています。
「個人のフリーランスは、企業の下請け」的ニュアンスは皆無です。
(もちろん、日本でも活躍する個人も増えて来ていますが、マジョリティはいまだ大企業などを中心としたピラミッド型の封建社会だと思います。)
近い将来は、そういう国境を越えた個人と個人とがアライアンスを組んでプロジェクトやビジネスをエグゼキューションする機会が今より圧倒的に増えると思っています。
自分の学校や会社はあなたのバックグラウンドであって、あなたの全てではない。
あなたを語るストーリーの一部でしかないし、それ以上の価値を持たない。
所属先を見て、あなたへの扱いが変わるような相手は大した事が無いし、また、もしあなたが自分の所属する先が仮にブランド力が相対的になかったとしても、「それがどうした」、と考えて差し支えないと僕は考えます。問われるのは「個としての自分」のはずなので。
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