あの頃ほど、(人生に)真摯だった自分にはもう戻れないだろう。
誰もが、自分の前途に立ちふさがる大きな疑念
(Big questions )と真っすぐに向き合っていたのだ。
(People forget that when you're 16, you're probably more serious than you'll ever be again. You think seriously about the big questions.)
by 80年代の青春&コメディ映画の偉大なる巨匠ジョン・ヒューズ
80年代を代表するハイスクールムービー(たぶん男子向け)の金字塔。監督はもちろんジョン・ヒューズだ。名作中の名作。 |
オアフ島にある「KOOL GOLD 107.9」というFMラジオステーションが超お気に入りで、最近一人で車に乗っている時は必ずこの局にチューニングしてしまう。
70年代80年代のポップスばかりかかっていて、ご機嫌だ。
そう言えば、昔々の80年代、日本のラジオDJも「さ〜て次のご機嫌なナンバーは〜」とか次曲の紹介をしてた。今の時代「ご機嫌」という単語を曲紹介に使うラジオMCやナヴィゲーターは皆無だ。
少し恥ずかしい気分になってしまうのだろう。
そういう底抜けに能天気な時代が80sだ。
最高だ。
そしてDJとはクラブでターンテーブルを回す人だけを指す言葉ではなかった。
このステーションを聴いていると、かなりの頻度で「男性の性機能障害の専門クリニック」のCMが入る。
「バイアグラよりも優れた治療法があります。」とかナレーションが入るので、リスナーのターゲットは、確実に40歳以上の中年男性なんだろう。
「俺はまだこのクリニックには行かなくて良さそうだな」
とか何となくホッとしながら、かかる曲を口ずさむ。
驚く事に大抵の楽曲を知っていて、サビは歌えるし、その曲がどの年にリリースされたかも大体分かる。
当たり前だが全て洋楽だ。
ジャンルもマドンナからボンジョビ、ボズ・スギャックスみたいなAORまで多岐に渡る。
それらの曲を聴くと、目の前に「バァ〜〜」っと言う感じで、10代だった頃の思いや、風景が目に浮かぶ。
それはとてもキラキラしていて、気分が高揚してくるのが分かる。
ただ、本当にキラキラした思い出だけしかないか、とマジになって考えてみればきっとそうではないと思い出すだろう。
現実的には、学校の勉強と規則と制服に毎日のほとんどの時間を拘束され、(僕は部活はしていなかった。放課後にまで規則や上下関係でギチギチに縛られるのなんて、まっぴらゴメンだ)
自由になるお金などもほとんど無い。
放課後にバイトしてるのも、
せめて月にたった一枚のCDが欲しいため、
月にたった一冊の本が欲しいため、
週に一回の映画を観たいため、
そして週末デートの資金が欲しいため。
あの頃の東京の高校生デートは異常に金がかかったのだ。
世の中はバブルだったが、高校生の財布にはあまり直接には関係なかった。
今考えれば、ほとんど経済的はモチロン、物理的にも自由は無かったという事を思い出す。
唯一、自由だったのは「精神」だ。
オヤジの書斎だった部屋を侵略して自分の部屋として占拠改造した。
アメリカの高校生みたいな生活に憧れた僕は「土足OK」にした。
友達が遊び来ると「靴持って上がれよ」「む??」みたいな会話がなされた。
そんな自分の部屋が僕の精神が最高潮に自由となれる場所だった。。
(ちなみに「土足OK」は後にオヤジにバレて猛烈に怒られた。当たり前だ。今ではハワイの自宅でも土足厳禁にしている。ハワイは日系文化が浸透しているので土足厳禁は普通だ。)
この部屋の、中古のカウチの上でラジオからの洋楽を聴きまくった。
時には勉強机で買って来たアルバムのライナーノーツを食い入る様に読んだ。
当時の洋楽(主に米国とUKだ)を聴いていれば、たった6畳のフローリング張りの勉強部屋は世界とつながった。
その部屋は、洋楽をBGMにありとあらゆる夢想の世界に僕を連れて行ってくれたのだ。
自由だった。
あの頃のポップスは「自由になれ」とメッセージを送っていた。
その夢想の中には、当然エッチな妄想も含まれるが、最も多くの時間を割いたのは「自分の将来像」についてだったと思う。
僕はこれからどこに向かって、何者になるのだろう。
16歳の僕は「16歳」という年齢が未来から見てとても貴重なモラトリアムな時間になるということを自覚していた。
大人ではないが、子供でもない。
最近芸能界で再びタレントとして活躍しているヒロミさんの奥さんも「伊代はまだ16歳」と歌っていた。
そういう人生の貴重なモラトリアムだ。
不安と期待が入り交じったような思いを抱えて、遠大に思える自分の人生と向き合った生まれて最初の機会となった。
そして、偉大な青春映画の巨匠が言う様に、あれほどまでに自分と言う人間に真摯に向き合い、自分と言う存在を自覚した時期は無かった様に思う。
(監督のジョン・ヒューズは僕も勤務したことがある広告会社のコピーライターだった。シカゴに本社のある別の広告会社に移ってからは、タバコの広告を手掛けたアドマンだ。その後、映画界に進出し、シカゴ近郊を舞台にした青春映画やコメディの佳作を制作する。彼の作品は小粒で、笑えるが泣けるという素晴らしい作品がほとんど。ホームアローンのプロデューサーだ。)
Big Questionとは。
「自分」が誰なのかを探す様々なチャレンジであり、それに対する様々な疑問の事だ。
なぜ、みんなと同じように大学を目指すのか?
なぜ、みんなと同じような会社に入らねばならないのか?
それは本当に俺の人生に必要な事なのか?
俺は、親や教師や世間が求める大人にならなくてはイケナイのか?
(幸いウチの両親は息子に、こうあるべき、という押しつけを一切しなかった。感謝。)
あれから30年を経て、ジョン・ヒューズと異なり小粒な広告マンだった僕はもう一度自分と真摯と向き合ってみようと、新たな旅をスタートした。
きっとあの頃のようなイノセントで完璧なシリアスボーイにはなれないだろう。
それは当然の事だ。
僕は色々経験して来たし、家族もいる。
状況も環境も全て違う。
ただ、共通しているのはもう一度人生の「Big Question」に真摯に向き合ってみよう、という態度だ。
大人になれば、世間に対しごまかす事は簡単に出来る様になる。
そして、それは知らず知らずに「自分をごまかす」ということにもなってしまうかもしれない。
そういう事に慣れてしまい、その事自体に気が付かないで生きて行くことも出来る様になってしまう。
そうでない人も居るかもしれない。
自分をごまかさずに、かつ社会性を両立して生きている人々だ。
そういう人はラッキーだ。
いや、ラッキーと言うよりは、常に真摯に自分と向き合って努力をしている人なのだろう。
僕は自分を騙しているかもしれない、という疑念から逃れられなくなってしまった。
そして、そのまま突っ走って行くと二度と自分という人間を自分に取り戻す事が出来なくなってしまうかもしれないと考えた。
自己実現、とかそういう「自己啓発」的な事とも違う気がする。
自分探し、など甘えた事を言っていないで、現実を見て大人になれ、という論点とも違う。
もっとシンプルな事だ。
自分自身で考えること。
yesとnoを自分の脳みそで、ハートで考えて行動出来るか?ということに過ぎない。
16歳の頃の僕にもし会う事が出来たら、彼は何と言うだろう。
「おいおい、46のオッサンになってもまだそんな事考えてんのかよ。いい加減にしてくれよ〜!」
と呆れられ、そしてガッツリ突っ込まれるかもしれない。
ただ僕は確信している。
「Big Question」には明確な答えなんかきっと無い。
ただ思考停止を良しとせず、その時々の「Big Question」を自分に問い続け、答えを探し続けることが「自分が自分である為に必要なことなんだ」と。
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