Koy's blog

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2015年2月12日木曜日

あなたの父親は、今のあなたと同じ歳の時にどこにいたのだろう。

完全に私事の話で恐縮です。


今日、僕は46歳になった。

日本時間だと既に昨日だ。

46歳という数字自体には意味が無いかも知れないし、

子供の頃と違って自分の誕生日に特別な嬉しい感じがないのは、この歳ではきっと当たり前だ。

完全に中年ど真ん中というクリアな事実以外何モノでもない。


それでも、あと4年で50歳と思うと「結構ヤバいな」、とか焦ってしまう。

そこで、トム・クルーズとジョニー・デップとブラピはもう50過ぎだとか思って元気を出すようにした。

ハリウッドスターと自分を同列に考える事の出来る脳みそを持った僕は真にシアワセ者だ。

ただ、ふと自分のオヤジが46歳の時の頃の事を考えた時に、僕は愕然としてしまった。

当時僕は19歳で、アメリカに一人で留学をして寮暮らしをしていた。
そこは、雪深い北部の街だった。



一年の半分が雪に埋もれる街。まさにハワイの対極なポジションだ。
Credit: Brian Aydemir

当時は日本人との付き合いを極力避けていたこともあるし、ルームメイトは夕方5時くらいに夕食を食べに行ってしまう。さすがにそんなに早くに夕食は無理だ。


(彼は夜の9時頃にピザを取るがお前も食うか?と聞いてくる。あんな早くに食うから腹減るに決まってるだろ!)

その日も夜の7時近くに一人ウォークマンでFM放送を聞きながら、

雪の中キャンパス内のカフェテリアに一人出かけて行った。

そこで、一人淡々とバースデーディナーを食べたのだった。


イヤフォンからはピーターセテラの「グローリー・オブ・ラブ」が聴こえてきていた。
「ベストキッド2」というイマイチな映画のテーマ曲だったが、曲は最高だった。


(ベストキッド(原題カラテキッド)の一作目は名作で、続編が作られる度に劣化するサンプルみたいなハリウッド映画だった。沖縄が舞台の3作目はほとんどジョークだ。)


(追記:このブログポストをアップした瞬間、いつも聴いてるネットラジオから同じ曲が。こういう偶然が示すサインを僕は信じてしまう。) 

もちろん特別なディナーでは無くて、いつものパサパサなターキーに妙な味の妙な色のソースをかけたメインディッシュに信じられないくらいにパサパサなライスかパンのどっちかを食べたかもしれない。

そういう息子を持ったオヤジは当時、46歳だった。

27年前だった。 

もし今、自分と仲の良い同級生で息子を留学させているようなヤツがいたら、僕は無条件で尊敬してしまうだろう。


オヤジは普通のサラリーマンだった。
多分年収も普通だ。
会社を辞める前の僕は、当時の彼の倍は年収があったと思う。

その彼は、長男を海外に留学させ、次男を私立の付属校に進学させていた。

当時は当たり前に感じていたが、それがどれだけスゴイ事か今なら身に沁みて分かる。

彼は、外で毎晩飲むような無駄金を使う人では無かった。

付き合いで行くゴルフ以外は、エルビスプレスリーとハリウッドのアクション映画の鑑賞、そして司馬遼太郎が好きだった。

贅沢をしている所をみたことがない。
庶民的だけれど、責任感と正義感に溢れてるようなオヤジだった。

それでも、合気道の段所有者なので、怒ると強く怖かった。
反抗期の僕ら兄弟(特に僕)はよく壁までぶん投げられたりしていた。

戦後育ちでマイホームとマイカーをこよなく愛した彼は、彼の収入の全てを家族と息子達に捧げていたのだ。


それに対して恩着せがましいことを一言たりとも彼から聞いた事が無い。



父と同じ事が今の僕に出来るだろうか?


ついこの間までの僕は、稼いだ金を全て自分の為だけに注いで来た。


しかも、その多くはストレス解消と称して、翌日の強烈な二日酔いの元となる液体に無駄に使って来たのだった。

大好きな広告の仕事に従事しながら、いつもここではないどこかに自分の居場所があるのかもしれないと頭の片隅で幻想を追いかけていた。

プライベートでは永遠にお気楽なシングルライフな30代が続くと思っていた。

能天気極まりなかった。

そして46歳の今、僕は人生を変える旅と称して、人生を一度リセットしてしまった。


家族を道連れにしながら、まだまだ旅の途上にいる。

父は46歳の時、「自分の人生を変えよう」と思っただろうか?

ここまで書いて、ふとキーボードを打つ指が止まった。

「ああ。」と思い出した事があったからだ。

僕が会社を辞めてハワイに住もうと決めた2年前のある日、オヤジから聞いた言葉の事だ。

「自分の人生で本当はコレをやりたかったけど、やれなかった事ってある?」


そう僕は質問したのだった。

父は言った。

「もう憶えてないなあ。
あったかも知れない。
ただ、その時々のタイミングにやるべき事、っていうのはあるんだろうな。俺はそれだけをやってきたつもりだよ」

父が僕のヒーローでなくて、一体誰がヒーローなんだろう。


引退し、毎朝のウォーキングと孫に会う事を楽しみにしてくれているオヤジ。


そういう父が僕に取ってはハンパ無いヒーローなんだ。

僕は今日、46歳の同い年のオヤジと会話をした気がした。

「お前が決めたことなんだから、しっかり目の前の現実を見据えてやるべき事をやれば良い。


俺は、我がままな愚息を留学させてるし、次男坊も金食い虫だ。年取ったオフクロもいる。そりゃもう大変だ。

家だって守らなきゃならない。

なぜなら、それが俺の勤めだからだ。
お前の勤めとは何だ?
それをしっかりこなせよ。」

わかったよ。オヤジ。わかった。


あなたが46歳だった頃のような責任感と強さはまだ今の僕には無いかもしれない。


ただ、僕があなたの息子だということをあなたが誇りに思えるような男になってみせるよ。


今日という日に僕を産んでくれてありがとう!
いつまでもお元気で!


just one click is very appreciated! Thanx!





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