Koy's blog

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2015年10月23日金曜日

「シリコンバレー式 自分を変える最強の食事」を読んで。

理想の健康的な体型が手に入ったら。

きっと毎日が素晴らしいものになるだろう。
病気とも無縁になるだろう。
異性からモテモテになるかもしれない。
気に入った服を着られるようになるかもしれない。
伴侶からキレイになった、カッコ良くなった、見違えた、と言われて嬉しい気分になるだろう。

ハワイに住んでいると、メチャクチャ「ふくよか」な人々が大勢いるので、日本人は華奢に見える。
それでも多くの日本人はダイエットに夢中だ。

人は、そうやって1クール、3ヶ月おきにメディアを通してやってくる「OXダイエット」ブームに踊らされる。

ついでに言うと、僕も腹の出た中年オヤジにはなりたくないので、納得のいった新しいダイエットはトライしてみるタチだ。
気が付くとメディアに踊らされている人間の一人だ。


とは言え、人の細胞や遺伝子は固有に近いので、同じモノを食べて飲んでも、消化し代謝したあとのカラダの反応は異なる。
食べても痩せる人と普通に過ごしているのに太ってしまう人がいる。

何よりもダイエットに大事なのは、自分のカラダと向き合う事だ。
他の誰かに有効だったものが、自分にも有効とは限らない。 

だから流行に踊らされず、自分にベストな食材や摂取のタイミングを知る為にじっくり観察する方が、ダイエットには得策だ。

この本の著者が提唱する「完全無欠のダイエット」も究極のメッセージは、「自分のカラダと食材の相性を知る」ことに尽きる。

自分が目指したい体型や、何をもって「健康」とするのか。
そういう目的無しに「ダイエット戦略」はあり得ない。

やみくもに、「バナナ」とか「納豆」とかの「これだけダイエット」走るのは、メーカーと小売りが儲かるだけで、何のベネフィットもあなたにもたらす事は無い。



帯が大袈裟!!
内容は非常に真摯なもので、一読には値するが。


書は肥満で不健康なギークなIT起業の成功者が、自らのダイエットに15年と30万ドルをかけて、とうとう発見した「完全無欠のダイエット」の記録だ。


彼は自分がトライしたあらゆるダイエットを理論、科学的な知見でまとめている。

著者はアメリカ人なので、日本人におなじみの食材は出て来ないし、日本人にとっては著者が推奨する食材が手に入らないケースもあるだろう。

もっと言うと、少しでも最新のダイエットに知識がある人にとっては、あまり新しい発見はないかもしれない。

炭水化物の摂取を減らし、中鎖脂肪酸を多く摂取することで脂肪の燃焼を増やす。
一日18時間のファスティングをする。

そういう話だ。

ただ、ユニークなのはファスティング中のツラさを緩和する為に、そしてエネルギーが充満した状態である為に彼が考案したアイデアがあることだ。

それが、「完全無欠のバターコーヒー」だ。

コーヒーにグラスフェッド(牧草飼育)の牛から取れたバターを溶かし込む。
それをファスティング中(朝)に飲む。

はっきり言って、そのバターを探すのは少し困難かも知れない。
ハイエンドな輸入食品を扱うスーパーでも置いてなかった。
Amazonでは普通のサイズで2,000円以上もした。

その代替として有効なのが、ココナッツミルクと中鎖脂肪酸オイル(ココナッツオイルもそうだし、日清もMCTオイルを販売している)だ。
これなら入手に困る事は無いし、比較的廉価だ。

そもそも、僕が本書の購入のきっかけになったのは、「空腹時の筋トレが最も筋肉量を増やす」というにわかには信じられない目次を読んだからだ。

空腹時はカタボリック優勢、といって要は脂肪より先に筋肉を分解してしまうので、空腹時の筋トレはある種のタブーだと思っているからだ。

購入後、まずそのページから読んでみたが、残念ながら新しい気づきは無かった。
書いてある事に納得出来なかったのだ。

最初がそうだったので、全体を読み始めてもどこかで眉にツバをつけて読み進めてしまったかもしれない。

この本を取り上げたブログを書きながら乗り切れてないのはそういう理由だ。

とは言え、そういう本でも、必ず何らかの発見はあるのも事実だ。

僕にとっては、この「バターコーヒー」だった、と言う訳なのだ。


朝食抜きというのは、もう十年も続けている習慣だ(自分にとってはその方がカラダが軽く快調だったからだ。気分によっては、食べるときもあるし、国内旅行に行けば、かならず和定食をがっつり食べる)。

取りあえず、この「バターコーヒー」をトライしてみようと思う。
もし、本当に今よりも午前中のパフォーマンスが変わったらという期待を込めて。

著書に対してフェアである為に、以下はAmazonから内容に関してのページを貼っておきます。

この中にいくつか興味を引かれる項目があれば、読んで見る価値はあるだろう。
(出典:Amazon.co.jp)

【内容より】
・朝、「ヨーグルト」を食べると太る
・IQは「食べ物」で変わる
・空腹になる食べ方、ならない食べ方
・「腹が空っぽ」のときがいちばん筋肉がつく
・炭水化物は「夜」に食べたほうがいい
・脂肪を食べると痩せる
・「カロリー制限」では痩せられない
・低炭水化物ダイエットは「カビ」を減らすから効く
・「空腹ホルモン」をハックする
・あなたの体を「解毒マシン」にする
・脳は「脂肪」でできている
・炭水化物をカットすると、うまく眠れなくなる
・「冷や飯」が腸内の善玉菌を育てる
・果物が「集中力とエネルギー」を奪う
・パンを「一切れ」食べると、時間差で悪影響が出る
・同じものでも「食べる時間」で毒になる
・パフォーマンスを最大化する「ベストの朝食」とは?
・カフェインが脳を守る
・「腸内細菌」を飢えさせると、脂肪が燃える
・体内の「痩せ型」細菌にえさをやる
・栄養は調理しだいで変幻自在
……など


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2015年10月19日月曜日

憧れだったヒーローの年齢を自分が越えた時。

誰だって才能を持っている。
それを発見するまで、いかに行動するかが大事なんだ。
(by 希代のフィルムメイカー、ジョージ・ルーカス)

Everybody has a talent, it's just a matter of moving around until you've discovered what it is.
by George Lucas


40代後半、というのは微妙な年代だ。


最近ちょっと近くの文字が読みづらくなったな、とか思っても、まだカラダ的な衰えを強烈に感じる年齢でもない。

年齢と言うのは、もの凄く相対的なものだ。

少年だった頃に、想像も出来ないくらいにオッサンだったような年齢に達しても、普段の生活で自分で実感する機会はそう多くない。
(若手とカラオケとかに行くと世代間ギャップは感じるが。。)


同年代の友人とかを見ても、お世辞とか錯覚ではなくて、実感として「(20代から)変わってない・・・。」とかマジに思う。

もちろん、「相対的」なので、20代の友人達からみたら、きっとオッサンはオッサンなんだろう。

あくまでも「主観的」に、自分が思っていたようなジジイになっていない。

ジジイの感覚がない、というのはいいニュースに思える。

まだ夢見る青年のようなモラトリアムな感覚が忘れられずに、それが行動にも出てしまうことがある。



何となく、不確かだけど、でも明るい未来が待っている、みたいな「無責任」な楽観的な思考だ。


バブル期に10代を過ごしたのも、そういう思考を潜在的に持っている理由でもあるだろう。

世の中ではアンチエイジが話題になり、40代でも生活臭のしない若々しい俳優や女優、タレントが人気だ。


きっと、それは良い事だ。

それでも、最近の僕は考えてしまう。
たまには、加齢をネガティブに考えて自分のケツに火をつけてみよう、というのが今回のブログコンセプトだ。

下の数字。。

22
38
27

33
36

つまり、こういう事だ。



22歳の時にジョブスはAppleを創業した。


38歳の時、オフクロ世代のヒーロー、石原裕次郎は「太陽にほえろ」の「ボス」だった。


SMAPの香取慎吾クンが今38歳だ。
彼は才能あるタレントだが、石原裕次郎と同じ存在感でボスを演じられるとは思えない。

27歳の秋元康はおニャン子クラブをプロデュースした。

今の業界で27歳はまだヒヨッコ扱いされる。
いかに秋元氏に才能があったとは言え、当時の業界はまだまだ若かった。



そして、僕にとってのスーパーヒーローはスピルバーグとルーカスだ。


33歳でジョージ・ルーカスはスターウォーズを世に出した。

36歳の時、既にハリウッドで成功者だったスティーブン・スピルバーグは世界興行歴代1位(当時)、SF映画の金字塔となる「E.T.」を公開した。


ジョーズの時は何と29歳だった!
80年代の映画少年にとっては永遠のヒーローだ。
Credit: businessinsider.com


この二人が映画界に登場した70年代。

そしてハリウッド映画界はそのイベントを基点に、全く変わってしまった。
業界のあり方を変えて、後に続く若い才能にとってのスタンダードになってしまった。

彼らは20代〜30代だったのだ。

僕は軽いショックを受ける。


当時10代だった僕にとっては彼らは憧れで、ずっと追いかける存在だった。

僕にとってスーパーヒーローは常に年上だった。

彼らから、強烈なインスピレーションをもらってきた。
人生の中のちょっとしたつまづき、悩ましい出来事。

それらを切り抜ける為に彼らから、多くの気づき、そして助けをもらっていた。

そして、気が付けば僕はとっくに彼らが何かを成し遂げた年齢を越えててしまったのだ。



このテーマには大きなインスピレーションが二つある。


一つは、

「若者よ、特に20代30代達よ、古いオールドスクールな秩序に気遣いなんか一切必要ない!
先駆者や反逆者は常に自分達で『基準』を創り出して来たのだ」
ということ。

そして、もう一つは

「中年よ、焦るんだ!いつまでも自分が若いと思うな。もうお前はとっくにスーパースターがスーパースターになり得た年齢を超えているのだ。今、アクションするんだ。」
という感じだ。


ある著名なアメリカのコラムニストは言った。


アメリカ人にとって「米国大統領」はそのまま「父性」の代名詞だと。


大統領とは常に自分より年上の存在であったのだ。


そして、自分の年齢より若い46歳の「ビル・クリントン」が大統領となり宣誓をした時の感慨深さをコラムに書いていた。


人は誰しも歳を取る。



毎日の暮らしの中で「突然に衰える」ということは、滅多に無い。

だから、自分が歳を取って、いつか衰え、そしてこの世からいなくなる、ということをきっとギリギリまで気が付かない。


いや、気が付きたくないのだ。


精神的にも、肉体的にも「若くあろう」というのは、正否で言えばきっと正しい。


しょぼくれて、辛気くさいことをほざいて周りからヒンシュクを買うのはダサい。


若々しいことは、きっと無条件に良い事なのだ。

マクドナルドのレイ・クロックやKFCのカーネル・サンダースが晩年に近い頃に創業し、そして成功したという話は、中高年に感銘を与える。

まだまだ、オレは、ワタシは若い。まだまだこれからだと思える。

しかし、それを一服の清涼剤のように感じるだけでは、どうしようもない。


それは神話だからだ。

彼らだって、わざわざ年取ってから何かをしようと行動していた訳ではないだろう。


人生は有限だ。


確かに何かをするのに、年齢も関係ないし、遅過ぎる、ということは決して無い。

それでも、もし自分がまだ「若い」と感じていて「時の有限性」に気が付かないのであれば、自分のケツに火をつけるべきだ。

自分の人生を確信を持って生きる為に、行動するのはきっと「今」だ。



敢えて言おう。

あなたがもし40歳を越えているのなら、あなたはあなたが思うほど、年取ってはいないが、若くもないんだ。

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2015年10月9日金曜日

イクメンではない、父親になるのだ。

「やめてくれ。君が何をどう言おうが知ったこっちゃ無い。君が犯罪を犯したなんて信じない、ずっとだ。僕は君を良く知っている。約束する。君をここから助け出す」
ジョン・ブレナン(映画スリーデイズより)

"Shut up...I don't care what you say or how you say it, I don't believe you did it, and I never will.  I know who you are.  And I promise this will not be your life." 
    - John Brennan (The Next Three Days)



やっぱりイクメンと呼ばないで。。



世界的なロックバンドのボーカリストが、子供が産まれたのをきっかけにバンドを休業し子供との時間を増やす事にした。


そういうMr. BIGのエリック・マーティンのインタビューを読んで、メチャクチャ単純に影響を受けた僕は会社を辞めて子供と過ごす時間をマックスにしようと決めた。


なのだが、「イクメン」と言う言葉は
好きではない。

それでも、ママ友みたいな人達から「イクメンですね」とか言われると、結構気分が良くなってしまう自分がいる。

それは自分より若くて素敵なママ達から声をかけられて嬉しいからで、決して「イクメン」という称号が嬉しい訳ではない。

僕は「イクメン」ではなく「父親」でありたいとずっと思い続けているだけなのだ。


女性誌をはじめとしたメディアは、見た目がオシャレでカッコ良くて、育児分担に積極的に参加して、妻の誕生日にはサプライズなイベントを忘れません、みたいな男を「イクメンの鏡」みたく讃える。

きっとそれは幻想だ。

雑誌は理想と幻想が売り物だ。

子育てと言うのは、実際は泣き笑いアリの泥臭くて人間臭い世界だ。

雑誌の中のニコパチ(ニコッと微笑んでパチっと写真を撮られる)の世界だけではないのが子育てだ。

何よりも、そういうメディアは「父性」とは何か、「父親とはかくあるべし」みたいなコトは一切伝えようとはしない。


そもそも今の日本で「父親」のロールモデルをみつけるのはスゴく難しい。



日本では「父性」というものが崩壊して久しいからだ。


この国は戦後、古い家長制度に変わる新しい父親のモデルを作ろうとしなかったし、今も無い。



男達も探そうとして来なかった。

高度成長期に世の父親達は「疑似家族」である「会社」に捕われの身となってしまい、育児を明確に放棄したのだ。

結局、21世紀の今でも「父性」が存在しない日本という社会を形成している。

メディアでは、よく「理想の父親像」とかの特集をしているが、単に面白い芸人か、ドラマでカッコいい父親を演じた人がトップにランキングされているだけだ。

きっと最近結婚した福山雅治氏に子供が産まれたら、彼がランキングのトップに躍り出るだろう。

「イクメン」という言葉には、「ママ業を積極的に分担してくれる、理解あるカッコいいパパ」というニュアンスが強い。

ある女性誌が命名したと言われているから、女性目線なのは仕方が無い。


問題なのは、男親の側も「父親」の役割を認識しないまま、子育てに参画するので、気が付くと「オッパイの無いもう一人のママ」みたいな役割を演じてしまうことがあることだ。

世の中にはシングルペアレントの人も多いので、一律な正解は無いと思うが、出来ればママもパパも分担するのが望ましいに決まってる。

男性が育児をするのは、正しい選択だ。

モラルとか人として親として、とかより以前に片親だけでの育児はものスゴい大変だからだ。

昭和時代からつい最近まで「育児」を担って来たのは、多くの場合「母親」なので、いざ男が育児参加をしようとすると、先輩である女性達から指南を受ける事が必須だ。

僕も、子供が激泣きしてどうしても泣き止まない時、「なんでオレにはオッパイがないんだ!」とか思ったりし
た。

激泣きする赤ん坊はほとんどの場合、オッパイを含ませると嘘のように泣き止むケースが多いからだ。

このままでは、一生二軍で出番の無いような一軍をアシストするだけの選手みたいな気分で育児をしなくてはならない。

ママと同じになろうとしても無理だ。

そうだ、オレは「二軍に甘んじる二番目のママ」ではない「一番目の父親」なのだ。

父親として一軍に上がらなければならないのだ。


ハリウッド映画には「父性」丸出しな映画が多い。


日本では「父性」とは何か、を見つけるのは難しい。
アメリカ(ハリウッド映画)にはまだ残っている気がする。

「スリーデイズ」のラッセル・クロウは、家族を信じて、世間を敵に回し、果ては命を張って(冤罪と信じている)妻を脱獄までさせてしまう男を演じた。

7人の子供を抱えるシングルファーザーで農夫なメルギブソンが、イギリス軍相手に闘いまくる映画ザ・パトリオット。

リーアム・ニーソンは映画「96時間」で家族を救う無敵な男になっていた。





いずれも「父性の塊が炸裂」するような映画ばかりだ。

(現実のアメリカ社会は古くからの家族のカタチと、シングルペアレント、両親とも同性とか日本よりも多様な家族のカタチがある。
しかも、上に挙げた映画の俳優は全てアメリカ人ではない。オージーやアイリッシュだ。
トム・クルーズやブラピがパパを演じても「父性」炸裂感はない。
それでもアメリカ社会には「父性」が普遍的な価値として存在していると感じている。)

父親が活躍する映画における共通のテーマは「守る為には攻めるのだ」ということだ。



「父性」というのをウィキペディアでみれば「子供に社会性を持つように促す父親に期待される資質」とか書いてある。

それは、確かにそうなのだろう。

ただ、結局「父性」には「家族を守る」という前提がある気がする。

ハリウッド映画みたいな一種のファンタジーから「父性」のインスピレーションを得るのは馬鹿げて聞こえるかも知れない。

極論?
その通りだ。

とは言え、ハリウッド映画は人々の普遍的な価値観をベースにストーリーが生産される。

という事は、上記のような映画の内容は「父性」はなんであるか、という共通認識によって描かれる。

少なくとも、アメリカ文化においては。

そして日本では共通認識としての父性は残念ながら崩壊してしまっている。

守る為に攻める、その姿を子供に見せる事が「父親」の役割なのだ。


攻める相手は、テロリストや敵国だけではない。

日々の理不尽な出来事だったり、社会や会社に対してかも知れない。

子供が学校で何かに心が傷付けられてしまって帰宅した時に、優しく無条件に包み込むのが母親なら、父親はそれにどう対応し対抗するのかを教えるのだ。

それが「社会性」を子供に身につけさせることを「期待」される「父性」なんだと僕は思う。


世の育児をしてるパパの皆さん。


「これが父親だ!」という分かりやすい答えはきっとない。

それでも、求めればきっと自分なりの解はある。

今まで通り、積極的に育児に取り組んで行こう。


そうして、何か悩ましい事が家族に起こった時、その時こそ「オレはコイツを身を張って守って行くのだ」と思い起こそう。

普段は、二番目のママよろしく子供の母親のサポートに徹するのだ。

いざ、何かあった時に「守る為に攻め闘う」自分を常にイメージしながら。

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