Koy's blog

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2014年10月30日木曜日

朝、ハワイの引越し屋さんに遭遇して思ったこと、そのまま。。

とくにハワイが引越シーズンという訳ではないので、全然タイムリーなポストじゃないんですが、やはり日本の常識は世界の常識ではない、と実感したのでポストしてしまいます。

今朝、階下に行こうとした際に、全部で3基ある上層階用のエレベーターが全然来ない。
一つはメンテナンス、一つは引越でホールドされてた訳です。

それで、やっとこさ階下で野暮用をすましたついでに見た引越のトラックがこれ。
プライバシー保護の為、怪しいモザイクだらけになっちゃってますが。


日本では見た事の無い、スーパーアバウト、超いい加減過ぎる引越屋さんの実態がここに!

まじまじと見てた訳じゃないです、ただ時間にして60秒くらいは見てましたけど。

モザイク過ぎて分からないと思うのですが、

1.全然段ボールに梱包されてない。段ボールの上部が梱包されずに空いていて、そこに溢れんばかりのアイテムがこんもり。

2. 段取りを全く考えていないのか、とにかく家財道具を降ろした順番でトラックに積み込んでいます。
そのうち親方みたいなのが、これだとカウチが入らないな、とか言ってる。最初からわかるっしょ?それって。

3. アイテムを保護するようなアイテムが見当たらない。

4. まぁ、とにかく一切合切が適当な感じ。

エレベーターで偶然、引越の当事者の方と一緒になったので、「なんて言うか、こっちの引越屋さんのクオリティヤバい感じですね。。」
と声をおかけしたら「ですよね。もう慣れました」と笑顔でのご返答。(日本人でした)

引越先で使おうと積み込みを頼んだものの、恐らくそのうちの幾つかはこの旅で命を落とすかも知れない、そういう覚悟を決めたような笑顔だった。

実際その後、メインランドを含むアメリカの引越屋さん状況を調べてみたら、まぁ、クオリティに日本と同じような期待は出来ないようだ。

日本からの駐在の人は会社が契約する高い日系会社を利用するので、日本と変わらないクォリティが担保されているみたいだ。

それを個人で利用する場合は4、50万とかが相場のようだ。
まぁ、国土が広いので、引っ越す先によってもコストは変わるはずだけれど。

米系、というかこちら本場の業者にいたると、当日に来ないとか、冷蔵庫、洗濯機がバキバキに壊れた、という話がざらで、結構ネットで拾う事が出来た。

でも、アメリカ人の富裕層とかがこのクオリティで納得するはずが無いので、きっと僕が知らない高級引越しサービスなどは存在しているのだろう。

(もし無ければ、日本の引越し屋さんはマーケットを拡大するチャンスだ。)

僕は日本では後輩に紹介されて以来のアリさんマークの引越社のロイヤルユーザーで、この十年で4回利用しているのですが、ここのお任せパックは本当に昨日まで普通に生活していたものが、あっという間に分類され、そして丁寧に保護をされ、梱包されて行く。
実に美しい段取りで引越が進んで行く。

今までにもめた事は一度も無い。
一回だけエスプレッソマシンが破損したことがありましたが、速攻で新品になって帰って来た。

しかもコストはこちらの半分くらいに違いない。
まさに世界に誇るべき日本の引越し屋さんクオリティ。

そういうジャパンクオリティに慣れてしまうと、いざこういう場面に遭遇してしまうと戸惑ってしまう。

そして、なんでこうなんだ!!と、文句を言うありがちな海外在住の日本人にうっかりなってしまうのかもしれない。

しかし、日本のクオリティがハンパなく高いだけなのだ。
日本の常識は、世界の常識ではない、という法則の一例を目の当たりにしただけだ。

僕には「もう慣れました」とにっこり笑顔で答えてくれた日本人の奥さんの顔が爽やかな印象で残っている。

郷に入っては郷に従え、ということだろう。

とは言え。。。
オアフ内だったら自分の引越は自分でやった方が無難だ。。三日くらいかける覚悟で。。

と、思ったら、こういう業者さんがオアフにあった。

ジャパンクオリティを保障します!とのことだ。

2014年10月29日水曜日

結果には原因がある。原因にフォーカスして、そこを変えてみれば結果が変わるはず。

僕は田舎の漁村でも熱海サンビーチ(大好きです)でも、そこに海があれば、満足してしまうタチですが、オアフのラニカイビーチは、僕の知る限り天国に近いビーチTop3に入っています。
one of the best beaches ever!

(ちなみに1位は開発される前の石垣島の久宇良。今は開発されて無惨な姿になってしまった。無念。涙。)

前回「行動」をテーマにしたポストをしたので、今回も勢いづいて同じテーマです。

このビーチまで車でハイウェイを使って30分で来られる、というのは本当に恵まれているとうっかり自画自賛してしまう。

辿り着くまでに「渋滞」が皆無なので、ストレスが一切ない状態で、海での一日を終えられる。

ハワイに住むぞ、と声に出して宣言したのは3年前の旅行で来た、このラニカイビーチだった。
後で見返したビデオに声が残っていて、こんな事を言っていたのだ、と気が付いた。

イギリスの著名な詩人ジェームス・アレン氏もこう言った。
「全ての結果には原因がある」

要するに、今こうしてボ~っと空前の癒しの極地みたいなビーチに寝そべって間抜け面をさらしていることが「結果」だとしたら、
あの3年前の荒唐無稽に思えた「住むぞ」宣言は「原因」だったと言える。


大昔に読んだのですが、こんな表紙だったか記憶が無い。
「原因」がなければ、今僕がこうしていることは無かったのだ。

もしかしたら、パラレルワールドの主人公よろしく、今この瞬間にいつもの同じ電車に揺られ、いつもの職場に行き、いつもの定食屋でいつもの日替わりを美味い!と食べていたのに違いない。
(それはそれで悪くないのかも知れない。だけど、少なくとも僕はそんな毎日に飽き飽きしていた。要は価値観の問題。ただ僕個人からすると、こういう生活にはやつぱしNo!と言いたい。仲間募集中!)

自分が望む結果を得たかったら、まずその「原因」となる行動に注目せざるを得ない。

産業革命の時代を生きたイギリスの詩人が言った事を解釈すれば、両方はチャリンコの両輪だ。

しかし、その行動はどう興せばいいのだろう。

大人になると、気が付くとあれは1年前だったのか2年前だったのか、毎日が同じ様に過ぎて行くので思い出せない時がある。
「やべ、昨日食った飯が思い出せない!「まじか?オレなんて妻の名前が出てこない!」

一日の終わりがいつもコンビニで買って帰る同じ銘柄のビールという「結果」なのは、朝起きてからの「行動(原因)」も昨日と同じだからなのに違いない。。

そもそも、人間にとって「昨日も明日も揺るぎのない安定(を無意識に望むこと)」とはデフォルトで組み込まれたプログラムだと思っています。

(自分で考えついた訳では当然なくて竹内久美子氏とか理系のエライ先生っぽい人のエッセイを読んで、なるほど!とインプットされたインスピレーションです。)

要するに、骨付き肉を頬張っていたギャートルズやフリンストーンの、飢饉や飢餓、洞穴に獲物を追いかけてカウンターで襲われて命を失うような「毎日がリスク」みたいな時代から、安定志向になるよう脳みそがプログラミングされてる、ということだろう。

変化を伴う「ブランニューな結果」を作り出す「行動(原因)」を起こすにはストレッチがかかるに違いない。

とは言え、毎日が同じで閉塞感があるのなら、まずその結果ではなくて、自分の行動(原因)にフォーカスして、そこをチェンジしなくてはならない。

何で、私は毎日同じ顔の嫌味極まりない上司と顔を合わせてるんだろう、どうしてウチの旦那は外面はいいのに、家ではあんなにも最低なんだろう、オレはどうして、今ここにいて、あそこにいないんだろう。

恐らく、結果に問題があるのではなくてあなた自身が起こした原因に問題があるのだ。

これは僕が言ってるんじゃなくて、100年以上も前の偉大なる詩人が言っているのだから、きっと価値があると思う。
英語が得意ならタダだ!Kindle最高!


仏教でも因果応報とか難しい熟語があるが、要は同じ意味だ。

先ほどチャリンコの両輪みたいな話を書きましたが、
きっとアクションを起こす、という小さな冒険は初めて自転車に乗った時と似ている。

自転車は分かりやすいメタファーだ。

安定させる為には、コケるリスクを取りながら、懸命にペダルを漕がなくてはならない。

最初は当然不安定だ。

いっその事なら、チャリを降りて歩いた方が楽だし、今日のところは行きたい所に行けるだろう。

でも、それではエキサイティングな風景や、風を切る心地良さ、そして辿り着けるであろう距離に到達する事は出来ない。何よりも開放感が無い。(坂道の昇りは押し歩きしてしまったとしても!)

初めてチャリンコに乗れた子供の時の喜びは言語に尽くし難い。
それを再体験するのが、新たな行動を興す事だと定義してみたら、人生はもっと楽しくなるはず。

僕は、今よりもっと遠くに行きたい、もっと自分の人生の風景に彩りを増やしたい。
そして一番大きいのが会社、というよりも「組織の論理」に振り回される人生から自分を解放したい

そう考えて、思い切ってペダルを思いっきり漕いでみただけなんです。

最初は、まだあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、いつコケるかも分からない。

でも、いつか安定したスピードが出せると信じています。

そして見た事のない風景を楽しみながら、行動をしなかったら辿り着けない場所に行ってみたいと思っています。

2014年10月26日日曜日

中年の危機は神様がくれた再生へのチャンス。自分に素直になろう。そして、やはり行動をしかけていくしかないのだ。

人生のある時期になると、自分という存在の真ん中に立ち止まり、戸惑う瞬間があるものだ。

過ぎてしまった人も、これから迎える人もいるだろうが、みんな経験する。それは重要な瞬間だよ。

現実的な決定を下さねばならず、もはや夢のようにただ思い描く未来に隠れ続けることは出来ない。

これ、Side Waysという2004年に公開された映画の日本版公式サイトに寄稿されたプロデューサーであるマイケル・ロンドン氏の言葉です。

風光明媚なサンタバーバラ近郊のワイナリーなロケーションも最高!
この映画は優れた原作を優れた映画に昇華(アダプト)させたクリエイターに贈られるアカデミー脚色賞を受賞した優れた作品なのですが、
もう見事に「中年の危機と再生への希望」を描いた作品だった。

どこかで、今の自分のいる場所は決して本当の自分がいる場所ではない、そう思いながら、いつしか自分の夢を諦め、誰に言われた訳でもないのに、現実との折り合いを優先して生きている。

そして訪れる、「オレの人生これでいいのかよ!」な中年を襲う自己喪失感。

このプロデューサーの言葉を、後生大事にクリッピングしていた公開当時35歳の僕は、きっといつか訪れるであろう自分自身の中年の危機を予感していたんだと、会社を辞めフリーになった今なら思える。

思い返してみると、僕は10代~30代とあまり自分の進路に悩んだ経験はあまり無かった。

そう書くと、エラくスマートな人間をイメージしてしまうけれど、実際は真逆です。。。

自他ともに認める劣等生で、ある教科では及第点ギリギリを取り、ある教科は教師がカンニングを疑うくらいのスマッシュヒットな成績を修めるので、
自分がどう道を進めばいいのか迷うチョイスの幅が全然無かったのであった。

人間優秀過ぎると、そのせいで悩んでしまうのだ、オレはアホで良かった。と真剣に考えていたのです。

おかげで、自分の「好き」と「生きたい方向」が見事に合致し、青春に付き物の「悩み」とは無縁のまま突っ走ってこれた。

アホ、最高です。

社会人になった時でも、自分が起業出来る程の気力とスキルがあるとはとても思わなかったし、とにかくどっかの会社に潜り込んで給料を貰いながら20代を謳歌しつくそう、という変わらないアホっぷりを炸裂させていたのです。

その後、様々なご縁を通じて転職とプロモーションというか出世を繰り返し年収も同時並行で上がって行った。

30代前半で結構早めに管理職になった後も、自分より遥かに優秀な部下とスタッフのおかげで充実しそこそこ順風な生活を送っていました。

なので、自分にそんな日が来るとは思っていなかった。

middle age crisis。中年の危機。
このやり場のない思いの出口はどっちだ!!

40歳を過ぎると、どれだけ気持ちが若くて体力があっても、頭の片隅で「ああ、人生の半分は折り返してしまったんだな」という事を考える。

そして40にもなれば、自分の両親も確実に歳を取ったなぁ、と客観的に思わざるを得ない。

決してネガティブな意味ではなく、単に世に生を受けたものには必ず終わりがある、というシンプルな法則を結構リアルに考えるという意味でだ。

そんな事を考えない40過ぎの人とは僕は友達になれそうにない。多分。

そして思うのだ、オレの人生これでいいのか?と。

本当にやりたいことをやっているのか?
自分は何に貢献する為に生まれて、そして今生きているのか?
息子に今のオレの生き様を自慢出来るだろうか?
っていうか、オレは今いい顔してるんだろうか?

きっと二昔前に流行ったピーターパンシンドロームと中年の危機が同時に来てしまったのだ。

常識的に考えれば、普通大人はそこで自分の人生に折り合いを付けて生きて行く覚悟を決めるのかもしれない。

自分は家族の為、子供の為、会社の為、顧客の為に生きて行くのだ。そう覚悟を決めるのかもしれない。

でも、何となく僕個人としては、それは無い、と思った。
むしろ嘘くさい、と思った。

自分が自分の為に生きる覚悟を決めた時に、きっとそれが家族や人への好影響を産み出すに違いないと考えた。

決して、それは自分さえ良ければ良い、といった利己的な打算ではモチロン無い。
自分をごまかす生き方は、結局対人関係もごまかす、ということにつながるという意味で考えているのです。

そして、この映画プロデューサーの言葉に戻る。

「現実的な決定を下さねばならず、もはや夢のようにただ思い描く未来に隠れ続けることは出来ない。」

これはどういう意味だろうか?

夢を見ず、現実を直視しろ。という意味だろうか?

僕はそうは思わない。
この人間を鋭い洞察力で診る、アカデミー賞を穫るような優れたクリエイターがそんな野暮な事を言う訳が無い。

「夢を未来の夢としてみる甘い時間はもう終わったのだ、今ここにある現実があなたの未来なのだ。行動への決定を下すのも未来のあなたじゃない、今の現実のあなたなのだ。」
きっとそう言う意味だと僕は考える。

やはり、Now or Neverなのだ。
今を生きるのか、過去に生きるのか。
誰にも決められない。決めるのは自分自身なのだ。

このプロデューサーが言う様に、中年の危機はきっと誰しもにそれぞれの形で訪れる。
それはきっと神様があなたに与えたもう一つのチャンスなのだ。

一度母親から生を受けた時と同じ様に、今度は自らが自らを再生させるチャンスなんだと僕は思う。



2014年10月24日金曜日

ワイキキに、普段使い出来る心地良いバルとかあったら、やっぱいい。で、探し出したお気に入りのバル。

先日のポストの中で、LAという街ではぷらりと仕事終わりに気の向くまま一杯飲んで帰る、みたいな流されるライフスタイルは不似合いだ、みたいなことを書きました。

その舌が乾く間もなく、ワイキキでぷらりと寄れるバーをやっと見つけた!、みたいな趣旨のことを書こうと思います。


ホノルルに暮らして何が不便だったかと言えば、家でもないオフィスでもない第三のくつろげる場所、というスタバみたいなバーが中々見つからなかった事。

育児を最優先しつつも、不良イクメンにはそういう場所が必要だ。

ボクはスタバより新橋の喫茶店が好み、っつうこともあって、星の数程あるホノルルのスタバにはほとんど行きません。

そもそもアルコール抜きでくつろぐ、というコンセプトがボクの中に無かったりします。

東京で10年来行きつけにしてる恵比寿のワインバーがベンチマークなのですが、特徴として以下の通り。

  1. ぷらり、と行ける立地。
  2. 一杯ワンコインから1,000円で飲める。ふところに極めて優しい。毎日通える。
  3. CODなので、気が向いた時に清算の煩わしさが無く、ふらっと帰れる。
  4. 一人客が多い。
  5. オールスタンディングなので、移動が容易い。
  6. かつ程よい狭さで、客同士の交流が自然。
  7. 常連が優しく、リベラル。
  8. 合コンに不向き。 

ホノルルには素敵なホテルのバーはいくつもあるけれど、1杯15ドルくらいでさらにチップとタックスを考えたら、残念だが「ぷらり」なコンセプトからは外れてしまう。

仕方が無いので、家の近所に幾つかある、スポーツバーやアイリッシュバーを試してみた。


写真はイメージ

嫌いじゃない。
が、落ち着かない。

一人客が、カウンター越しに店の人とまったり世間話する、
隣り合わせの人とさりげなく会話を交わせる、
という雰囲気が皆無だ。

そもそもワイキキは観光地なので、そういうアメリカンなバーでは大抵メインランドのツーリストがグループで固まって飲んでいて、客同士が何となく話しかけ合い、近過ぎず、離れず仲良くなるみたいなカルチャーがない。

そういうことを出来そうなのは常連っぽいベースボールキャップをかぶった変なオジさんで、そういう人は大抵一方的にしゃべり、ついでにツバまで飛んで来るので、逆に仲良くなりたいタイプでもない。

基本働いている人は忙しいので、サーブしてくれる時だけ笑顔を投げかけ合うくらいだ。

おかげで、ずっと人に待たされてるさえないヤツに自分が思えて来る。
腕時計を意味も無く見たりする。

これなら、家で飲んでた方がマシだ。

ところが、そんなワイキキでようやく見つけた。
今年オープンしたばかりのワインバー。

Il Buco。
YelpのLINKをどうぞ。
Il Buco - Yelp

ワイキキのほぼ中央にあるのに、近隣は落ちついたコンドばかりで、日本人やメインランドのツーリストも皆無で、大きさも誰かの家のリビング程度で心地が良い。

オーナーはイタリア人で、彼かクロアチア出身の店番みたいなオジさんがサーブしてくれるので、ハワイと言うか、アメリカにいる感じがしない。
ヨーロッパのバルに近い。

タコのマリネや、タパスも10種類くらいあって、どれも絶品。
誰かとゆっくり会話しながら飲むのも良いし、一人でもゆっくり出来る。

そう思って、先日も行ったら、スゴイうるさいグループが居て「げ、ここもダメか!」と、一瞬引いてしまったのですが、
その後、一回もそういうグループに会う事はなく、例外だということが分かった。「ほっ。。」

こちらは、お薦めです。

2014年10月22日水曜日

今になってLAという街の本当の魅力に気が付いた、という超個人的なLA論。。

何しろボクは単純だ。単細胞だ。

あれほど、砂漠の上に人口で作ったプラスティックな街とLAを小馬鹿にしてたくせに、そのLAから強烈なインスピレーションをもらって帰って来たのだから。
メルローズのロンハーマンの二階の外の階段の上

いや、この言い方は語弊がある。LAを愛してる人達に失礼だ。

もともと、80年代に10代を過ごしたボクは、ブルータスとポパイが巻き起こした空前の「西海岸」ブームに素直に従って、盲目的にカルフォルニアのカルチャアに憧れていた。
ポパイ創刊号
1939年創業の小宮山書店さんのブログより
高校生の時、いつか必ず訪れたい世界の街トップ3に入っていたのがLAに他ならない。

もう二つはNYと香港だった。
ビリージョエルとカンフー映画が好きだった。

日本の遥か東側にある大陸の沿岸を「西海岸」と日本語で呼ぶのに当時も今も全く違和感を感じないのは、その時の名残に違いない。

杏里は「窓を開ければサンタモニカの海」と歌い、桜田淳子までもが「来て来てサンタモニカ」と歌い、そしてイーグルスはこの街が幻想と矛盾に満ちていることを歌っていた。
言わずと知れた名盤

それでもカルフォルニアのLAという街はボクの憧れの街であり続けていた。

それが、出張での東京<->LAを繰り返すうちに、車がないと不便極まりない平坦な街、というような印象に変貌してしまっていたのだ。

東京やNYは「歩ける」ので、一時的な旅行者でもその街の空気を肌で感じながら、街の一員として溶け込む事が出来る。

LAは、自ら車のハンドルを握り、目的地に寄り道なぞせずに一直線に向かうという感じで、移動手段を持たない部外者はいつまでも部外者な所が冷たいと感じていたのだ。
法定速度は一応の目安でしかない。でもマナーは一流。

今回の旅でも、相変わらずLAはLAだった。
変わったのは、ボク自身に他ならない。

そもそも開拓時代から長い歴史を持つこの街で、車しか移動手段が無い(この際、危険な感じプンプンなメトロのバスと地下鉄は無視します)のは、主体的に目的を持って行動する、というアメリカ人の個人主義を象徴してる気がしてなりません。


自分から能動的に動かなければ何も始まらないのがLAなんだと気付いたのです。
街を目的無しにプラプラ歩いて、何か発見する、などと言った情緒的なメンタリティは全く不似合いな街がLAなんです。

自分が降りない駅でも電車が止まる生活と、ドアツードアで一直線に目的地に着く生活の違いが想像出来ると思う。

やっとこさ開通した地下鉄に対し、この街の住人の愛情が無いのも理解出来る。

自分の行動を自分でコントロールし、今日はここで海に入って、その後ここでビジネスランチを取って、どこぞで人と会って、とっととフリーウェイに乗っかり家に帰る。
夕暮れ帰宅のラッシュ

いつもの駅でJRから日比谷線の乗り換え途中で、ついつい一杯飲んで行こう、みたいな流されるライフスタイルとはほど遠いのがLAだ。

ここでは流されていては、どこにも辿り着く事は出来ない。

そんな、主体性を持ち、目的意識の高い人間に取っては、LAは最高の環境を与えてくれる。
ビジネスオポチュニティ、海のある生活、一年中穏やかで雨の降らない気候。
意識を高くして、自分がどこに向かっているのか理解していれば、必ず刺激的なイベントや人間と交流出来る街。

今回の旅でも、自分でビジネスを始めた女性経営者とミーティングを持ったのですが、彼女はマイアミからLAを訪れていた。

彼女達のように、その街に引き寄せられて来る強烈な個人としての目的意識を持った集団がこの街をエキサイティングにしている。

そしてそのパワーはさらに人を呼び込む。
そういったエネルギーを持った人間がさらにこの街にパワーを還元して行くという循環が起こっているのだ。

それが、街の魅力となって、世界に唯一無比のロサンジェルスを形成しているのだと気付いた。
きっとこれは西部開拓時代からきっと変わらないのだろうと確信した。

もちろん、マテリアリスティックな意味での野心や成功、という意味ではなくて、自分の人生を自分で生きて行く、という意味でのパワーだ。
大手企業に勤めてます、とかそういうのは関係ない。

自分は誰で、何をしてて、これからはこうしていきます、という自己と方向性を確立している人間が持つパワーだ。

ボクが移動手段がなくて、受け身100%でホテルと仕事に向かう送迎のバンの中でツマラン街だとかブツクサほざいていた時と言うのは、この街の大きな魅力に気が付いていなかったのだ。

また刺激を貰いに来るぞロサンジェルス!
そして、気づきをくれてありがとう。

カラッと乾燥した空気の中で飲んだコクの無いバドワイザーは最高の味だった。





2014年10月21日火曜日

子供の集中力が教えてくれる、自分の「好き」を見つける秘訣。

子供はいつだって大事なことを教えてくれる。まるで先生みたいだ。

例えば、どんな環境でも自分の「好き」に忠実で夢中になれる「集中力」。
ウチの息子の場合はドローイングに驚異の集中力を発揮する。

そういうことを書こうと思って、ググってみたら、予想外に「集中力がなくてどうしたものか」で困ってる親御さんが沢山いた。

サクっと流し読みしてみたら、要は親のエゴ的に「これをさせたい」という要望が先にあって、それに「集中」出来ない子供についての悩みが多かった。

そりゃ、無理だろうなぁ。。。。


いい歳のボクだって、全く興味が湧かないことを他人から指示されたら全身から力が抜けちゃって、とても集中なんて出来ない。

もちろん、世のママパパ達は善かれと思ってるのは間違いないけど、子供の持つ高度な「これはツマラン」センサーには適わない。

気が多くて、あちこちに注意力が散漫している子だって、「他に何かオモロいことはないか」って高いレベルの集中力を発揮していることだと思うから。

子供が何かに夢中になってる姿は、多くのインスピレーションを与えてくれる。
先ず、ボクは何が好きなんだろう、などと言う事は考えていない。

目の前にあるモノに反応しながら、自分のツボにハマるものを徹底的に手を出してみる。
そして、ストンとハマるとずっとそれに夢中になっている。

翻って、ボク個人の例だけれど、フリーになってから自分のしたい本当に好きな事は何だろう、と自問を続けている。

心の底では「好きな事」に理由なんて無いと思ってる。
変な例だけど、大好物のカレーライスだって、お袋の作る餃子だって、ロジカルに考えて、探して、そして理屈で好きになった訳ではない。

ただ「出会っただけだ」。

大人になって、好きな事に「出会う」秘訣はなんだろう。
どうやったら夢中になって、時間を忘れるほど集中出来るものに出会えるのだろう。

先日、お客様として出会った50代のダンディな男性とお話しする機会があった。
世界各国で展開する企業を経営されている方で、ハワイにはサーフィン三昧しに来たとの事。

男惚れする圧倒的なオーラに気圧されながら、ボクは聞いてみた。
「そのバイタリティと成功の秘訣は一体何ですか??」

一瞬すっと真面目な顔つきになったのも束の間、また人懐っこい笑顔に戻ってこう言った。
「それはね、好奇心だよ」

結局それにつきるのだ。

ボクらの多くは大人になるに連れて、好奇心が加速度的に減って行く。
そして、したり顔の評論家になって行くのだ。

そしていざ自分が夢中になれる好きなものを探そうとしても好奇心が枯渇しているので、好きなモノ等見つかる訳が無い。
子供が、すぐに好きなものを見つけて、夢中になれるのは、圧倒的な好奇心を持っているからだ。

今自分がやっている仕事が「好き」な人は幸せだ。
子供のような集中力を発揮することが可能になるから。

もし自分の仕事や生活に「好き」が足りないと思ったら、まず「好奇心」を取り戻そう。

「好奇心」とは「一体これは何だ?」という未知の世界への興味であると言い換えられると思う。

いつもと違う本を読んでみよう、人と会ってみよう、場所へ行ってみよう。
行動によって、未知への興味を刺激して行くのだ。億劫になる気持ちを鼓舞してみよう。
考えずに、動いてみよう。

何でこれはこういう形なんだろう、なんであの人はああいう発想を持っているのだろう。
疑問を感じたら流さず、考えてみよう。
色々いじくり回してみよう。

分からなかったら、聞いてみよう。
Just ask。
知らないのに分かった振りはやめにしよう。

そうすることで、自分の好奇心もきっと息を吹き返す。
そうしたら、自分の「好き」も沢山見つかるはずだ。


そう子供の頃のように。

2014年10月20日月曜日

父を想う。ルーサー・ヴァンドロスの名曲に思わずぐっと来てしまい、車を停めて聴き入ってしまった。

カイルアのFMステーション。今もっぱらここしか聴いてません。
ボクが父親になった実感を持ったのは、産院で産まれたばかりの息子を抱き上げたときでは実はないんですよね。

その時は、なんというか、生命の神秘というか、種の存続みたいな大きなことを考えてしまって、ふわふわして地に足がついた感じがしなかった。

現実感としての父親感は、港区役所に一人車を走らせ、出生届を出して、役所のオネエサンと一連のやり取りをした後に「おめでとうございます」と言われた時だった。

赤坂にある役所を後にして思ったのは、オレの親父もこんな感じでオレの出生届を出したのだろうか?ということだった。

確かに、ボクはそれまであまり親父の事を考えた事は無かった。
戦後育ちのマイホームパパだった親父はボクに色々な事を教えてくれた。

ボクを本の虫、映画好き、洋楽ラブに仕立て上げたのも実は親父の影響だった。

それでも、自分が父親になってみるまで、親父の存在というのは当たり前過ぎて、何か特別な感情を親父に抱くということはまるで無かったのである。

ただ確信出来るのは、今ボクが息子に抱いてる感情や愛情、やわらかい頬っぺにぶちゅぶちゅキスする時の気持ちとかもきっと共有しているという実感だ。

今でこそ、一人前な事を親父に言っている自分もかつては彼の腕の中で安心して、無邪気に笑っていたのだ。

いつになく、感傷的な気分になってしまったのは、
いつも車で聞いているカイルアのラジオステーション
KRTR-FM 96.3 FMから、ルーサー・ヴァンドロスの「dance with my father again」が聴こえて来たからだ。

初めて聴いた曲ではないのに、何故か今日は歌詞が心に沁みてしまい、車を近くのパーキングに止めて聴き入ってしまった。


Luther Vandross - Dance With My Father



自分を愛してくれた父親が、ある日突然この世を去ってしまう。彼は小さな子供の僕を抱えながら、母親とダンスをしてた。子供の頃、確かに僕は父に愛されたんだ。そんな父がいなくなって、母さんは時々泣いてたよ。僕は神に祈った。もう一度父とダンスをしたい。母の為に父を帰して欲しいと。でも、父は帰ってこなかった。そして今、僕の母親は死を迎えつつある。また父とダンスをする為に

思わず、涙が出そうになってしまったのでありました。

あらゆる意味で親父を超えようと考えた事もあった。でもきっとそれは出来ないと思う。
親父はいつでもオレの親父だから。

親父がオレにしてくれたように、オレは息子に出来る限りの愛情を注いで行こう。
そして、両親に感謝して、親孝行を出来るだけしていこう。

2014年10月19日日曜日

ハリケーンな週末の昼下がり。子育てにも自分なりのルールを設けようと決心した。

ANAという航空会社みたいな名前を付けられたハリケーン(レベルとしてはトロピカルストーム=強度な熱帯性低気圧)がオアフ島に接近しているので、せっかくの土曜も時折激しい風が舞う雨の一日となった。
住んでいるコンドのエレベーター貼られた、ハリケーンへの注意喚起

こういう日は、運命に逆らわず、大人しく家に引きこもってるのが一番。

独身なら例えばKindleに溜め込んだ新刊を適当にチョイスしてビールを片っ端から空けて読書三昧も出来るんだろうけど。。

そうボクには同じ様に週末の休みを心待ちにしている5歳のやんちゃ坊主がいる。

妻は一日仕事に出てるので、この愛すべきやんちゃ坊主とマンツーマンで終日対峙する事になる。

こうやって息子との時間が圧倒的に増える前までのボクは、家にほとんど帰らない平日の贖罪の意味を込めて、半ば義務感のように週末を息子と過ごしていた。

しかも、ボクの中での優先順位は独身の頃のそれを引きずっていて、本当はxxxをしたいけど、仕方なく子供と過ごしている、みたいなニュアンスが無意識にあったような気がする。

息子と過ごす時間は確かに楽しい。それでも、自分のしたい事もきっちりクールにこなす、みたいなのもクールだと思っていた。

で、ふと思う。
自分のしたい事って何だ?

子供が「パパ、遊ぼ!」なんて無邪気に言ってくれるのは多分今しかないぞ。

オレの最優先事項はKindleにダウンロードした「よく分かるフリーランスのファイナンス」みたいな本を読む事じゃなくて、今この瞬間の感情を最も優先して生きてる息子とガチンコで遊ぶことじゃないか?

「ちょっと一人で遊べるだろう?ほらお絵描きして」とか言うより、「よし、何して遊ぶかっ!?」って言う方が「自分のしたい事」なんじゃないのか?

ここである法則を思い出した。
「クリエイティブになるには、一定の縛りを設ける方がよりクリエイティブな発想が出来る」というやつだ。

自由を与えられるほど人間は逆に普段の自分の思考のリミットを超えられないというお約束のテーゼだ。

子育ても同じだ。
自分の中にルールという縛りがないと、結局「なんちゃってイクメン」なしょぼい自分のまま子供に影響を与えてしまう事になる。

そこで、
  1. 子供が「遊ぼ!」と来たらチェーン居酒屋の店員よろしく「喜んで~!」と最優先する。
  2. 子供が「遊ぼ!」と来たら本気で遊ぶ。マジで遊ぶ。
という縛りを設定した。

いつか子供が遊ぼと言って来た時に、「これ読んだら」と読みかけの雑誌を鼻先に掲げたら全身の力を振り絞ってその雑誌にアタックしてきた。

当然、ボクは怒り、息子は激しく泣き、互いに後味の悪い時間を過ごしたことがある。

なので、「今この瞬間を精一杯生きている」子供には「後で」の概念はないと理解し、是が非でもなく優先して彼に付き合う事に決めた。

いつか子供とレゴで遊びながら、片手でiPhoneをいじくっていた時、子供はそのiPhoneにアタックしてきた。

当然、ボクは怒り、息子は激しく泣き、互いに後味の悪い時間を過ごしたことがある。

なので、子供は大人の適当さを完璧に見破る事が出来る、どうせ遊ぶならばトコトンまで付き合うべし、と腹に決めた。

遊んであげる、のではない、こっちも対等にウルトラマンフィギュアで闘うし、真剣にミニカーでの決死のチェイスをし、レゴで見た事の無いヘンチクリンな乗り物を創造をするのだ。
ロボットのバッタのような奇妙な乗り物が完成
大人がマジで遊ぶときの必需品であるビールは無論忘れずに。


このミッションをマジで遂行した結果、息子は非常に満足したようだった。
おかげで、こっから先は自分で遊ぶ、ということでゆっくりKindleを堪能する時間が持てたのでした。



2014年10月18日土曜日

しばしハワイを離れてLAへ。機内はボクにとって普段使わない脳細胞を酷使する場所。そして色々悶々と考えた。

LAまで子連れ旅。現代版子連れ狼の図。しとしとぴっちゃん。
スキあればキャリーバッグに飛び乗るmy son。あぶないっつの。

仕事のネタ探しがメインだったので、子供が行きたがる本場ディズニーランドとボクが行きたい本場ユニバーサルスタジオは当然無情にもお預け。。。

息子もゼロ歳から海外に連れ出したりしていたので、飛行機は慣れたもの。
必ずディズニー系のプログラムがあることを心得ていて、いっぱしに座席で早々にモニターに見入ったのでありました。

ボクは閉所恐怖症と自称の割に昔から飛行機の閉ざされた空間が大好きで、それは日常から非日常へ移行する際の期待感や開放感が入り交じった感覚が心地よいのです。

そういう大好きな空間で、息子も熱心にディズニーキャラに夢中になってる瞬間というのは至福で、あらゆる思考を巡らす時間でもある訳です。

このブログのタイトルに「now or neverな行動論」とつけたのは、意味があります。
意味合いとしては「いつやるの?今でしょ!」に限りなく近いのですが、もっと強い「やるか一生やらないかのどっちかだ」というニュアンス。

ボクは二重人格で、とてもアクティブな部分とメチャクチャ引きこもりな部分があって、常にどちらかに振れています。

まぁ、基本は面倒くさがりだと自覚していて、そういう自分があまり好きじゃないので、自分で行動の為のモチベーションを常に探している、というのが実態なのですが。

このタイトルもそういう億劫な自分を鼓舞する手段という訳です。

行動の先に未来がある、今この瞬間行動するのか一生しないのか、どっちだ?え?!と。

やらないで後悔するならやって後悔しろ!と自分をけしかけて、そして挙げ句の果てにぬるま湯で心地良い会社勤めまで辞めてしまったんですから罪な言葉です。

こうやって、会社を辞めてフリーとなり、さぁ、今後オレはどうなって行くのだろう、どうなって行きたいのだろう、と逡巡とするのに乾燥した機内は最適なわけですが、そうやってブツブツ考えているうちに色々なアイデアというか考えが浮かんでは消えて行きました。

そういうふわふわとした思いを備忘録としてEvernoteにメモったのを、このブログで数回に渡って整理した上で文章化していこうと思ってます。




それにしてもやはり、旅をするというのは自分の頭を整理する良い機会になるな~と実感ています。

2014年10月11日土曜日

人生は選択と行動の結果が全てということを肝に銘じて生きて行こう!そして自分で考えて選択することが大事なんだと子供に教えてあげよう!

モンスターという凄まじい映画があった。
シャリーズ・セロンが13kgも体重を増やしてクリスチャン・ディオールの広告に出ている姿とは正反対な体当たり演技をしていることでも有名で、
彼女はその映画でアカデミー主演女優賞を穫ったりしているわけですが。



もう10年以上前の映画をなぜ今思い出したのかと言えば、サンフランシスコで起業している30代の友人が同い年くらいのホームレスについてフェイスブックで投稿したからだ。

彼はそのホームレスがそういう境遇にいるのは自業自得かもしれないが、きっとどうしようもないくらい後悔しているかもしれなくて、それでも更生施設にはいかず、彼が恵んであげた2ドルもきっとドラッグに姿を変えてしまうだろう、みたいな事を書いていた。

人間が産まれてから死ぬまで、生きて行く間に起こる事は「選択」と「行動」の「結果」でしかない。

そのモンスターという映画の主人公は、実在の女性がモデルでフロリダで売春で生計を立てている。
彼女は、ある少女のような女性と出会うことで、同性愛的な感情に目覚め、なんとか更生しようと真っ当な職を探す。
何のスキルも、世間的な常識すらない彼女は当然の事ながら、どこの職場でも門前払いに近い形でリジェクトをされてしまう。

自分の人生そのものをリジェクトされたと感じる彼女は、毎晩彼女の売春の客となる男を殺して行く。彼女をリジェクトする社会への復讐にように。
というようなストーリーだったと思う。

あまりにも衝撃的で考えさせられる映画だったので、観賞後にAmazonのレビューでも同じようなことを書いたのだが、
彼女や、友人のフェイスブックにあったような若いホームレスというのは、恐らく常に「選択」を間違えて来たのだ。

そして、例えば社会から拒絶をされた時に、社会が「自分自身」を拒絶したのだと考え絶望してしまう。
結果として、悪魔のスパイラルにハマってしまい、生涯社会を恨んで生きて行く事になってしまう。

恐らく社会が「拒絶」したのは、スキルのない部分だったり、汚い身なりだったり、喋り方だったり、少なくとも「自分の全て」を拒絶したわけではないはずだ。

だから、次の行動に至る時に必ず「選択」の余地があったはずなのだ。

スキルがないなら、まずスキルが必要のない職は無いのか?そこで低賃金で働きながらスキル獲得の為の学校に通う。
シャワーを浴びて、小奇麗にしてから出かけてみる。
喋り方が上手い人間をモデルに話し方のトレーニングをしてみる。

そうやって「選択」をしたらなら次は「行動」を起こす。
それだけで、随分と人生は好転するものだと思う。
これらのストーリーの主人公達は、「拒絶」を真っ正面から受け過ぎてしまい、自分には「売春」「ドラッグ」しかチョイスがないのだと思い込んでしまう。

生きて行く以上は、どうしても不愉快で困難な障害というのは必ず訪れる。
その時に、あたかもそれが絶対的で運命的な避ける事の出来ない事だと思うのは止めにしよう。
必ず、そこには「選択」の余地と「行動」のチャンスがあるはずなのである。

自分の子供に対しても、「これをしなさい」「あれをしなさい」と命令調で行動を促す事は自重しようと考えている。


何かをしなくてはならない時、その為にはどういう行動が必要なのか、他に行動の選択肢は無いのか、そういうことを自分の頭で考えられる人間なって欲しいと思うから。

2014年10月9日木曜日

日本の英語教育の状況を見て、ボクだったら英語が嫌いになっちゃうかも知れないと思った。

たまたま子供の英語教育に関するネタをネットでさらっと幾つか見てたのですが、正直「マジかよ!」と言う感じです。はい。

勢いあまって、文科省のサイトを見てみたりしてたのですが、「国際化」が、とか「国際人が」とか、「教科が」とか、これ子供の英語嫌いの量産計画にしか思えないな〜。
ボクが子供だったらきっとゲンナリします。多分。だって、国語の勉強だってしなきゃならないのに、「外国語」を勉強しなきゃならないなんて、酷過ぎる。。




他のサイトも結構「勉学」というか、子供を教育する上で「英語がかかせない」ので、なんとか「教えよう」としている感じがほとんど。

自分の子供に英語を話せる様になってもらいたい、という親御さんが多いのはネットで見ていてもわかるし、すごいパッションも感じます。

これはボク個人の経験に過ぎないので、もしかしたら特殊なケースかもしれませんが、
親からの押しつけや、学校の教科書がきっかけでその教科が好きになった事はありません。先生がきっかけで、っていうのもありません。

学校の外で興味を持った事が、結果として学校の勉強につながることが多かった気がします。

小3の時に親父に連れて行かれた本屋で買ってもらった「江戸川乱歩の少年探偵団」。
この本をきっかけにボクは本の虫となり、国語の成績は急上昇。
気が付けば児童向け世界文学全集は全て読破していました。
そして、その流れは途切れる事が無く、ニュートンやエジソン等の伝記物に走れば理科の授業の成績も上がる。(数学の伝記物は読まなかったので、算数はずっど苦手でしたが)。

英語の話に戻すと、前のポストでも書いた通り、特に言語は絶対に勉強してはいけない、というのがボクの持論です。
あくまでも「言語」はツールとして親しんだ方が絶対身になると思うから。
子供にとって一番の関心事は遊び。遊ぶ為に英語を使う、というシチュエーションをセットしてあげればいいと考えているのです。

確かに「勉強」として詰め込めば「点数」は良くなるかもしれない。
でもそれって全然楽しくないし、一定の(多分英語に関しては多数の)落ちこぼれは必ず出ます。ボクも学校の英語の成績は散々でした。

ボクは、世界の共通言語は「英語」になってしまっていると思うので、「英語」を話せる事が個人のチャンスや可能性の広がりに寄与することは間違いの無い事実だと思っています。

ボクも英語のスキルがなければ、今何をやっているかの想像すらつかないくらいです。

だから、「英語」が必須となる社会というのは理解出来ます。
でも、日本は日常の生活レベルで英語はほとんど必要ありません。

となると、やはり勉強だけが、英語習得の手段なのでしょうか?

ボクはそうは思いません。

確かに勉強の行為そのものが好きだ。という子供は存在していて、特に勉強としての英語が得意で、それが高じて外交官になりました、っていう人もいるでしょう。
でもそういうエリートは一部。
多くのちびっ子は、そんなに勉強が好きじゃないはず。

なので、例えば、まだ就学前の子供だったら、好きな絵本がたまたま英語だった、という状況を作ってあげる。ストーリーに興味がなくては、苦行になってしまいます。
そして一緒に読み聞かせをしてあげる。親の発音が悪くてもそんなのは気にせずに突っ走る。

野球に興味がある小学生だったらメジャーリーグの野球を英語の実況で観戦する。

あくまで英語は手段で目的を別におかないと、言語は身に付く事はないと思うのです。
ボクの同級生でも英語授業では圧倒的な成績を修める歩く単語帳みたいなヤツがいました。
でも、彼は英語でコミュニケーションが取れません。

ボクの息子はハワイの保育園に通っていますが、気が合う友達のダニエル君とコミュニケーションを取る為に英語が上達して来ています。
家では普通に日本語です。それでも好きなテレビ番組は全部英語放送なので、英語で観て笑っています。ボクは無理に英語を話させようとは思っていません。
それいいのです。



ボクが学校の勉強が心の底から嫌いだったので、こう考えている部分もありますので、万人に通用するとは思っていませんが、道具、目的の為のツールとして英語を捉える事が、英語習得への一番の近道です。
そして、ママやパパがその環境を作ってあげる事。
それが大事だと思う。

これから「熱く」なってくる日本の英語教育で挫折する子供が増えない事を祈りながら、今日のブログを終わりにします。













2014年10月4日土曜日

日本の世界遺産を巡るオトコ二人旅を思い立ったので、ブログでコミットしてみた。

今まで、頭の中にあるモヤモヤとした欲求というか妄想を紙に書く事で、整理して顕在化して、実現出来た事が多かった気がします。

今、会社を辞めてハワイで生活しているのも紙(というか、PCとEvernote TM)に書いて、パームツリーとかビーチとかのビジュアルをコピペして、イメージを鮮明にして初めてアクションがスタートしたのです。

東京で借りている畳二畳分の倉庫に大切に保存してあるはずの、自分史上最古の「妄想メモ」には高校生の時の「英語をネイティブ並に話せる様になる」というのが残っています。

ボクはかなり注意力散漫な人間なので、何か思いつくとどこかに記録しておかないと、すぐに忘れてしまうんですね。
自分が何をしたいのか、すら忘れてしまいます。
ランチにラーメンを食べに出たはずが、何故かナポリタンを食べていて「へ?」と言うのがとても多い。

なので、これも思いつきですが、ここに文字として記録しておきたいと思います。
必ず実現すると思うので。

その思いつきとは、息子が小学生になったらオトコ二人で日本の世界遺産を巡る旅に出る、ということ。

ボクは80年代に日本で10代を過ごしメンズクラブとポパイを愛読した健全な男子として、欧米、特に米国への憧れが強かった。
それが高じて高校卒業後に大学進学の為にアメリカに移住してしまう訳ですが、そこで気が付いたのは日本とは何と素晴らしい歴史と自然と美味いメシに溢れた国であったのか!
納豆、味噌汁最高!ということ。

やはり、人は一度家を出なければ、実家の良さは分かりません。

社会人として日本に戻った後も、仕事で忙しく中々全国を旅して回るという贅沢な事は出来ませんでした。(連夜の飲み会にも忙しく・・・)

せっかく、会社人生から抜け出した今、まだ40代のウチに経験したいと思ったのです。
一人で旅をする、というのは三度のメシよりも好きなのですが、ここはやはり一人息子を道連れにする旅を選びたい。
奥さんも、「そりゃいい!」と手放しで喜んでます。(何でだろ?)
子供に日本の世界遺産を見せて、彼がどういうインスピレーションを得るのかは全く想像もつきません。
もしかすると、ウルトラマンショーに連れて行った方が余程喜びは大きいのかもしれない。
ただの親父の自己満足になってしまう可能性大。

それでも、息子が思春期を過ぎれば親と旅行するより、友達と夏のキャンプを選ぶだろうし、自分の経験でも分かる事だけれど、10代後半から20代前半というのは親から最も遠ざかる時期。

息子がいっぱしになって、親父と旅行でもしてやるか、という気持ちになった時にボクは70近いだろう。
その時には、息子に何かを伝える、教える旅と言うよりは、むしろ息子に厄介になってしまうただの観光になってしまうかもしれない(そうなりたくないので、日々精進するつもりだけど)。
きっと、イニシアチブは息子が取るだろうし、むしろそうであって欲しい。

なので、やはり親父40代、息子小学生、というのがベストなタイミングなのであります。

さ、こうやって、書く事でコミットしたも当然。
きっと実現するだろう。

あ、ちなみに「自分史上最古のメモ」には続きがあって、
「英語がネイティブ並に話せる様になって、ブロンドのチアガールの女の子と付き合う」というものでした。
で、どうなったかって?(笑)
それはご想像にお任せ致します。。。。





40の手習いでサーフィンを始めたら、子供の感じる不安感に共感出来た。。。

5歳の子供が毎日同じズボンしか履きたがらない。
滑り台のやり過ぎでお尻の部分が擦り切れてきてるというのに、新しい素敵なズボンを拒む。
Tシャツの上に羽織るチェックのシャツも同じのを着る。
本人はこれを「ジャケット」と呼んでいる。
当然、親としてはこの頑固さに辟易としながら、何とか新しい服にチャレンジさせようとするのだが、そのやり取りで朝の貴重な時間が費やされてしまう。
何とかならんのかね。

と思ったら、やはりこんなドンピシャな本があった。

子供は同じものを身につける事で、新しいことへの不安を少しでも緩和したい、という心理があるらしいです。
実に深いです。

うちの子、どうして同じ服ばかりきたがるの?-ママたちの50の疑問に答えます


考えたら、4〜5歳の子供にとっては毎日が新しい体験やチャレンジの日々です。
乳児の頃と違って自我が芽生えている事を考えれば、つい物怖じしてしまうことだって多いだろう。
それを、毎日同じ服を身にまとう事で、その不安から少しでも逃れ安心を得ようとしている。
なんといじらしい(涙)。

そういう子供の気持ちに理解を示しつつ、新しいことへのチャレンジを見守って行きたいと思いを新たにするわけですが、何も新たなチャレンジに不安なのは子供だけではないよな〜と気付きます。

今回のブログの真のテーマはこっちだったりします。

コンフォートゾーン、という言葉を聞いた事があると思います。
「人間はデフォルトで、自分が快適な領域、空間に留まろうとする。しかし、自分を変えたい、より向上したい、と行動する時はこのコンフォートゾーンから抜け出さなくてはならない(私的超要約)」
というあれです。

ボクは基本的にユルい人間なので、「こんふぉーとぞーん、結構じゃないか!ギュウギュウ詰めの地下鉄より、マイカーの方が快適だし、締め切り間近に不快な徹夜するより、前もって余裕をもって仕事終わらすか、そもそもそんな無理な締め切り断っちゃった方が”コンフォート(快適)”じゃないか。」
と考えている不届きな人間です。

ですが、確かに「目的を達成する為に必要な行動」を阻む原因として、変えたくない、この場所に留まっていた方が楽チンだ、というあまり前向きじゃない状況もあります。
本当は仕事しなきゃならないのに、真冬のヌクヌクなベッドから抜け出すことが出来ない状態みたいな。

最近ボクは、そのコンフォートゾーンから抜け出す分かりやすい経験をしました。

それは、サーフィンです。

ビーチライフが好きで、ハワイに住んでいて、そういうボクがサーフィンをやらない、というと人は一様に「えーーーーーっ!!」と驚いたもんです。

いや嫌いでやらないんじゃないんです。
最高にカッコいいと思います。
でも、今まで全くやる機会が無かったんです。

というのが偽らざるボクの気持ちですが、本当に東京で仕事と飲みの毎日の中で「サーフィン」が入ってくる余地が無かったんです。

そういうボクを見かねたハワイの友人達が、「もし、やりたい気持ちがあるなら、やってみなはれ」とボードまで貸してくれて、ボクの背中を一押ししてくれたのです。

サーフィンは言うまでもないですが、日常とはまったく異なる身体の動きを求められるスポーツです。
ワニの様に腹這いになって、ボードの上で水を掻き、水面に心もとなく浮いたボードの上に立ち、地上では考えられない不安定な状態で、いい感じの波が来たらそれに乗ることを楽しむというものです。

慣れないパドリングで、気が付いたらビーチから相当離れた沖にあるポイントまで来てることに気付いた時は、「あ、これでオレはもう地上に戻れることはないのだ」、と不安と絶望の極地の心境に陥ったのでありました。
そうだ、オレにとってのビーチライフとは海上に出る事ではなくて、ビーチでピナコラーダを飲みながら水着の美女を眺める事なのだ!

とかなんとか、表情にはとても出せない激しい葛藤をかましたわけです。

当然、ビーチライフをエンジョイする上でサーフィンというのはこの上なく痛快な要素の一つで、その後も練習を楽しく続けてる訳ですが。

結局子供と言うのは、そういう「始めてやってみる」経験を毎日ほぼ連続で経験している訳ですよね。

そりゃ、不安になるのは当たり前。
でも、そこで自分のコンフォートゾーンを抜ける事で、彼らの世界が広がる可能性がある。
そこに留まっていてはいけないのだ。
変化が当たり前な態度でいなければ、この世の中を渡って行く事など出来ない。
と、ボードから投げ出され、波でユラユラ揺れるボードに必死にしがみつきながら悟りを得ました。太陽が眩しかった。

パパとしてボクに出来る事。
それは、彼が味わう毎日のチャレンジを見守りながら息子にとって安心を与える存在になることだ。

40を過ぎてしまったボクにもまだまだ未知の世界や体験がサーフィン以外にも沢山ある。
トウちゃんも頑張るから君も頑張れ!一緒に、新しい経験を積み重ねて行こうな!