Koy's blog

Koy's blog

2015年2月24日火曜日

今回のアカデミー賞スピーチで最も響いた言葉。Call your mom!


- 米国時間の昨日3月22日は第87回のアカデミー賞だった。


僕は生粋の映画ファンとして、ビールとポップコーンという完璧に正しい小道具をコーヒーテーブルにセットしてワクワクしながらオンエアを待った。


そして、オープニング前のレッドカーペットの中継から最後までぶっ通しでテレビで鑑賞をしたのだった。

司会のユーモアを交えた絶妙なトークもアカデミー賞の魅力だ。

今年のニール・パトリック・ハリスはブリーフ一丁とかになっていた。
それでも全然下品にならずいい感じに笑いを取りながら全般を仕切っていた。


レディガガのサウンド・オブ・ミュージックへのトリビュートも見事だった。


アメリカのポップスターはどこかの国のポップスターとは地球と冥王星以上の距離があることを実感させてくれた。

見応えたっぷりなアカデミー賞だった訳ですが、僕が一番印象に残った受賞スピーチは、
「Whiplash (むち打ち)」(邦題:セッション)の J.K.シモンズのヤツだった。



- ある人生相談のコラム


僕は18歳の頃から実家を出て生活している。


実家の土地と家を僕ら兄弟は放棄したので、もう28年も親とは同じ屋根の下で暮らしていない。

両親は幸い健在で、関係も良好だ。


ただ、親も年を取る。


簡単に会いに行くことの出来ない海外に住んでいる事へのちょっとした自責の念に駆られる事もある。

特に、孫の成長を間近で見せられない、というのがなんとなく歯痒く感じているのだ。

ロスエンジェルスの有名なフリーマガジン「ライトハウス」。
前回LAに行った時に読んだ人生相談的なコラムがとても考えさせられる内容だった。


親とは一体何であるか、みたいなことだ。


ついアプリでスキャンしてエバーノートに記録してしまった。

それはサンディエゴで仕事をする女性(50歳)からの投稿だった。


”日本住む(その相談者の)父親が余命半年で、そばに居て看取ってあげたい。しかし、仕事は辞められない。父親も母親も自分を犠牲にするな、と言ってくれている。長らく米国に住んでいたが今回程後悔している事は無い。”

みたいな感じで、それに在米詩人であるの伊藤比呂美さんという方が答えたものだ。

その伊藤さんの答えは要約すると、


「仕事を辞める必要は無い。親は(どんな状況でも)子供のシアワセを願っているものだ。あなたが自分達の為に犠牲になることを望んでいない。今は年取って見えるかもしれないが、本質はあなたを可愛がって育てた親なのだ。出来る限り帰るのがベストだが、(太平洋を挟んで離れているので)電話でもいいくらいだ。」
というものだった。

僕の要約では上手く伝えられないかもしれない。


その答えは決してクールなものではなくて、親と言うものの普遍的な存在意味みたいなものを、真摯に答えたような感じだった。

(全文はアーカイブがあったので、ご興味があればコチラで是非。
読むとLAに住んでる気分になれるかも、なローカルメディアです。)

僕は、年食った両親のそばに居てあげられないのを、若干負い目に感じていた。


寂しくないかな
とか、孫の顔見たいだろうな、とか。

ただ自分が親になってみて思う。

唯一の親の望み、と言うのは子供のシアワセ以外に無い、というのは確かにそうかも知れない。

その子供が親の為に自分を犠牲にする、とまでは行かないまでも、「自責」とか「負い目」とかいうのは子供である人間のエゴかもしれない、と思い至った。

- Call your mom, everybody (お母さんに電話しよう!)



最近は、一人暮らしの高齢者や高齢者介護の社会的な問題もあって、たった一つの絶対的な答えなんてないのは分かっている。

ただ、子供が出来る親孝行の最たるものは、「私は今シアワセですよ。」という事を伝えることなんだと思う様になった。

そんな時に、アカデミー助演男優賞を穫ったJ.K.シモンズのスピーチは僕の心の奥底に響いたのだ。

「皆さんにお伝えしたい。
これまでも沢山の人に言って来てる事なんですが。
あなたのお母さんと電話で話をしましょう。母親、父親と電話で話して下さい。
もしあなたがラッキーでどちらか、もしくは両親ともご存命であるなら、電話することです。
テキストやメールじゃダメですよ。
そして、あなたが彼らを愛している事、感謝している事を伝えるのです。
そして、彼らが飽きるまで、ずっと彼らの話を聞くことです。」



Link to Business Insider


「And if I may, call your mom, everybody. I’ve told this [to], like, a billion people, or so. Call your mom, call your dad. If you’re lucky enough to have a parent or two alive on this planet, call ‘em. Don’t text. Don’t email. Call them on the phone. Tell ‘em you love ‘em, and thank them, and listen to them for as long as they want to talk to you.」(Business Insiderより引用)

もしあなたの親が健在なのだったら、この才能あふれる俳優のアドバイスに従って、早速親に電話をしよう。


別にアカデミー賞みたいな栄冠を手にしていないからといって、億劫になる必要はないはずだ。
今、あなたがここに存在しているのは他でもない両親のおかげなのだ。

だから、あなたがどんだけ今幸せなのかを伝えてあげよう。

そして感謝の気持ちを伝えよう。

Your one click is very appreciated. Thank you!



2015年2月22日日曜日

しけたオッサンにならない為に!大人の朝練をしよう。

| 朝が苦手な男という刷り込みを変えて見た。


驚くべきことだが、朝のランニングが続いている。

パッと見「体育会系」に見えると人から言われる事が多いのですが、完全に誤解です。

そういう「苦しい事大嫌い」な僕からすると、アメージングだ。

朝を変えると、一日が変わる
これはマジです。

うっかり、調子に乗ってラン後に勢いで近所のジムにまで行ってしまう事もある。


そこで、筋トレまでしてしまい、鏡に映った自分を「もしかしてイケてるんじゃないか、俺?!」
とかナルシズムを超炸裂!させてセルフィーまでしてしまう始末だ。



ナルな自分をこっそり肯定しよう!

(こっ恥ずかしいが、自分をイケてる、と脳みそに刷り込むことは自尊心を高める上では有効なんです。
皆さんも一緒にそこそこなナル精神を持ちましょう!)

そのジムにポスターが貼ってあった。
先月の事だが、年初の勧誘キャンペーンの告知だった。



今年のあなた。ゴールはデッカく、小さな事から始めよう!



| Think Big. Start Small



そこには「Think Big. Start Small」というショルダーコピーがあって、ふと立ち止まってしまった。

大きな事を達成しよう思ったら、小さな事からスタートすること。

これを自分なりに変換すると、


「自分を変えようと思ったら、朝の(たったの)1時間を変えよう」


という感じ。

僕は相変わらず修行僧みたいな顔つきと心地で朝のアラモアナビーチパークを走っている。


苦行が快楽になる瞬間を味わってやろう、ということしか考えていない。というかほとんど無の状態だ。

少しでも頭を使うと、「ここで歩こう」という気分になる。
(いつか楽になるというアスリートな友人達の言葉を僕は心から信じている。)

むしろ、初日は気合いが入っていたので、ツラいことをツラいと素直に受け入れる事が出来た。

今はなまじ「昨日走った」という実績がある為に、気合いの度合いが下がってしまい、「ツラい」というのを素直に受け入れられず、何度も「今日はヤメとくか」というダークサイドに落ちそうになる。

走り始めてまだ二週間くらいだが、ここからが継続出来るか否かの瀬戸際のような気がする。


三日坊主というのは、何かをスタートしたことに満足してしまい、「昨日出来たから明日も出来るだろう。だから今日は休もう」というメンタルが引き起こすのだろう。

朝を変えると、一日が変わる。

そうは知っていても中々アクションを取る人は少ないだろう。

つい二週間前までの僕がそれだ。


履歴書の「趣味・特技欄」に「朝寝」と書きたいくらいの人間だ。



| 大人の朝練を開始しよう。ザリヤートカって何だ?


前に読んだ「勝利する心」という日本のスポーツメンタルトレーニングの第一人者でオリンピアンのコーチだった白石豊氏の著作。


五輪に出場するアスリートのメンタルコーチも勤めた白石氏。ヘタな自己啓発本より、こっちお薦めです!

その中に「ザリヤートカ」という言葉があった。

詳しくは白石氏のサイトにあるので、ここでは簡単に説明すると、


「旧ソ連のスポーツ生理学の知見を導入した体操選手の朝のトレーニング」の事だ。

フィジカルだけではなくて、メンタルも含めて一日のスタートをベストにする為のアスリートの身体調整のこと。

朝の体調を把握し調整する。

筋肉と神経を活性化する。
そうすることで、その日のパフォーマンスを最高にする事が出来る。

そういうアイデアだ。

白石氏のサイトからの引用


ザリヤートカはその日の本練習や試合で最高の動きができるように、30分ほどの時間で筋肉や内臓諸器官、あるいは神経系に適度な刺激を与え、目覚めさせようとするものです。ですからエネルギーの消費は大きくありませんし、むしろ寝ている間に空になった体というバッテリーに充電をするようなイメージのほうが強いのです。このためザリヤートカというロシア語には、充電トレーニングという日本語があてられていたほどです。


引用ここまで

アスリートに限らず、しけた気分な中年の男にも、このアイデアはメチャ有効なはずだ。

コレは大人の「朝練」だ。

そう決めた。

たった二週間の経験だが、やった日とそうでない日との違いそれを実感している。

朝、自分の身体と対話する。


(たいていは「お前、今日はもう少し寝てけよ」という悪魔のささやきだ。)

そして、軽く動的なストレッチして、体調を確認する。

そして走り出す。

それが身体を目覚めさせる。

筋肉と神経を活性化させるのだ。


このことを意識し始めてまだ少しなので偉そうな事を言えないけれど、確実に一日の違いを実感している。 

朝を征すれば、きっと一日を征する事が出来るのだ。


Just one click will be very appreciated!
Thanks!




2015年2月19日木曜日

16歳の頃を憶えているだろうか?人生のビッグクエスチョンと向き合うということ。

人はかつて自分も16歳だったことを忘れてしまう。
あの頃ほど、(人生に)真摯だった自分にはもう戻れないだろう。
誰もが、自分の前途に立ちふさがる大きな疑念 

(Big questions )と真っすぐに向き合っていたのだ。

(People forget that when you're 16, you're probably more serious than you'll ever be again. You think seriously about the big questions.)
by 80年代の青春&コメディ映画の偉大なる巨匠ジョン・ヒューズ



80年代を代表するハイスクールムービー(たぶん男子向け)の金字塔。監督はもちろんジョン・ヒューズだ。名作中の名作。


オアフ島にある「KOOL GOLD 107.9」というFMラジオステーションが超お気に入りで、最近一人で車に乗っている時は必ずこの局にチューニングしてしまう。





70年代80年代のポップスばかりかかっていて、ご機嫌だ。
そう言えば、昔々の80年代、日本のラジオDJも「さ〜て次のご機嫌なナンバーは〜」とか次曲の紹介をしてた。

今の時代「ご機嫌」という単語を曲紹介に使うラジオMCやナヴィゲーターは皆無だ。
少し恥ずかしい気分になってしまうのだろう。

そういう底抜けに能天気な時代が80sだ。

最高だ。
そしてDJとはクラブでターンテーブルを回す人だけを指す言葉ではなかった。

このステーションを聴いていると、かなりの頻度で「男性の性機能障害の専門クリニック」のCMが入る。
「バイアグラよりも優れた治療法があります。」とかナレーションが入るので、リスナーのターゲットは、確実に40歳以上の中年男性なんだろう。

「俺はまだこのクリニックには行かなくて良さそうだな」
とか何となくホッとしながら、かかる曲を口ずさむ。

驚く事に大抵の楽曲を知っていて、サビは歌えるし、その曲がどの年にリリースされたかも大体分かる。


当たり前だが全て洋楽だ。
ジャンルもマドンナからボンジョビ、ボズ・スギャックスみたいなAORまで多岐に渡る。

それらの曲を聴くと、目の前に「バァ〜〜」っと言う感じで、10代だった頃の思いや、風景が目に浮かぶ。
それはとてもキラキラしていて、気分が高揚してくるのが分かる。

ただ、本当にキラキラした思い出だけしかないか、とマジになって考えてみればきっとそうではないと思い出すだろう。

現実的には、学校の勉強と規則と制服に毎日のほとんどの時間を拘束され、(僕は部活はしていなかった。放課後にまで規則や上下関係でギチギチに縛られるのなんて、まっぴらゴメンだ)

自由になるお金などもほとんど無い。


放課後にバイトしてるのも、
せめて月にたった一枚のCDが欲しいため、
月にたった一冊の本が欲しいため、
週に一回の映画を観たいため、
そして週末デートの資金が欲しいため。

あの頃の東京の高校生デートは異常に金がかかったのだ。

世の中はバブルだったが、高校生の財布にはあまり直接には関係なかった。

今考えれば、ほとんど経済的はモチロン、物理的にも自由は無かったという事を思い出す。



唯一、自由だったのは「精神」だ。


オヤジの書斎だった部屋を侵略して自分の部屋として占拠改造した。

アメリカの高校生みたいな生活に憧れた僕は「土足OK」にした。
友達が遊び来ると「靴持って上がれよ」「む??」みたいな会話がなされた。

そんな自分の部屋が僕の精神が最高潮に自由となれる場所だった。。


(ちなみに「土足OK」は後にオヤジにバレて猛烈に怒られた。当たり前だ。今ではハワイの自宅でも土足厳禁にしている。ハワイは日系文化が浸透しているので土足厳禁は普通だ。)

この部屋の、中古のカウチの上でラジオからの洋楽を聴きまくった。
時には勉強机で買って来たアルバムのライナーノーツを食い入る様に読んだ。


当時の洋楽(主に米国とUKだ)を聴いていれば、たった6畳のフローリング張りの勉強部屋は世界とつながった。


その部屋は、洋楽をBGMにありとあらゆる夢想の世界に僕を連れて行ってくれたのだ。


自由だった。
あの頃のポップスは「自由になれ」とメッセージを送っていた。

その夢想の中には、当然エッチな妄想も含まれるが、最も多くの時間を割いたのは「自分の将来像」についてだったと思う。

僕はこれからどこに向かって、何者になるのだろう。


16歳の僕は「16歳」という年齢が未来から見てと
ても貴重なモラトリアムな時間になるということを自覚していた。

大人ではないが、子供でもない。


最近芸能界で再びタレントとして活躍しているヒロミさんの奥さんも「伊代はまだ16歳」と歌っていた。
そういう人生の貴重なモラトリアムだ。

不安と期待が入り交じったような思いを抱えて、遠大に思える自分の人生と向き合った生まれて最初の機会となった。

そして、偉大な青春映画の巨匠が言う様に、あれほどまでに自分と言う人間に真摯に向き合い、自分と言う存在を自覚した時期は無かった様に思う。


(監督のジョン・ヒューズは僕も勤務したことがある広告会社のコピーライターだった。シカゴに本社のある別の広告会社に移ってからは、タバコの広告を手掛けたアドマンだ。その後、映画界に進出し、シカゴ近郊を舞台にした青春映画やコメディの佳作を制作する。彼の作品は小粒で、笑えるが泣けるという素晴らしい作品がほとんど。ホームアローンのプロデューサーだ。)

Big Questionとは。


彼の言う「Big questions。大いなる疑念」と言うのは、言い換えれば「自分は一体誰なのだ?」という事だ。。

「自分」が誰なのかを探す様々なチャレンジであり、それに対する様々な疑問の事だ。

なぜ、みんなと同じように大学を目指すのか?
なぜ、みんなと同じような会社に入らねばならないのか?

それは本当に俺の人生に必要な事なのか?


俺は、親や教師や世間が求める大人にならなくてはイケナイのか?
(幸いウチの両親は息子に、こうあるべき、という押しつけを一切しなかった。感謝。)

あれから30年を経て、ジョン・ヒューズと異なり小粒な広告マンだった僕はもう一度自分と真摯と向き合ってみようと、新たな旅をスタートした。


きっとあの頃のようなイノセントで完璧なシリアスボーイにはなれないだろう。

それは当然の事だ。


僕は色々経験して来たし、家族もいる。

状況も環境も全て違う。

ただ、共通しているのはもう一度人生の「Big Question」に真摯に向き合ってみよう、という態度だ。

大人になれば、世間に対しごまかす事は簡単に出来る様になる。
そして、それは知らず知らずに「自分をごまかす」ということにもなってしまうかもしれない。


そういう事に慣れてしまい、その事自体に気が付かないで生きて行くことも出来る様になってしまう。

そうでない人も居るかもしれない。

自分をごまかさずに、かつ社会性を両立して生きている人々だ。

そういう人はラッキーだ。
いや、ラッキーと言うよりは、常に真摯に自分と向き合って努力をしている人なのだろう。

僕は自分を騙しているかもしれない、という疑念から逃れられなくなってしまった。


そして、そのまま突っ走って行くと二度と自分という人間を自分に取り戻す事が出来なくなってしまうかもしれないと考えた。

自己実現、とかそういう「自己啓発」的な事とも違う気がする。

自分探し、など甘えた事を言っていないで、現実を見て大人になれ、という論点とも違う。

もっとシンプルな事だ。

自分自身で考えること。

yesとnoを自分の脳みそで、ハートで考えて行動出来るか?ということに過ぎない。

16歳の頃の僕にもし会う事が出来たら、彼は何と言うだろう。


「おいおい、46のオッサンになってもまだそんな事考えてんのかよ。いい加減にしてくれよ〜!」

と呆れられ、そしてガッツリ突っ込まれるかもしれない。

ただ僕は確信している。


「Big Question」には明確な答えなんかきっと無い。


ただ思考停止を良しとせず、その時々の「Big Question」を自分に問い続け、答えを探し続けることが「自分が自分である為に必要なことなんだ」と。


Just one click is very appreciated!


2015年2月12日木曜日

あなたの父親は、今のあなたと同じ歳の時にどこにいたのだろう。

完全に私事の話で恐縮です。


今日、僕は46歳になった。

日本時間だと既に昨日だ。

46歳という数字自体には意味が無いかも知れないし、

子供の頃と違って自分の誕生日に特別な嬉しい感じがないのは、この歳ではきっと当たり前だ。

完全に中年ど真ん中というクリアな事実以外何モノでもない。


それでも、あと4年で50歳と思うと「結構ヤバいな」、とか焦ってしまう。

そこで、トム・クルーズとジョニー・デップとブラピはもう50過ぎだとか思って元気を出すようにした。

ハリウッドスターと自分を同列に考える事の出来る脳みそを持った僕は真にシアワセ者だ。

ただ、ふと自分のオヤジが46歳の時の頃の事を考えた時に、僕は愕然としてしまった。

当時僕は19歳で、アメリカに一人で留学をして寮暮らしをしていた。
そこは、雪深い北部の街だった。



一年の半分が雪に埋もれる街。まさにハワイの対極なポジションだ。
Credit: Brian Aydemir

当時は日本人との付き合いを極力避けていたこともあるし、ルームメイトは夕方5時くらいに夕食を食べに行ってしまう。さすがにそんなに早くに夕食は無理だ。


(彼は夜の9時頃にピザを取るがお前も食うか?と聞いてくる。あんな早くに食うから腹減るに決まってるだろ!)

その日も夜の7時近くに一人ウォークマンでFM放送を聞きながら、

雪の中キャンパス内のカフェテリアに一人出かけて行った。

そこで、一人淡々とバースデーディナーを食べたのだった。


イヤフォンからはピーターセテラの「グローリー・オブ・ラブ」が聴こえてきていた。
「ベストキッド2」というイマイチな映画のテーマ曲だったが、曲は最高だった。


(ベストキッド(原題カラテキッド)の一作目は名作で、続編が作られる度に劣化するサンプルみたいなハリウッド映画だった。沖縄が舞台の3作目はほとんどジョークだ。)


(追記:このブログポストをアップした瞬間、いつも聴いてるネットラジオから同じ曲が。こういう偶然が示すサインを僕は信じてしまう。) 

もちろん特別なディナーでは無くて、いつものパサパサなターキーに妙な味の妙な色のソースをかけたメインディッシュに信じられないくらいにパサパサなライスかパンのどっちかを食べたかもしれない。

そういう息子を持ったオヤジは当時、46歳だった。

27年前だった。 

もし今、自分と仲の良い同級生で息子を留学させているようなヤツがいたら、僕は無条件で尊敬してしまうだろう。


オヤジは普通のサラリーマンだった。
多分年収も普通だ。
会社を辞める前の僕は、当時の彼の倍は年収があったと思う。

その彼は、長男を海外に留学させ、次男を私立の付属校に進学させていた。

当時は当たり前に感じていたが、それがどれだけスゴイ事か今なら身に沁みて分かる。

彼は、外で毎晩飲むような無駄金を使う人では無かった。

付き合いで行くゴルフ以外は、エルビスプレスリーとハリウッドのアクション映画の鑑賞、そして司馬遼太郎が好きだった。

贅沢をしている所をみたことがない。
庶民的だけれど、責任感と正義感に溢れてるようなオヤジだった。

それでも、合気道の段所有者なので、怒ると強く怖かった。
反抗期の僕ら兄弟(特に僕)はよく壁までぶん投げられたりしていた。

戦後育ちでマイホームとマイカーをこよなく愛した彼は、彼の収入の全てを家族と息子達に捧げていたのだ。


それに対して恩着せがましいことを一言たりとも彼から聞いた事が無い。



父と同じ事が今の僕に出来るだろうか?


ついこの間までの僕は、稼いだ金を全て自分の為だけに注いで来た。


しかも、その多くはストレス解消と称して、翌日の強烈な二日酔いの元となる液体に無駄に使って来たのだった。

大好きな広告の仕事に従事しながら、いつもここではないどこかに自分の居場所があるのかもしれないと頭の片隅で幻想を追いかけていた。

プライベートでは永遠にお気楽なシングルライフな30代が続くと思っていた。

能天気極まりなかった。

そして46歳の今、僕は人生を変える旅と称して、人生を一度リセットしてしまった。


家族を道連れにしながら、まだまだ旅の途上にいる。

父は46歳の時、「自分の人生を変えよう」と思っただろうか?

ここまで書いて、ふとキーボードを打つ指が止まった。

「ああ。」と思い出した事があったからだ。

僕が会社を辞めてハワイに住もうと決めた2年前のある日、オヤジから聞いた言葉の事だ。

「自分の人生で本当はコレをやりたかったけど、やれなかった事ってある?」


そう僕は質問したのだった。

父は言った。

「もう憶えてないなあ。
あったかも知れない。
ただ、その時々のタイミングにやるべき事、っていうのはあるんだろうな。俺はそれだけをやってきたつもりだよ」

父が僕のヒーローでなくて、一体誰がヒーローなんだろう。


引退し、毎朝のウォーキングと孫に会う事を楽しみにしてくれているオヤジ。


そういう父が僕に取ってはハンパ無いヒーローなんだ。

僕は今日、46歳の同い年のオヤジと会話をした気がした。

「お前が決めたことなんだから、しっかり目の前の現実を見据えてやるべき事をやれば良い。


俺は、我がままな愚息を留学させてるし、次男坊も金食い虫だ。年取ったオフクロもいる。そりゃもう大変だ。

家だって守らなきゃならない。

なぜなら、それが俺の勤めだからだ。
お前の勤めとは何だ?
それをしっかりこなせよ。」

わかったよ。オヤジ。わかった。


あなたが46歳だった頃のような責任感と強さはまだ今の僕には無いかもしれない。


ただ、僕があなたの息子だということをあなたが誇りに思えるような男になってみせるよ。


今日という日に僕を産んでくれてありがとう!
いつまでもお元気で!


just one click is very appreciated! Thanx!





2015年2月10日火曜日

自分を信じ、やり続けた人に神は微笑む。はず。。。

時にはギターを放り出したい気分にもなるだろう。
ギターそのものを嫌いになっちまうかもしれない。
それでもやり続けるんだ。
必ず報われる日が来るから。

Sometimes you want to give up the guitar, you'll hate the guitar. But if you stick with it, you're gonna be rewarded.

(伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリクス)

人生を変える為に、最も苦手なランニングを始めてみた。。

先週からランニングを始めた。
産まれた時から走ってたんじゃないか、みたいなアスリートなハワイの友人の後押し&協力があってこそスタートした訳だが。。

まぁ、つらい。

アラモアナビーチパークという、ランナーにとっては理想的なコースを走る訳だが、そういう風光明媚な心地よい潮風と景色を堪能する、みたいな余裕はまるでない。

後半になると、自分の親と同じくらいの歳じゃないか、とか思えるようなオバサンランナーに抜かされるような、そういう感じだ。

本当に俺は続ける事が出来るのだろうか?
そもそも何で俺は走っているのだ?
もう歩いてしまえ!
家に帰って、タバコ吸って、ビールをガボガボ飲め!
それが俺じゃないか!

みたいな葛藤と走っているあいだ中闘っているので、そこがアラモアナでも多摩川の土手でも関係ないような気がして来る。

それでも、いやいや、こんな最高な環境で走れるなんてシアワセじゃないか!と自分の脳みそに言い聞かせて、苦行のようなランを続けることにしたのだ。

この苦行ランニングが僕を何処に連れて行ってくれるかは、全く想像もつかないが、取りあえず継続するのだ。


そうやって今朝も、ランニング用のアプリを起動させて、走る事にした。

波にキラキラ反射する朝日を浴びて、楽しそうに走る他のランナーにがっつり抜かされながら、昨晩見たグラミー賞のことを思い出していた。

「第57回グラミー賞」サム・スミスがすご過ぎた夜。

昨日ロサンゼルスで行われた「第57回グラミー賞」を一家団らんで夕食を食べながら見ていた。

普段は子供の教育上テレビを消して会話を楽しみながら食事をする、ということを家訓にしている訳ですが。。


グラミー賞とアカデミー賞とアメリカンアイドルの決勝の場合は例外となり、テレビは付けっ放しにしておくことにしている。

おかげで、ほとんどのメジャーなカテゴリーでノミネートされている、サム・スミス(Sam Smith)というとてつもない新人が、主要な部門で次々と受賞し4冠をかっさらった瞬間を目撃する事が出来た。

5歳の息子も「Stay with me〜〜♪」とか口ずさむくらいにカーラジオを付ければ流れていたこの曲で、ついこの間までバーテンダーをして食いつないで、曲を書いていた青年は文字通りシンデレラボーイとなったのだ。



早くからゲイであることをカミングアウトしていた彼は、受賞のスピーチでも「自分を振ってくれた男性に感謝する。だって君のおかげでこんな素敵な賞を貰えたんだからね」というような事を言っていた。

とても嬉しそうだった。

本当に繊細で音楽を愛している好青年そのものだった。

彼も時が経つと、エルトン・ジョンみたいな大富豪のオバサンみたいな感じになってしまうのだろうか。。(あ、僕は彼の大ファンです。)

継続、継続、継続


今やネットでポチっとやればシングルが速攻で手に入るし、Youtubeでフリーで音楽を楽しめる。

そんな世界でアルバムそのものを100万枚売るというのは、圧倒的な快挙だ。

それも、この間までは無名のシンガーソングライターだったのだ。

今まで、どうやったら世間に受けるのかを考えて曲作りをしていたけど、今回は自分の素に戻って、アルバムを作った、そんな僕を受け入れてくれて感謝する、みたいなことも言っていたとネットの記事で読んだ。

彼を見ていて、ジミ・ヘンドリクスという伝説のギタリストの名言(冒頭)を思い出したのだった。

何かを継続させる事は苦しい、何もかも嫌になって放り出したいこともあるだろう、ただ続けるんだ。
やり続けるんだ。そうすればいつか、報われる日が来るから。

どこかで、「才能の有無と言うのは諦めた人の言い訳である」、みたいなことを聞いた事がある。

全ての成功者というのは、自分が始めたことの「継続」にこだわった人なのかもしれない。

サム・スミスも続けたのだ。

僕も始めた事は続けてみよう。
この苦行ランが楽々ランに思えるまで続けてみよう。

英語と言うと、「stick with it!」。
粘着しろ!みたいなニュアンスだ。

自分をどこまで粘着質に出来るかの挑戦だ。

是非ポチッっと!






2015年2月4日水曜日

このブログのテーマが実は「人生を変える」ことだったと今さら気が付いた件。

今回のポストで50回目です。


今まで数回トライしても三日坊主で終わってしまい、ネットの藻くずと消え去った過去の僕のブログ歴を考えたら、よく続いたなホントに。

ブロガーの中には毎日ブログを上げる人もいる。
その中でコンテンツの中身もハイクオリティな人が少なからずいるが、頭が下がる。

僕は、そもそもブログを書いていながら、正直テーマが定まらないような違和感をずっと感じていた。

当初は子育てにコミットしながら、「イクメン」という言葉へのアンチテーゼをテーマにしようと考えていた。


断念した。
「アンチ」というネガティブ視点からの発想は苦手だった。

では、ハワイと言う楽園に住んでいるので、思い切ってそのライフスタイルを上から目線でかますのは?

ダメだ。


ハワイにはスゴいライフスタイルをモノにしている人間がごまんと居るので、100階建てのビルの2階から語るような感じでは全くもって面白くない。

せいぜい書いてみても「僕のお気に入りはカピオラニパークです」みたいな文章とiPhoneで撮ったパークの写真で構成されるゴミブログになってしまうのが関の山だ。



(実話。そういう類いのブログは2回書いてそのまま墓標となった。今でも読み返すと寒い。削除してないのは、後で読み返して寒くなるため。)

なぜ書くのか?



誰かに発信するものでなければ、evernoteにでも備忘録としてログっておけばいいだけの話だし。

それでも、50回続けてみて、やっとこさテーマが見えて来た。

テーマ「ザ・ライフチェンジャー:人生を変える達人への旅」


一昔前のハリウッド映画な感じみたいじゃないか!と笑わないで欲しい。
自分にとっては納得のいく上々でご機嫌な「テーマ」だ。


頭の中では映画ロッキー3におけるサバイバーの「Eye of the tiger」が鳴り響くようなイメージだ。



このテーマ曲ほどアクションへのモチベーションが上がる曲を僕は知らない。





それは人生を変える旅だ。



既に人生の半分を生きてしまった。
特に30歳を過ぎてからのスピード感には心からビビっていた。

なんとか自分の人生を自分に取り戻すことは出来ないのだろうか?

自分の人生のミッションとは何なんだ??

と問いただすような「旅」の事だ。

「旅=ジャーニー」だ。

「トリップ」ではない。
「トリップ」は単に物理的な移動に過ぎない。

「ジャーニー」には「成長」が伴う。
「成長」にはなんらかの「コンフリクト=葛藤」が欠かせない。

日常を、生活を、人生を変えようとするならそこにある「葛藤」を乗り越える行動が必要となる。
40を過ぎたオッサンは、ヒーローになれるのか?

もう自分の心の声に嘘をついてごまかすのは止めよう。
通勤電車に耐えるのは止めよう。
会社が人生なんてのはまっぴらゴメンじゃ無いか!

さぁ、心の声が「中年よ旅立て!」と煽って来ているぞ!
「ええい!ままよ!」と飛び込んでしまえ!変化を求めるのだ!
行きたい所があるのなら行ってしまえ!

その途中で幾つものチャレンジを引き寄せるだろう。

年収がゼロになった、どうするオレ?!
やべ!先行きが全く不透明だ!

マイクロビジネス(要は個人商店)を始めたが商売のド素人だったと気が付いた!
いつかやろうと思っていたサーフィンが全く上手くならない!耐えられない程のカッコ悪さだ!
走るの嫌いなのにランニングを始めてしまった!苦し過ぎる!

モチロン全て自分のことだ。


そういう「葛藤」を乗り越えなくては、ここでいう「旅」は成立しないのである。

その旅はそのまま自分のストーリーとなる。
The Story of My Lifeなんである。

そのストーリーをハッピーで心躍るような愉快なものにすること。
それがテーマなのだ。

僕は自分の40代をライフチェンジングの時代と呼ぶ事に決めた。

その旅の記録がこのブログとなるのだ。