Koy's blog

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2018年12月3日月曜日

ボヘミアン・ラプソディ(映画)のスゴさはストーリーテリングのスゴさ


「演技とはすべて、無いものをあるかのように見せる幻影だ。私は役を演じる時、そのキャラクターを全て知り尽くしたいのだ。俳優というものは、ありとあらゆる人間になり、その人生を生きなければならないのだ」(カメレオン俳優なレジェンド ロバート・デ・ニーロ大先生)

すごい映画だった。

キャストが全員そっくりじゃないか!

ブライアン・メイなんて最初は本人のCGかと思ってしまった。
ラミ・マレックのフレディは前歯を強調するというメイクなので、うっかりするとそこが気になって仕方なくなりそうだ。

しかし、そうはならず、完全に「彼が真実にフレディである」と思うだけで違和感のかけらも感じられなかった。

(メイクの技巧も素晴らしいのだが、セリフや演出によって観客に違和感を持たれない仕掛けもある。さすが。)


ブライアン・メイはクィーンのレジェンドなギタリストでもあり、この映画のプロデューサーでもあるが、彼はこの映画をファミリー向け映画にしたい意向があったそうだ。

フレディ・マーキュリーが主役であることはわかっていたし、彼にファミリーな香りは皆無だ。。。。

それがどうやったらファミリーな映画になるんだよ?

で、見終わった。

見せ場であるLive Aidのシーンはまさに「実体験」と言っていいくらいの迫力で、僕の心と体はあの時代のウェンブリースタジアムに時空を超えて飛んでいた。

高校2年生に戻っていた。

その圧倒的な生き様と大音量での数々の名曲に酔いしれた後、僕の頭をよぎったのは、

「これは家族の物語だ」

ということだった。

この映画をブライアン・メイが「ファミリーな映画にしたい」と言い、それを実現させたのは、原案と脚本を担当したアンソニー・マクカーティンだ。

最近ではウィンストン・チャーチルの脚本も担当している。

移民の子供として生まれた孤独な少年は自分の出自を嫌い、そこから抜け出す道を探す。
やがて彼は自分の才能を遺憾なく発揮できる場所を見つけ栄光を掴む。
しかし、彼は孤独なままだった。そして彼は最後に家族とは何か、そして家族の愛を知り、その家族の元に帰っていくのである。

そういうストーリーだ。

彼は、家族のインド系のファミリーネームさえ「マーキュリー」に変えてしまうくらいに「本当の家族」がいる場所は自分のいる場所ではないと思っていた。

彼は、別の誰かに身も心もなりたかったのだ。

そして、自分の才能によってサクセスを掴む。
そのメンバーとはまさに擬似家族を形成していく。

が、またもそこで彼は対立からエゴによって孤立し始める。

彼は、自身のバイセクシャルへの自覚、そしてゲイとして目覚めることで心から愛した女性とも「家族」を作ることができないと悟る。

彼は愛を模索しながら、探し出せずにいる。
そこに、「本当に自分を見つけたら俺に会いに来い」という生涯のパートナーとなる男性を見つける。

あるきっかけによって自分の愚かさに気づき、そして彼は行動する。

対立するからこそ、言いたいことを言い合えるからこそ、相手を心から思っているからこそうざったい言動をしてしまう、それが家族であり、そこに愛があるのだと気がつくのである。

彼は、メンバーに素直に詫びる、そして「家族」に戻る。
とうとう本当の自分を見つけた彼は、「会いに来い」と言った「パートナー」を探し出す。

そして、「本当の家族」の元へも向かうのだ。

彼が、映画の最高の盛り上がりであるLive Aidの大舞台。
世界中が熱狂するそのステージで「投げキッスをするよ」と約束した相手は誰だったのか。

優れたストーリーライターが、このレジェンドなアーティストのストーリーを「家族の物語」として昇華させた。

ただの音楽映画でもなく、ただの伝記映画でもなく。


人々が、普遍的に持っている「家族への思い」をストーリーのテーマに据えたからこそ、フレディという一人の孤独で才能に溢れた天才に共鳴し、彼が自分の居場所を見つけたことに人々は感動し賞賛するものになっているのだと思うのです。
(C) 2018 Twentieth Century Fox

未見の人は是非~!

2018年11月27日火曜日

ブログ再開ダァ!


長らく休止していたブログを再開しようと思う。

そもそもブログを始めたきっかけは、20年広告マンとして働いたキャリアを文字通りゴミ箱に投げ入れ、
そしてハワイに移住したことがきっかけだった。

ハワイに関して何かを書けば、きっと「跳ねる」だろう。だって日本人ハワイ好きじゃん?みたいなヨコシマな考えがベースにあったのは言うまでもない。

ところが、いざ書こうと思っても「今日はどこそこのパンケーキを食べました!」とか「お気に入りのほにゃららビーチ。心が洗われていくよう❤️」みたいなことを自分は書けないことに気がついた。

それであれば、「そうだ、そもそも会社を辞めたのは子供過ごす時間を究極的に増やすことだ。ならばイクメンな俺の日常をたんまし書いていこう」というもので、だからこのブログのURLにはその名残である「Dont call me Ikuman:イクメンと呼ばないで」となってしまっている。

当然、そのトピックも下書きを残し公開されることはなかった。

そもそも読み手は誰か?
そういう基本的なことを設定しなければ、元広告マンであった僕には何も書くことができないのだった。

そこで、ハワイも子育てもこれから書くブログに時々登場するいちコンテンツにしようと考えた。

テーマは中年の危機を迎えたどこにでもいるような一人の男の「チャレンジとあがきと人生をどう肯定して生きていくか、そのために必要なクリエイティビティとは何かを模索する」、というものになった。

キーボードを叩く、そのモニターの向こう側には、同じような年代の男女がいて、長いのか短いのかわからない人生のど真ん中で、それでもまだまだ残りの半分の人生を生きていくのだ、と考えている人たちをイメージしながら書いていた。

その思いは、今でも変わってはいない。

ただ異なるのは、ハワイでの生活からまた東京にベースを戻しているということだ。
そして、形を変え、また広告の世界に戻っているということだ。

なんとか中年の危機を乗り越えた僕は、新たなチャレンジを受け入れる決心をして、現在に至っている。

40にして惑わず、と言ったのは実はその年齢が大いに惑ってオロオロしてしまうからこそ賢者がそのように言ったのだと確信している。

人は人生に諦めなければ、迷いの連続であり、戸惑いの連続なんだということも知った。

そういうことを書いて行きます。

2016年5月5日木曜日

絶対に失敗できない職業

「挑戦者に失敗はつきもの。」

「クリエイティビティを発揮するには、頭で考えるよりまず行動。失敗するのは当たり前くらいに考える。
失敗してこそ、前に進める。」

ベンチャー、特にテック系やクリエイティブ系では失敗は当たり前、臆して行動しないのは悪。
そういう風潮が顕著だ。

で、僕も同感。

試してみる。
こける。
それがどうした。
人目なんて気にするな。

これほどの名言はなくて、今でもiPhoneの待ち受け画面っす。
エスクアイアの2014年10月号カバー

そんで、また立ち上がってやってみる。

個人的にそういう考え方は大好きだし、行動を前提としない知識は無用だ。


知的好奇心を満足させるだけの趣味なら別なんだけど。



なんだけど、一方で。。。


先日、友人の脳外科医が監修を務めるプロジェクトに(微力ながら)ちょっとしたパートをお手伝いした。

脳外科医として、日頃接する患者さんに対してより良い健康のためのアイデアを具現化するプロジェクト。


友人の思いと志は熱く、話してる周りの温度は確実に上がっていた。
話を聞いてる僕自身、相当インスパイアされるものだった。

彼と話した後、愕然とした。


ドクターというのは半端ない職業だ、
と改めて恐れ入ってしまったのです。
恐縮の極み、とはこのことだ。

僕は、救急病院に担ぎ込まれ九死に一生を得た経験を持っている。



言わずと知れた、米国のTVドラマの方向性を変えてしまった不朽の名作


まさに人生が変わるThe moment of truth、真実の瞬間、ってやつだ。

僕はその経験がベースとなって、今までの人生を考え直し、会社まで勢いで辞めてしまい、家族でハワイに住んじまえ!みたいな決心をしたのだ。

僕の命を救ってくれた某大病院のドクター達とナース達は、紛れもなく僕にとっての神だ。


その病院のそばを通る時の僕は人目をはばからず、手を合わせてお参りをする。酔ってる時は手をパンパンする。


一種の神社だ。もはや宗教だ。彼らは神々なのだ。

僕にとっては、一生に数回あるかないか(数回もあって欲しくない)の経験だ。


でも、よく考えてみれば、
ドクターやナースは毎日そういう九死に一生を得る、もしくは残念ながらこの世を去る人たちと接しているのだ。



絶対に失敗できない職業


僕の友人に話を戻してみよう。

彼は「脳外科医」だ。


つまり、脳に疾患がある患者さんの脳にメスを入れる仕事をしてるのだ。


僕みたいな一般人にとっては非現実的すぎる世界の住人なんだ。


とんでもないフィクションでしかない世界に彼らはリアルで生きているのだ。

そして、日々患者さんのことを考えている。


急患が出れば休みでも病院にトム&ジェリーみたいに足を高速回転させて駆け戻るのだ。

何より重要なことは、彼らの仕事に「失敗」は許されない、ということだ。

「あ、やっちゃった」「あ、それは想定してなかったなぁ」とかが許される現場ではないのだ。

ドクターじゃない僕は、一所懸命に想像してみる。
その半端ない現場感を!

臨場感を感じて見よう!

もし、僕がまかり間違って医師国家試験に通るような明晰な頭脳を持っていて、エベレストよりも高い志で「脳外科医」になったとしよう。


(いや、どう考えてもその仮定には無理がある。
俺は自分を知っているのだ。1%も可能性はない。)


だが、あえて考えてみよう。

僕は耐えられるか?

毎日、毎時、毎秒が真剣勝負の世界を。

無理だ!マジに。。。。

野球の世界を例によく言われる。
あのイチローだって、10割バッターじゃない。
7割はアウトになってるんだと。

だから空振りを恐れるな、と。

正しい、はずだ。

だけど、ちょっと待って欲しい。

ほとんど、10割を期待される世界に生きている人たちが世の中に存在しているんだってことを。



不謹慎だが、僕は失敗を許される世界に生きていて良かった、と心から思う。

彼らに比べたら、僕らが恐れる失敗なんて屁だ。



敢えて、こう思う。

世間には完璧を求められ、失敗が許されない世界に住んでいる人がいる。

どこかで気が緩みそうになったら。


世界でたった今、人の命を救おうと奮闘しているドクター達を思い出そう。

僕だったら友人の脳外科医を思い出そう。

命を救ってくれたドクターとナースを思い出そう。

そして、自分が今勝負している世界なんて、子供だましだ。そこで、完璧を目指さないででどうする!と自分を鼓舞しよう。

ドクター達よ、ありがとう!
助けてもらったこの命を存分に活かすように、日々精進します!



2016年3月24日木曜日

ジェノヴァの旧市街で1日過ごして考えたこと。

ヨーロッパでも最大と言われるジェノバの旧市街。
素敵すぎる。

「ほとんどディズニーシーだぜ」とかうっかり思いそうになってしまって、慌てて思い直した。

ディズニーに敬意を払いつつ「あっちはフェイクだ(汗)」と。

当然だが、今でもそこには人が暮らし、活気があふれている。

エスプレッソをサクッと飲んで立ち去る姿は東京のセガフレードで真似をしようと決めた。セガフレードの店員さんも意味不明にイタリア語を喋ってるし。ボンジョルノとか言ってしまおう。

ヨーロッパの他の旧市街と同様にその世界観は中世から近代までで完全に止まっている。
ふと息子を見ればダウンを着た「母をたずねて三千里」のマルコに見えてしまう親バカなのであった。

マルコはこのジェノヴァから旅立って母さんを探す旅に出たのだった。涙。



城壁の外に出れば、現代的なオフィスビルが現れる。
タイムマシンから吐き出された不思議な感覚だ。

そう「城壁」。


ヨーロッパの歴史は常に「外敵」の侵入からの防御の歴史だ。
「対立」の歴史と言っていい。

ちょうどジェノバを訪れた日にベルギーの空港と地下鉄がテロで攻撃されたというニュースがあった。

悲惨な対立の歴史は形を変えて現代でも続いている。

日本のメジャーな週刊誌がすっぱ抜いたとかいう有名人の不倫とか経歴詐称がメディアを賑わす日本は信じられないくらいに平和なんだと今さらながら思う。

で、ヨーロッパの旧市街は例外なく城壁に囲まれている。

日本に城下町はあるが、城壁という文化はない。
はっきり言って誰でも侵入可能なのだ。

隣国の中国大陸もその「地域」の歴史を見れば万里の長城しかり、紫禁城しかり、城壁はセットだ。

ちなみに、中国5千年の歴史とかいうけれど、事実は違うと思っている。
あの大陸の歴史は異民族の侵略と異民族が成立させた王朝の勃興の歴史だ。

清は万里の長城を乗り越えてやってきた満州族だしその前の元はモンゴルだ。
今の中国だって共産党の王朝だ、とも言えるだろう。
なので、もはや国が違うと言っていい。

同じようにヨーロッパは有史以来、その国境は生きているように形を変えてきた。

城壁という発想がなくて、外敵の侵入というヤバい事件が鎌倉時代の元寇を除いてほとんどない日本とは全く歴史的背景が違うのだ。。

同じ王朝というか天皇家が少なくとも千五百年は続いていて、かつてないほどにコテンパンにやられた第二次大戦後も国体を護っている日本はほとんど奇跡だ。


要するに、日本を除く大部分の文化圏では、外敵の侵入を防ぐ、というのはめちゃくちゃリアルで蚊を防ぐベープマットみたいに日常的な事だったのだ。

異教徒や(襲われる側から見て)蛮族が常に自分達の土地や女性を狙っていて、それを守るということは朝起きて顔を洗うくらいに普通のことだったのだ。

昨年来、日本で話題になっている国防を前提とした憲法改正・解釈の変更の議論は、対立と防御が日常である世界から見たらどう見えるのだろう。

そんなことを真昼間のカフェで白ワインをがぶ飲みしながら考えていた。


そうやって、城壁に守られた旧市街は今、現代に中世の趣を残して、観光資源にもなっている。

歴史と(それなりの努力をしながら)普通に共存しているのだ。

日本の都市には旧市街というコンセプトはない。
外敵が襲ってくるリスクもほとんどなかったから、鉄壁な城壁で囲んで街を守る、という発想もない。

夏の間、凄まじい湿気に襲われる日本では紙と木で作る家が快適に生活する上でベストだった。

そして、紙と木で作られた家屋は耐久性がないので、コンスタントにリペアや建て直しが必要だ。

伊勢神宮や出雲大社だって遷宮と称して、大々的な修復作業を行う。

もちろん、例えばお伊勢さんにはおかげ横丁とおはらい町という江戸時代のまんまな素敵な町並みを堪能できる。

ただ、それもテーマタウンとして赤福のレジェンドな社長が音頭をとって実現させた人口の街だ。
(あれは素晴らしい試み!赤福万歳!)


日本では文化とは常にリフレッシュというかリセットを繰り返しながら紡いでいくものだったし、文化のベースとなる日常の生活は外敵(外国)からの防御とは無縁で来たのだ。


という事で、ジェノヴァの旧市街はリアルだ。
世代を超えて守ってきたものが、時空を超えて現代とつながっている。

そしてある意味、象徴的だ。
外に出れば、そこは敵だらけ。
国家間のみならず、人との関係性はまず対立から始まる。
それがヨーロッパの歴史であり、現代のビジネスでも同じだ。
日本のように、話せば通じる、という文化は世界では稀だし、幸せなことなのだ。

そして、家族を、所属する集団を、そして国を守る、ということはどういうことか、あまり深く考えずにこれたのも日本なのだと僕は思う。


さて、ジェノヴァ。

集合アパートからは洗濯物が鮮やかに並ぶ。
そして、僕らのような観光客を心から楽しませてくれる。

一方で、そこに住んでる人たちの不便さはハンパないんじゃないか、とか思う。

車だって制限されるし、水道や電気といったインフラだって我慢しなきゃならないことが多いだろう。

引っ越しをしようと思っても、アート引越しセンターみたいな熟練の引越し屋さんでもお手上げ必至な街とアパートの構造。

ジェノヴァの美しい旧市街をまったりと歩きながら、俺がここに一生住め、とか言われたらきっと不便すぎて2、3ヶ月で根を上げてしまうだろう。

ということで、ジェノヴァの旧市街市民をリスペクトしようと決めたジェノヴァでの休日でした。



追記。。。

散策中、直感でここは絶対に美味そうだ!というトラットリアを見つけた。
で、やっぱし本場ジェノベーゼ!とか思ったら
「今日のメニュー」になかった。

観光客丸出しで肩を落とした俺に「大丈夫!作ってやる」
と優しい言葉をかけてくれた店主。
美味かったっす。Grazie!

SOPRANISPiazza Valoria, 1r - 16123 Genova
Tel:+39 0102473030


2016年2月23日火曜日

暴走する老眼を止めろ!4つの方法。

老眼。

この名称をなんとかしたい。

英語ではPresbyopiaとか言うらしいが普段聞いたことがない。
ってか普通に読めない。

どう発音するんだ?
きっと米国人でもスラッと言えるのは眼科医くらいだ。

やはりそのまま「遠視」でいいんじゃないか。

「オレ最近、老眼チックなんだよね」
とか言うたびにジジイになってしまう気がする。

言霊は大事だ。 

どれだけ気を使っても人間は老眼だけは避けられないとか誰かが言っていた。


だから40代女性のカリスマで信じられない美貌とインテリジェンスを保っているキョンキョンも密かに老眼かもしれない。


最近日本を含むアジアでツアーをした「信じられない57歳」なマドンナも。


いや、彼女はマイアミとかでサラリーマンの2年分の年収くらいのコストをかけて最新の眼科治療を受けているかもしれない。


あの年齢であの体力と美貌とプロポーションだ。
視力2.0以上あったりするかもしれない。(想像)

僕の親父が老眼鏡をかけ始めたのは、50歳すぎだったと思う。


その時初めて自分の親が「歳をとる」ということをリアルに感じて少しショックだった。

そして、僕はまだ40代なのに、最近急激に視力の低下を感じるようになってしまった。


寝転がって文庫本とかKindleを読んでいて、ふと目線を別にずらすとボケたりしてしまう。
やばい。 

だけれども、老眼鏡は作っていない。
以前、一足先に老眼になってしまった先輩が作ったというメガネを借りてみたらその瞬間に視界がクリアになってしまい、焦った。

僕は子供の頃から視力だけが良いのが自慢だった。
ここで、老眼なんぞになってしまうと、ただでさえ少ない自慢のタネが減ってしまう。

そこで、なるべく老眼鏡の世話になるのを遅らせ、できればジジイになっても裸眼で居られる方法はないか、色々試してみることにした。

1. 栄養に気を使う。


なんといっても有名なのは、アントシアニンだ。


これはブルーベリーに豊富に含まれている例のヤツだ。
この紫っぽい色がその栄養素が含まれている証らしい。


じゃ、赤ワインはどうなんだろう?と思って調べたら

やっぱし含まれていた!

毎晩赤ワインを飲もう。
いつでもどこでもクスリになる赤ワインは天才。


2. レーシック手術をする。


老眼にも有効らしい。


目に小さな目に見えないようなトゲが刺さっただけでもプチパニックになったのが僕だ。


目を手術する、というコンセプトそのものを受け入れることは出来ない。

却下だ。

3.ブルーライトを避ける。


パソコンから放たれる光がブルーライトだ。
この光は眼球を疲れさせる。


一日中パソコンの前にいるような生活をしている僕にとってはJINSのリーディンググラスは欠かせない。

4. 血流をよくする。


これは疲労を回復させ、疲労の蓄積から老眼を誘発するようなことがないようにすることが目的だ。


濡らしたタオルをレンジでチンして、目の上に数分おく。
焦ってやるとヤケドをしてしまうので注意が必要だ。


気持ちよすぎて、うっかりそのまま寝てしまい、仕事がはかどらない、なんていうこともある。

5.3Dアートを見る。



一番のオススメはこれだ。


なんといっても目の筋トレ、というのがわかりやすい。
鍛えれば強くなる、これは自然の摂理だ。
赤ワインの次に好きな方法だ。

そもそも老眼は水晶体の弾力というか筋力が衰えて、ピント調節が難しくなることで起こる現象だ。
衰えているなら鍛え直す、というシンプルな理論だ。

あまりやることが多すぎると無理だ。
せめてこの4つくらい(レーシックを除く)なら習慣化することは可能だろう。

しかし、老眼に変わる言葉、なんかないかな。。。


2016年2月22日月曜日

人を信用できなくなっても、また人を信じる。葛藤を乗り越える男の物語。


技術者としては凄腕だが、経営者としてはからきしダメ。

会社の規模を大きくするより、アイデアをカタチにすることにしか興味がない猫を愛する男。

そんな男が、婚約者と共同経営者に騙され、自分の作った会社から追い出されてしまう。

彼は人生最大の危機をどう乗り越えるのか?

答えは、コールドスリープ(冷凍睡眠)装置で未来へ行くことだった。

これは1957年に初版が出たSF小説の古典「夏への扉」のプロットだ。


舞台は1970年の近未来(?)と2000年だ。
現代でいうと、2030年と、2060年が舞台みたいな感覚だ。

そう考えると、出版された当時はマジに未来の話に感じられただろう。


古典中の古典ですが、古さは感じさせない。まさにクラシック。


最初に読んだのは80年代初頭の中学生だったと思う。

松田聖子の歌みたいなタイトルが叙情的で、少年のひと夏の冒険、みたいなのを期待して読んだら、全然違った。


30歳のおじさんが主人公で、会社を乗っ取られる話で、しかも、10歳くらいの少女との「純愛(?!)」もサブプロットで描かれる。

要するに、「全く響かなかった」のだ。
そして中身もかなりの部分を忘れていていた。



発想に困ったり、煮詰まったら「SF小説」


小説を読むのに苦がない人にオススメな方法だが、煮詰まったらSF小説を読むことは有効だ。

最近小説なんて読んでないし、SFとか映画ならまだしも小説なんてムリっしょ。

という人も多いかもだが、セレクションを間違えなければイケるはず。


推理小説やミステリーではダメだ。

基本的に殺人とかが描かれ、悲劇がテーマになるので、仕事や人生へのポジティブなインスピレーションにはならない。


少なくとも僕にとっては。


だからそういうジャンルは時間が有り余って、どうしようもない状況、例えば飛行機で12時間乗り続ける、みたいな状況向きなのだ。

SFは読者を完全に別世界に誘うので、一種の冒険の旅を終えたような爽快感が残る。
新鮮な視点で日常を見ようというモチベーションになるのだ。

とはいえ、海外の作家は徹底的に世界観から作り込むので慣れない人には最初は苦痛かもしれない。

だから、小難しい造語や複雑に入り組んだプロットの本格物はオススメしない。

そう思ってアマゾンを探っていて再会したのが「夏への扉」だった。

30年以上ぶりに読んだら全く読後感が違っていた。(と思う。なんせ、前回は覚えていない)


この「夏への扉」は古典中の古典なので、プロットは単純だし、ある程度良い意味での予定調和でストーリーが展開される。


婚約者と親友に裏切られた主人公は、細胞分裂を止めて(老化を止めて)冬眠して未来へ逃げようと考える。

そのアイデアに出会うまでの主人公は葛藤から逃れるために酒に逃げて、話し相手は猫だけみたいに描かれる。


しかし、未来への逃避をしようと決めたら逆に頭脳が聡明になり(ここは別の理由があるのだが)自分をハメた二人を追い詰める。(ここは痛快だ)


とそこで話は終わらず、二転三転し、結局彼は冷却され30年後の2000年に目が覚める。

そこでは「ある」不思議な現象が起こっている。


彼は、その真相を求めて過去に戻る決心をして、失われた30年を取り戻していくのだ。



それでも、ベストSFには顔出す常連なので、ストーリーとしては秀逸だし、1日もあれば読めてしまう。

書かれた時代背景を考えれば、冷戦の影響も垣間見れるし、2000年だというのにそこにインターネットはない。(そういうところにツッコミを入れるのは無粋だ)。

しかし、今の時代に読んでみても一切違和感を感じずに一気に読み切れるのは、この物語が酒に逃げ、信用できる相棒は猫だけ、という最低の状況にいる男が、立ち上がり自分だけを頼りに再生していく物語だからだ。


10歳の少女との純愛っぽい箇所は読みようによっては「キモい」かもしれないが、彼の心情と女の子の状況を普通に読めば、結構泣けるファンタジーなんだと気がつくのだ。

この小説はSFでエンタメだが、人間の普遍的な価値を描いている。


人間は、一人では生きていけないこと、リスクをとって人生を賭けることの意味を描いているのだ。


以下が、この小説で僕が最も好きな箇所だ。

ぼくは考えようとした。頭がずきんずきんと痛んだ。ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事にだまされた。が  なんどひとにだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそれ自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。

2016年2月16日火曜日

過去を生きるな、今を生きよう!っつうことで僕がしたこと。

私たちは年齢を重ねることを嘆いていた。
それは、私たちから冷静さを奪った。
まるで映画のようだった。
まるで歌のようだった。
私たちは若かった。

We were sad of getting old
It made us restless
It was just like a movie
It was just like a song
When we were young

ミレニアム世代最高の歌姫 アデル (when we were young より)

私事で恐縮です。


先日47歳になった。

ここで「素敵な50代目指して、ますます充実してま〜す(ハート)!」みたいにキラキラに書きたいが、結構無理がある。

若くもないが、年寄りでもないという中途半端な、まさしく中年ドストライクになってしまった、という思いがリアルだ。

誕生日の明け方に夢を見た。


あまりにもリアルだったので、起きた後もその感触が抜けずに、もしかしてマジだったのかも!とアセった。


前歯の横の小さい歯がグラグラになって、数日も持たないぞこれは、みたいなリアルな感じだった。

なんで、そんな夢を見たのかというと、数日前に実際の歯を抜いていたからだった。
それも2本も。

場所は前歯近辺、ではなくて奥歯だった。

もともと20年も前に治療して、かなり複雑な処置をしてブリッジにするみたいな治療をしていたのだが、とうとう寿命が尽きたのだった。


ブリッジにしていたせいで、左右の歯に負担がかかって限界を突破していたのだった。


ドクターから「何か力仕事してますか?」みたいことを言われたのだが、僕はデスクワークが主体なので、「多分フリーウェイトで気合い入れすぎて力んだせいじゃないでしょうか?」みたいなことを言った。

でも、きっと原因は夜中の激しい歯ぎしりだ。

レントゲンを見せてもらったら、奥歯の歯根が歯茎の中でポッキリ折れていた。

おまけに、歯周病みたいなのを併発していたので、これは抜きましょう、ということになったのだった。

乳歯から生え変わって、僕の人生のほぼ大半を共に過ごした、左の奥歯達、二人。

切なかった。

抜いた後に、その亡骸を見せてもらったのだが、もはや歯と言えるような姿ではなかった。

なんというか、ボロボロで無残で可哀想だった。
よく頑張った。今まで本当にありがとう。。。

ナースの女性に「どうされます?持ち帰られますか?」とか聞かれたので、
麻酔が効いて脱脂綿のつまった口で
「ヒヒヘ、ヒョブン、ヒヘクラハイ」というのが精一杯だった。


「一生、自分の歯で、健康に!」みたいなどこかで見た歯科医のポスターのコピーを思い出してしまい、ヘコんだのだった。

僕のイメージにあるジイさん、バアさんたちは皆入れ歯だった。
年を取ると歯が無くなるのだ、というのが脳みそにしっかり刷り込まれている。

もちろん、今はインプラント技術があるんだからそんなの気にするな、と言われるかもしれない。
無論僕もそんなことは分かってるのだ。

というか、僕の口の中には既に3本ものインプラントが埋まっているのだ。


しかし、それはスポーツをしていた時のアクシデントで歯を吹き飛ばしてしまった結果だったので、なんとなく「男の勲章」みたいな気分で誇らしかったのだ。



今回のは、完全に寿命を全うさせてしまったという事実がデカイ。


そういう気分だったので、これからはどんどん歯が減っていくのだ、という恐怖心がヘンテコな夢を見せたんだと思う。

そういうわけで、40年も一緒に過ごした奥歯たちに別れを告げて、iPhoneで80年代の洋楽を聴きながら帰途に着いたのだった。

この楽曲をリアルタイムで聴いていた時にはまさか47歳で奥歯が抜けるとは思わなかったな、とかをボンヤリ考えながら、
あの頃はどんな気持ちでこの曲を聴いていたのだろう?とかを考えた。



昔は良かった、とか頭の片隅で思ってるのかも知れない。


僕は仕事をする時に、好きな音楽をガンガンにかける。
気がつくとほとんどが80年代のポップスに寄っているのだ。


雨の日は気分が上がるようにロック、晴れた日はグロリア・エステファンみたく日によって違うが大抵80sだ。

あの頃のピュアでパワフルで無鉄砲で、未来しか見えなかった頃の気持ちをどこかで求めているんだろうと思う。


人にはそれぞれ「アンセム」みたいな応援歌があると思うのだが、僕の場合は80年代のポップス全体だ。

仕事上使っている屋号もブログタイトルも、あの頃のポップミュージックデュオの名前から拝借している。

麻酔で何も感じない奥歯のあたりを意識しながら、「俺はもしかして過去に生きてるんじゃないのか?」とか思ってしまったのだ。


女性と比較して男は過去に固執するという。



一種のセンチメンタリズムなのだろう。


「俺は年取るのがホントはすごい嫌なんじゃないだろうか?」
「嫌に決まってんだろ」
「何?オッさんになるのを肯定しないでどうする!」
「そうだ、現実には今を生きてるのだ」
「っていうか、80年代のポップスを聴くのと今を生きるのとで何の関連性があるんだよ」

みたいな感じで逡巡としてしまったのだが、結論はこうだった。

「俺は、80年代のポップスを聴きながら過去を生きているのだ」

最近、70年〜80年代に活躍をしたロック、ポップス界のレジェンドの訃報を立て続けに聞く。


その時代に多感な時期を過ごした中年のファン達の喪失感はすごい。


デビッド・ボウイが亡くなった時は、フェイスブックのタイムラインがそのトピックスで埋め尽くされてしまった。


(フェイスブックが若年層ではなく、結構上の年代層が使っている証拠か、とも思ったが。)

他の80年代ポップス愛好家はどうかはわからないが、僕自身は80年代の頃の自分のフィルターを通じて今の世間を感じているのだと自覚した。


良いのか悪いのか分からないし、きっとどっちでもない。

人に歴史あり、なので過去を否定して良い事など何もない。
そういう積み重ねの上に今の自分がいる。

それでも、もう一回まっさらな目で人生を見つめ返しても良いのかもしれない。

このブログタイトルと自分の事務所の屋号は「Naked Eyes」だ。


これは、裸眼でモノを見てみよう、という意味が込められている。

年齢を重ねると、あたかも何層のレンズを重ねたような視点でモノを見ることに慣れてしまう。


それは先入観とか常識とか既成概念とか思い込み、とか色んな意味のメタファーだが、もう一度そういうフィルターを取っ払ってみることで、新鮮に自分の人生を見ることが可能かも知れない。


とかなんとか言いながら、リアルに年を食ったことを感じてしまったので、自分に「過去ではなく、今を生きる」という事を実感して毎日楽しく充実させるためのチャレンジを課すことにした。

何をしたか、というと


シンプルに最新のビルボードのヒットチャートを聴くことだった。


さすがに、今更AKBとかジャニーズとかオリコンで流行ってる曲をチェックして、聴いたとしても盛り上がれる自信がないので、やはり洋楽にした。

2016年のリアルタイムなトップ20ポップスを全部apple musicでダウンロードしてそれこそ至る所で聴くようにしたのだ。

そもそも、今僕が聴いているような80年代ポップスだって、10代の頃にありとあらゆる機会で聴くことで好きになったのだ。

あの頃は確かに聴いた瞬間に「これ最高!」とか思ったこともあるが、それは真っ白なキャンバスにその曲が持つポテンシャルが染み入っただけに過ぎない。


今、僕のキャンバスに白い隙間は皆無だ。

一方で人は繰り返し同じ曲を聴いたり、同じ人に会ったりすると愛着を覚えるものだ。

その作戦だ。

普段仕事場で流しっぱなしにしてる音楽も変えた。

アプリ経由でリアルタイムのカルフォルニアにあるFM局のTop40専門局に限定したのだ。

様々な楽曲が自分の血となり肉となるには、リアルタイムに起きる出来事との関連性が必要だ。


今、そこで新しく聴こえてくる楽曲には何の思い入れもない。

そこが良いのだ。

47歳になった今、その時代を象徴するような新しい才能を介して世界を見るのはとても新鮮だ。


ヴァンヘイレンを聴きながらドライブする時に見える景色も最高だが、時代のトップを突っ走るテイラー・スウィフトやアデルを聴きながら見る景色は、なんというかフレッシュだ。


「過去ではなく、今を生きる」という当たり前を実感できる。



既に僕はレイチェル・プラッテンに魅了されている。最高だ。


ポップミュージックの力はいつでも偉大なのだ。


最近の曲はみんな同じに聴こえる、とかは思わなくなった。

それぞれの楽曲がそれぞれのアーティスト独自のストーリーとプロデューサーの思い入れを体現している。

誰しもが、過去を積み重ねて生きている。


そして、新しいモノを受け入れるのは
予想外にシンドイ。

どうしても慣れた方に自分が寄って行ってしまうからだ。

僕の奥歯には新しい歯が入るだろう。(インプラント・・・。いくらかかるんだよ!)


失った歯はもちろん、モノや時間に想いを馳せるのは、いつでも出来る。
それよりも新しい何かを意識して行うことが大切だ。

そうすれば、現実をリアルタイムで実感して、フレッシュな気分でチャレンジを続けることが出来る。

コケるのがデフォルトになる。

そういうチャレンジングなマインドセットに自然と切り替えられることが可能という意味だ。

まぁ、そういう大げさな意味じゃなくてもアデルやレイチェル・プラッテンやブルーノ・マーズを聴くのは楽しいんだけどさ。