もちろん、アメリカの公的な年度末は12月なので、それなりに「締め感」はあるのですが、
やはり日本の「いやぁ、もう年末ですね。今年はどうでしたか?」みたいな情緒とはかけ離れている。
自分は骨の髄まで日本的カルチャーが染み付いているから、ここ数日は新しい年を迎えるにあたり色々なことを考えた。
その一つが大きく考える事の弊害、みたいなこと。
そしていっそのこと「小さく考えてみよう」、ということ。
「小さいことの価値を考えてみよう」 このキャンペーンは当時の「でかく考える」至上主義のアメリカに衝撃を与えた。 |
積極的に「大きく考える事」を意識的に止めようと考えた。
若い頃に読んだ「大きく考えることの魔術」という本にインスパイアされて以来、僕は「Think big」の信者になってしまっていた。
これはこれで20代の僕に大きな影響を与えてくれました。名著の一つ。 |
「今日は、大きく考えましょう。Think BIG!です!
先ずは大きく風呂敷を広げて、ぶっ飛ぶようなアイデアを出しましょう」
とかやっていたのも自分だ。
大きく考えることは頭や常識のタガを外してイノベーティブな発想をするには役に立つかも知れないし、否定はしないし、したくない。
先ず大きく考えて、そこからスケールダウンさせて行った方が、最初から現実的、常識的な発想しているよりは得るものがあったとは思う。
ただ、その方法論はある程度、膠着した組織や製品サービスには有効でも、個人やマイクロビジネスにおいては弊害の方が多いかも知れないと思う様になったからだ。
雇われない生き方を選択して、気が付くのは「大きく考えている」だけでは、にっちもさっちも行かなくなるケースが多いからだ。
例えば、月に一回くらい息抜きを兼ねて「よし今日は少しでかい事を考えてみるか」というのは良くても、日常的に考えていても何の足しにもならない、という身も蓋もない現実に気付いてしまった。
むしろ、「Think Small」みたいに、小さくとも今やっている事の、微妙で些細な部分を改善したりすること。
年商10億円とか目指して日々ため息をつくより、今月○○百万とか聞こえはセコいけど、小さく現実的に考えた方が、けっこう価値がある発想や行動が出来ることに気が付いたのだ。
それはいつか起こるかも知れないビッグなイベントを待ち望むより、今目の前にある当たり前のことを真摯に考えて対応しよう、みたいなことかも知れない。
有名な話があります。
ある工事現場で、作業員に話しかける。
「あなたは何をしてるんですか?」
一人は「見りゃわかるだろう?レンガを積み上げてるんだ。」
二人目は「教会を作ってるんです」
三人目は「人が幸せになる場所を作ってるんです」
答えの抽象度が高ければ高い程、大きな目的を考えている人ほど人生で成功する、みたいな話で。
感慨深い。
良い話だ。
だけど、レンガを積み上げる、という行動そのものにも価値がある、と考えなくては、きっとダメだ。
三人目の答えを言った人も、レンガの積み上げ方がヘタクソだったら、今日限りでクビになってしまう。
大きな目的と、「今そこにある小さな事に目を向ける」、という両方のバランスが必要だという身も蓋も無い話だけど。
少なくとも目の前の小さなこと、小さな目標をドキドキワクワク感じるように自分を仕向けるほうが今の自分のマイクロビジネスでリアリスティックなライフスタイルに合致しているような気がしているのだ。
この冒頭のポスター「Think Small」は僕が尊敬する偉大なるアドマンの一人。
DDBの創始者であるビル・バーンバックが半世紀以上も前にアメリカで行ったビートルのキャンペーンのコピーだ。
この頃のアメリカの常識と言えば、どでかいアメ車、でっかく考えよう!でっかく生きよう!みたいなマッチョな考え方が主流だった。
そこに、アメリカ人からみて不細工なスタイルのビートルをいかにポジティブに市場に浸透させるか、というキャンペーン、それは大成功し、広告史に残る伝説なキャンーペーンとなった。
それは後のAppleの「Think Diffrent」にもインスピレーションを与えたに違いない。
僕は、取りあえず今このビートルの広告をiPhoneの待ち受けにしている。
そして、今日から自問するのだ。
「今、小さく考えているか?」「小さなことを大事にしているか?」と。