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このブログをアップするころは、大抵のマジなランナーは既にゴールをしていて、達成感に包まれている頃だ。
ファンランナーも雨だったので、結構大変だったのではないだろうか。。
それでもホノルルの街を満喫しながら完走を目指した全ての人々は素晴らしい。
ランナーの半数くらいの日本人ランナーはハワイ在住の人を除くと、大抵は数日前から1週間前にワイキキ入りをする。
年末をハワイで過ごすセレブな人達よりも二週間前にハワイ入りする人達はどこかアスリートでポジティブなオーラを醸し出している。
今年9月末にワイキキを闊歩していた大勢の嵐ファンの女子達のポジティブな空気とも雰囲気が違う。(良い悪いじゃないです。)
ホノルルマラソン直前の金曜日に朝息子をプリスクールに送った帰りにもアラモアナビーチパーク周辺を馴らしランするテレビで見かけるような日本人著名人の姿を見かけた。
そういう街の雰囲気は、なんかアップリフティングでポジティブな空気に溢れていてとても好きな感じだ。
僕はと言えば、去年の今頃は日本にいて、連夜の忘年会にいそしんでいた。
鍋をつついたり、ラムチョップにかぶりつきながら、来年末はハワイで過ごすはずなので、いっちょやってみるか、みたいなことを考えていた。
今までマラソンなんてやることも見る事も(箱根駅伝とオリンピックですら)興味が無かったが、一年あれば準備出来るのではないか。
とか考えていたが、甘かった。
この歳になると一年などはあっという間に過ぎてしまう。
「走る」という今までの人生に無縁だった行為を習慣化するのは、並の精神では実現出来ない事がクリアに判明しただけだった。
しかしながら、僕の周りにはとても、本当にとてもランナーが多い。
シリアスなトライアスリートから、生活習慣をポジティブなものに変えたいから始めました、みたいなOLさんまで、みんな街を走っている。
朱に交われば赤くなる、という諺があるが、どうやら僕には当てはまらないらしい。
どうして皆あんな苦しい事を楽しんでやるのだろう、とか考える。
ただ、最近そんな僕にも分かって来たのだ。
走ることの意味を。
ある医者をやっている人が言っていた。
走っていると無になれる。
それって瞑想と同じじゃないだろうか?
良く有能な経営者は例外無く、「瞑想」をするとか聞く。
「瞑想」とは色んなしがらみとか、煩悩とか、雑念を取り去るような、精神のクレンジングだ。
僕も倣ってやってみたりするが、ほとんどブログで公表出来ないような「煩悩」しか浮かんでこなくて、悩ましい。
僕の周りの経営者の友人達から、「瞑想」の話は直接聞いた事は無いが、ほぼ皆ランナーだ。
もしかすると、彼らは走る事で、精神のクレンジングをして、今日の、そして明日への活力を得ているのではないだろうか。
そう考えて、ジムでのワークアウトの終わりに申し訳程度に、トレッドミルで走ってみる事にした。
距離ではなくて、走行時間を指針にしてみた。
もう4分も走ると、やめたくなる。
僕は自分に限り無く甘いので、初日はそれでも走った事に満足して、ジムを後にした。
次回から、1分とか2分とか増やして行く事だけを自分に課してみた。
5回目くらいから10分以上走る様になってきた。
超スローペースでもしかしたら早歩きの方が速いかも、というペースだが、取りあえず時間を延ばす事を意識してみた。
ジムでのワークアウトに走る事を取り入れてまだ数回なので、やっと15分連続で走るのが精一杯な感じだが、
ある違いを実感するようになった。
僕の場合はヘタレなので、5~6分で、もう歩きたくなるのだが、そこを我慢して10分以上走ってみると、
ジムを後にしたときの気分がいつもと違う事に気が付いた。
なんというか、「多幸感」みたいな感じを味わえる様になったのだ。
物事を前向きに感じられると言うか、巧く表現出来ないのですが、頭に浮いて来るアイデアみたいなものがポジティブな感じになってきたのだ。
早速、Googleで走ることの効用みたいなものを調べてみたら、いくつも出て来た。
その中でも、ダイエットとかそういう分かりやすい効果以外にも魅力的な効能があることがわかった。
まとめると「人は心拍数をあげると、前向きな気持ちになれる」というような内容だった。
これは発見だった。
人間にはバイオリズムとか、感情の波とかがあるので、どうしても日によってネガティブな気持ちになってしまうことがある。
そういう時は、フィジカルな刺激を身体に与えるといい、というのは経験的に知っていた。
ただ、ジムに行って重いウェイトを上げるとかいうのは、そもそもモチベーションが低い状態なので、結構無理だ。
なので、スパが充実しているようなジムで熱い風呂に浸かったり、サウナと水風呂の往復を10回くらいする。
そうすることでネガティブな気持ちを吹き飛ばす様にしていたのだ。
熱い風呂に入ると心拍数が上がるので、意識せずに前向きな気持ちになれていたという事だったのだろう。
「じゃぁ、走るのはつらいので、熱い風呂に入ることにしよう」、という事でも無い気もする。
と言うのは、風呂に浸かるのに精神的な葛藤はないからだ。
走る時というのは、どうしても「何の為にオレは走っているのよ?」とか、「ここで歩いちゃおうか!」とかそういう葛藤が生じる。
特に僕のような、自分に甘い人間はそういう葛藤で頭がいっぱいになる。
そういう葛藤を乗り越えたぞ!
という達成感も「多幸感」を与えてくれる一部要素になっているかもしれないからだ。
たかだか、15分やそこらなので、友人のランナー達には苦笑されるかもしれないけど。
来年、ホノルルマラソンを走っている、かどうかは分からない。
少なくとも「走る」ということは、生活の中に取り入れようと思う。
自分のペースで、なら出来るかも知れないから。
ちなみに、瞑想の達人になるとセロトニンというホルモンが活性化するらしい。
そして、ランニングでも同様のホルモンの活性化が期待出来るのだ。
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