Koy's blog

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2014年12月18日木曜日

女性上司と相性が悪い。という男性からの相談。どうするか?自分の本当の顧客って誰だろう、と考えてみる。

大きな会社組織から離れて「マイクロビジネス」(個人で商売)を展開するようになって、すっかり組織人だった頃のメンタリティを忘れる様になってしまった。

ONとOFFみたいな概念がなくなってしまったので、四六時中ビジネスの事を考える様になってしまったし、一方で、意識的に自分を引き締めないとダラダラした毎日になってしまいそうになる。

そういう気分を軽く刺激してくれるような後輩からの相談を受けた。

社会人になって10年目を既に迎えた彼は悩んでいた。

どうしても上司とソリが合わない。


「彼女は、僕を鍛えるとか、失敗しても良いから、ドンとぶつかって来い、みたいな大きさが無いんです。
一々細かい所を指摘されて、感情的なのもつらい。彼女は僕の事を理解してくれていないんすよ」


「女性の上司とは僕は相性が悪い」、みたいな内容だった。

僕が東京に居れば、昔ながらの飲みュニケーションで、一杯飲みながらでも彼の愚痴を聞くのだろうが、
太平洋を真ん中に挟んで、時差も19時間あるのでメールベースのやり取りになる。

彼は、合コン好きなチャラ男であると同時に、不況をデフォルトとした時代に多感な10代と社会人のほぼ全てを過ごしているので、根は真面目で、勉強家の男でもある。


彼の相談を受けて思ったのは、「上司は親兄弟とは違うんだぜ」という当たり前のことだった。

彼は上司に親のような暖かい眼差しを求めていた。


相手は女性なので、もしかすると母性を無意識に求めていたのかも知れない。

そんなのは幻想である。

彼の結論は、「異性の上司」とは相性が悪い、という感じだったが、これはかなり見当違いの考えと言わなくちゃならない。

合コンで出会う女性と女性上司を混同している。


そもそも、合コンに来るような女性や男性は、シンプルに「異性」との出逢いを目的としている。


相手が、違うジェンダーであることが前提あるいは期待として求められている場所なのだ。

仕事の現場では生物学的なジェンダーは関係ない。建前はそう、ではなくて本当に関係ないのだ。


利益を目的とした集団、というシンプルなモノ以外の何モノでもない。

その女性上司が感情的と思えるのは、「女性が」ではなくて「彼女が」なのであって、しかもそれは、受け取る側の主観に過ぎない。


いちいち細かい指示をするのは、もしかすると彼の仕事っぷりに安定性がなく、心配なだけかも知れない。

上司と言うからには、責任のある立場であるはずで、彼のミスは彼女のミスになる。
飽和状態にあるような業界では、一回のミスが命取りになってしまうのかも知れない。
だから、彼女は彼に厳しいかも知れないのだ。

僕の彼へのアドバイスは、「君のお客さんは直属の上司である彼女なんだよ」というものだった。

彼の場合は、上司が女性だったので「ジェンダーの違い」が本質を見づらくしてしまったが、
きっと男性上司の場合でも同じような悩みは生じたはずだ。

何故かと言えば、多くの日本人にとって「会社はウチ」という発想が根強くあるからだ。
試しに、何人かのサラリーマンに会社の事を聞いてみるとしよう。

ほとんどが「ウチは・・・」と説明するはずだ。

居酒屋やバーでのサラリーマンの話題の多くは「ウチの社長」「ウチの上司」「ウチの新入社員」に対する
話だったりする。 

「ウチ」とはそのまんま「家」「身内」という意味だ。

別の意味では、「帰る場所」だったり「外と違って甘えを許される場所」みたいなニュアンスもある。


いやいや、さすがに自分の家と会社の分別はついてるよ、

何言ってんだコイツ?!とか思うかも知れない。

確かに。

でも、普段使う言葉と言うのは、普段意識しない深い所に結びついているはずなのでちょっと意識してみて考えて欲しい。

例えば、後輩の彼や多くの悩める会社員にとって、会社に対する愚痴の一つも言いたくなる瞬間と言うのは、決まって「自分を理解してくれてない」「私の扱い方がフェアではない」というようなモノだと思う。

僕はそういう話を聞く時、まるで身内というか「親」への文句と同じだな、とか思っていた。


確かに、「寅さん」のタコ社長の工場とか「三丁目の夕陽」みたいな高度成長期を支えた時代の中小企業とかだったら、社長さんが従業員全員の「お父さん」みたいな雰囲気もあったのかもしれない。

集団就職したような15歳くらいの人達にとっては文字通り「お父さん」だったのかもしれない。

今でも、日本全国探してみれば、そういう気概のある社長さんと牧歌的な古き良き日本の家長制度的な会社があるかもしれないし、嫌いじゃない。

でも、現代のほとんどのビジネスパースンはもっとドラスティックで現実的な企業に勤めているのだと思う。

そういう僕も20代の頃に勤めていた外資系企業で、会社や上司に甘えた期待をしていて、手痛い失敗をしたことがある。

それ以来、会社や上司は自分の客であって、「身内ではない」と明確に意識する様になった。

彼へのアドバイスのポイントは、
会社や上司を身内として見るのではなく、自立した個人としての自分のリアルなお客さんは誰か?
ということ視点で考えてみる、ということだった。

過去に同様の相談を複数受けた時に、それぞれこう聞いてみた「君のお客さんって誰?」


答えは「取引先」だったり「クライアント」だったり、「消費者」だったりした。

会社を代表して仕事に向かう、そういう真面目さに溢れた答えだと思う。


ただ、そういう時の僕のアドバイスは、「それは会社のお客さんであって、君のお客さんではない」というものだった。

「君のホントのお客さんは君の上司であり、会社だよ」って。

生活して行く為のお金を銀行に振り込んでくれる人がお客さんなんだよ、と僕は考える。


夢が無い、とかドライ過ぎる、とか感じる人もいるかもしれないが、「会社」や「上司」に対する不満は大概上に書いたような「ウチ幻想」に端を発しているので、自分が個人事業主のように振る舞って、上司を客だ、自分が在籍している会社が客だ、と発想を変えれば大抵の不満や悩みが消える事に気が付くはずだ。


このお客を満足させなくては、メシの食い扶持がなくなるのだ。


相談してくれた後輩が、取るべきアクションはその女性上司を自分の顧客として捉え、彼女のニーズを把握し、プロとしてソリューションを提供することだと僕は考える。

そのソリューションの中には、結果として彼女や会社の顧客の事を考えなくてはならないケースも多いだろう。

その上で、その上司なり会社なりが明らかに破綻を来したブラックなんだったら我慢する必要はない、とっとと辞めるか、出る所に出るようなアクションを取れば良いだけだ。

僕もそう考えてサラリーマンをやって来たが、
「こいつは信じられない程の人格破綻者のオタンコナスだな」みたいな上司がいたことがあり、当然だが、そいつを客だと思う事は止めた。

誤解して欲しくないのだが、上司が明らかにディレクションを間違ったり、人格が崩壊している場合は、別のソリューションを考えなくてはいけない、という事だ。

もし、自分に「甘え」があると思われる場合は、上司を客として考えてみよう、という話だ。

あくまでも、主導権は自分にある、ということも忘れてはいけない。精神の奴隷になってはいけないからだ。

極端な例だが、僕が海外で経験したある著名なCM監督(フランス人)との仕事がある。

その監督も女性だったが、まわりのスタッフはそのCMを見る事になる日本の消費者のことなど一切気にしていなかった。

彼らは、その監督に雇われているという意識がクリアなので、余計なことを考えず、監督の満足度をいかに高めるかという仕事っぷりだった。

雇われた以上、要求が高くても、細かくっても何でも来い、オレはプロなんだ。

そういう気概に溢れていた。

僕は、プロとはこうあるべきなんだろう、と感銘を受けた。

自分をプロだと自覚するなら、そういう自分を雇っているのは誰か?
それを見極めるべきだが、日本の会社ではそこら辺が曖昧だ。

社長?人事部?上司?
確かに、会社には雇われているが、日常で意識するには漠然としている感じがする。

確かに、取引先の事や消費者のことを第一に考えて行動するというのは理想的かも知れない。


が、あくまでも理想論である僕は思う。


当然そのように考えることも重要だが、後輩の彼の様な不満がある場合は、会社や上司を身内と思うような子供染みた期待は一切捨てる方が得策だ。

帰る家は、ホントの自宅や実家(もしかしたら、行きつけのバー)であって、会社じゃないのだから。




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