Koy's blog

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2016年2月22日月曜日

人を信用できなくなっても、また人を信じる。葛藤を乗り越える男の物語。


技術者としては凄腕だが、経営者としてはからきしダメ。

会社の規模を大きくするより、アイデアをカタチにすることにしか興味がない猫を愛する男。

そんな男が、婚約者と共同経営者に騙され、自分の作った会社から追い出されてしまう。

彼は人生最大の危機をどう乗り越えるのか?

答えは、コールドスリープ(冷凍睡眠)装置で未来へ行くことだった。

これは1957年に初版が出たSF小説の古典「夏への扉」のプロットだ。


舞台は1970年の近未来(?)と2000年だ。
現代でいうと、2030年と、2060年が舞台みたいな感覚だ。

そう考えると、出版された当時はマジに未来の話に感じられただろう。


古典中の古典ですが、古さは感じさせない。まさにクラシック。


最初に読んだのは80年代初頭の中学生だったと思う。

松田聖子の歌みたいなタイトルが叙情的で、少年のひと夏の冒険、みたいなのを期待して読んだら、全然違った。


30歳のおじさんが主人公で、会社を乗っ取られる話で、しかも、10歳くらいの少女との「純愛(?!)」もサブプロットで描かれる。

要するに、「全く響かなかった」のだ。
そして中身もかなりの部分を忘れていていた。



発想に困ったり、煮詰まったら「SF小説」


小説を読むのに苦がない人にオススメな方法だが、煮詰まったらSF小説を読むことは有効だ。

最近小説なんて読んでないし、SFとか映画ならまだしも小説なんてムリっしょ。

という人も多いかもだが、セレクションを間違えなければイケるはず。


推理小説やミステリーではダメだ。

基本的に殺人とかが描かれ、悲劇がテーマになるので、仕事や人生へのポジティブなインスピレーションにはならない。


少なくとも僕にとっては。


だからそういうジャンルは時間が有り余って、どうしようもない状況、例えば飛行機で12時間乗り続ける、みたいな状況向きなのだ。

SFは読者を完全に別世界に誘うので、一種の冒険の旅を終えたような爽快感が残る。
新鮮な視点で日常を見ようというモチベーションになるのだ。

とはいえ、海外の作家は徹底的に世界観から作り込むので慣れない人には最初は苦痛かもしれない。

だから、小難しい造語や複雑に入り組んだプロットの本格物はオススメしない。

そう思ってアマゾンを探っていて再会したのが「夏への扉」だった。

30年以上ぶりに読んだら全く読後感が違っていた。(と思う。なんせ、前回は覚えていない)


この「夏への扉」は古典中の古典なので、プロットは単純だし、ある程度良い意味での予定調和でストーリーが展開される。


婚約者と親友に裏切られた主人公は、細胞分裂を止めて(老化を止めて)冬眠して未来へ逃げようと考える。

そのアイデアに出会うまでの主人公は葛藤から逃れるために酒に逃げて、話し相手は猫だけみたいに描かれる。


しかし、未来への逃避をしようと決めたら逆に頭脳が聡明になり(ここは別の理由があるのだが)自分をハメた二人を追い詰める。(ここは痛快だ)


とそこで話は終わらず、二転三転し、結局彼は冷却され30年後の2000年に目が覚める。

そこでは「ある」不思議な現象が起こっている。


彼は、その真相を求めて過去に戻る決心をして、失われた30年を取り戻していくのだ。



それでも、ベストSFには顔出す常連なので、ストーリーとしては秀逸だし、1日もあれば読めてしまう。

書かれた時代背景を考えれば、冷戦の影響も垣間見れるし、2000年だというのにそこにインターネットはない。(そういうところにツッコミを入れるのは無粋だ)。

しかし、今の時代に読んでみても一切違和感を感じずに一気に読み切れるのは、この物語が酒に逃げ、信用できる相棒は猫だけ、という最低の状況にいる男が、立ち上がり自分だけを頼りに再生していく物語だからだ。


10歳の少女との純愛っぽい箇所は読みようによっては「キモい」かもしれないが、彼の心情と女の子の状況を普通に読めば、結構泣けるファンタジーなんだと気がつくのだ。

この小説はSFでエンタメだが、人間の普遍的な価値を描いている。


人間は、一人では生きていけないこと、リスクをとって人生を賭けることの意味を描いているのだ。


以下が、この小説で僕が最も好きな箇所だ。

ぼくは考えようとした。頭がずきんずきんと痛んだ。ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事にだまされた。が  なんどひとにだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそれ自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。

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