そして日本人が圧倒的だろうと思います。
そういう皆さんは、日本の身近なコンテンツ、例えばテレビドラマ、アニメ、映画、そしてJpopに関してどのように感じているのだろうか?
嗜好が多様化して、「半沢直樹」みたいな爆発的なヒットが稀になってきているので、一つのコンテンツを見て聴いて面白いと感じる人もいれば、つまらないと感じている人もいるだろうし、評価は多様だろう。
なので、一般論としてその日本生まれのコンテンツの賛否をここで論評してもしょうがない。
ただ多くのコンテンツがこのブログのようにほぼ日本国内向けか、もしくは日本人向け、日本的な文脈を理解している人向けだ、ということには賛同いただけると思う。
何を当たり前のことを、と思うかも知れないが、こういう内向き指向はやはりガラパゴス的文化を生み出すことになっているのだと思う。
日本は人口が中途半端に大きいので、日本発のコンテンツのほとんどは日本市場に需要があり消費される。
今回(もう前回と言うべきか)の「紅白歌合戦」の圧倒的なツマラナさを見てしまい、内向きガラパゴス的コンテンツの総決算みたいな気がして、そしてそれはある種の危機感なのですが、そういう視点で今回のブログを書きます。
海外にも通用する一部のコンテンツ(川端康成がノーベル文学賞と穫ったりした国だし、村上春樹、引退してしまった宮崎駿は名前で勝負できるクリエイターだし、料理の鉄人とかサスケとか風雲たけし城とかのパッケージは海外でも一部人気)は無視して、もうモロにベタで主観的な話になります。
クールジャパンとか言われているものの代表はアニメだけれど、それすらも90年代をピークに輸出は減っているらしい。
肌感覚で言えば、僕はニッポンのアニメのピークは昭和50年代60年代、西暦で言えば、70年代後半から80年代だったと思う。
新聞のテレビ欄をアーカイブで見てみても、プライムタイムにアニメが堂々と何本もオンエアされている。
今の情報バラエティに占拠されてる状況とは全然違う。
今のアニメは極端に幼児用か、アダルト向けになってしまっている。
といって、今日書こうと思っているのは、アニメのことではないです。
今の日本には世界で通用するようなコンテンツやクリエイターが期待されている割に圧倒的に少ないのではないか、クールジャパンって一体世界の誰に向けての施策なのか、ということ。
日本市場が少子化、先細りと言えどもまだまだ大きいので、日々コンテンツを作っている人達はどうしても世界というより、国内ユーザーを見てしまうのだろう。
ハリウッドやディズニーのコンテンツは初めっから世界市場をターゲットにしている。
香港から始まり、今や上海に軸足を移している中華圏のショービズは、世界に広がる華僑圏をターゲットにしていて、シンガポールやマレーシア、タイはもとより、北米にも影響力を持っている。
韓国のKPOPのプロデューサーは、80年代90年代の日本の歌謡曲(チャゲアスやサザン)をレスペクトしていると言ってたけれど、明らかに今の米国のポップスからインスパイアを受けている。
韓国映画もその映画の文法と言われるような部分とテクニカルな技術(撮影や編集、効果音、エフェクトなど)は明らかにハリウッドからの影響だ。多くの韓国のクリエイターはかつては日本から学んでいたが、今はハリウッドからダイレクトに学んでいる。パクリではなく。いい意味で。
そういう手法はハリウッドが徹底的に普遍化させたハリウッドスタンダードなので、世界でも通用するようなコンテンツに仕上がっているのだ。
僕はいつも韓国映画を観て、素直に面白い!とか思ってしまう。そして日本映画を観て、幻滅してしまう。
そして韓国のコンテンツの多くは日本で消費され、その利益はアジア各国への韓国の文化奨励の為の投資に回されている。
そして、コンテンツは日本のトレンディドラマより遥かに高値で売買されている。
市場規模はアジアだけで160億円を越えると何かのレポートで読んだことがある。日本はその1/3らしい。
何が言いたいかと言うと、一部芸術性の高いコンテンツ以外の現代ショービジネスの世界では、制作される国内市場よりももっと広い商圏やもっと言えば世界市場を見据えている。だから世界的なトレンドや手法、ルールを活用する事が必須になっているのだ。
また、世界に通用するコンテンツ制作に関わる人種や出身地も様々だ。
日本では海外からスタッフを招集する、というのは非常にレアで、普通にスタッフに外国籍の人間がいるみたいなケースは在日コリアンの人達くらしかいないのではないか。
アメリカのABCで「Fresh Off The Boat」というシットコム(30分もののコメディ)が2月から始まる。
これは全米初と言っていい(正確には94年にアジア系コメディが1シリーズあったらしい。未見ですが)アジア人ファミリーが主役のコメディになる。
多分、East meets Westみたいな内容になるだろうが、それでも北米(米国・カナダ)にいる華僑の評価をあてにしてるはず。 |
古くは「ルーシーショー」、「奥様は魔女」みたいな白人家庭を舞台にしたものから始まり、80年代になってようやくコスビーショーという黒人家庭を舞台にしたシットコムが爆発的な人気を呼んだ。
そして、今回は台湾からの移民(タイトルは「移民船から降りたばかり」という意味)が主人公のコメディが始まる。
これはかつての黒人のように、アメリカの社会とくにエンタメ業界の中でアジアン(華僑系)の存在が無視出来なくなるくらいデカくなったことを意味していると思う。
このシーズンがコケるか、人気シリーズになるか分からないが、すごく興味がある。。。
そして、関わるスタッフやキャストは、アジア系を中心に多様なバッググランドを持つ人々で構成されている。
初回の脚本はイラン系のライターだし、主役の俳優は韓国系、そして話は台湾系移民の話。
それをシアトル出身の白人女性が監督をする。
日本人、日系人のキャストやスタッフの関与は情報を見る限り皆無だ。
こういうコメディでは必ず中心となる配役のエスニックな部分を面白おかしく演出に取り入れる事が多いので、
「アジア系あるある」が多く出て来るはずだ。
それは、食べ物だったり、習慣だったり、クリスマスよりも旧正月が大事、みたいなことだったりするのだろう。
ただ、今までのようにアジアンステレオタイプな眼鏡をかけて小太りでコンピューターと算数が得意でモテなさそうな脇役という感じではないはずだ。
なんせ、主役なんだから。
4大ネットワークの一つなので、米国のみならず北米全土、そして華僑の多い豪州には当然輸出されるだろうし、欧州でも見られるかもしれない。
そうやって、日本を除いたアジアン風味なコンテンツも英語という共通言語によって世界市場に浸透して行く。
きっと台湾やその他のアジアの国でもアフレコで観られるのだと思う。
でもって、日本ではリリースされないかもしれない。
日本にマーケットがあるとは思えないから。
日本が国内だけを見て、エンタメコンテンツを作っている間に、世界のクリエイター達は自分達のバックグランドをグローバルスタンダードにアジャストしながら、切磋琢磨しながら、才能が入り乱れながら、世界に通用するコンテンツが制作されリリースされて行く。
小粒で芸術的でサブカルな佳作、ではなく金を生むであろうビジネスとして。
日本のコンテンツも面白いよ、とか言ってくれる外国人の友人も多いが,そのトーンは日本人がインドのマハラジャ映画を見るような、少しサブカル的で、一種キワモノっぽい感じが否めない。
インドも国内市場が巨大なので、あくまでも国内向けなのものを外国人がニッチな趣味で見ているような感じだ。
例えば、世界を市場と見据えたコンテンツビジネスを最初から考えることは難しい相談なのだろうか。
国内向けのコンテンツを、日本で消費した後に世界に売り込むのではなくて、最初から世界市場を戦略的に考え当たり前のように制作するということが。
日本人には日本向けのコンテンツが大事だし、なぜわざわざ外国に媚びたようなコンテンツを作る必要があるのか、と言う意見もあるだろうが、昨年大ブームになった「アナと雪の女王」とかをみれば、それは詭弁だという事がわかる。
モチロン、そういう日本オンリーなコンテンツは今まで通り存在していても全く問題はないし、ニーズもあるだろう。
それを悪いと思っている訳ではない。
でも世界をマーケットにしたコンテンツがノーマルな状態でも出て来る環境にしないと日本のエンタメ界はヤバいのではと思っているだけだ。
能や歌舞伎などは、日本の古典芸能であり、今も息づいているエンタメだが、ポップカルチャー的なコンテンツはそろそろ国際市場を本気で見据えた、演出とキャスト、スタッフィングを考えて行く必要があるのではないだろうか?
AKBだけに任せていてはきっとダメだろう。
日本のエンタメコンテンツが世界で通用するクオリティにになれない障害は以下の3つだ。
1. 英語:
やはり、日本語というのはほぼ日本国内でしか通用しない言語なので、世界を見た時にその壁はかなり大きい。またクリエイター自身が英語でディールをするようなニーズが日本国内には当然ある訳が無い。
結果、国内外問わず才能で勝負出来る機会が圧倒的に少ないので、日本人だけで収まってしまう内容に落ち着く。
2. 単一の価値観:
本当はそんなことはないのだが、全ての視聴者は同じようなバックグランドとコンテキストを持っているだろうという前提。
それによって、ありもしないマス幻想の中でコンテンツが作られる。
むしろ価値観の多様性を前提とした上で、それをも凌駕するようなビッグアイデアが求められていると思う。
3. クリエイターを取り巻く劣悪な職場環境:
海外の一流のスタジオ、プロダクションで多くの日本人もプロとして働いているが、彼らは日本で日本の為に仕事をしたいとは思わないだろう。
あまりにもチャレンジの質に差がありすぎるし、日本のクリエイションの現場は僕が知る限りブラックでクリエイターを尊重しない環境が圧倒的だからだ。
当然、日本でクリエイターとして活躍したいと考える外国人も圧倒的に少ないだろう。
なんとかならないのだろうか。。。
僕は、その答えを150年以上前の日本に求める。
歴史に学ぶのだ。大真面目に。
僕の結論は、維新後の日本の官僚組織、陸海軍組織、を作った時のように海外にバンバン若い志士たるクリエイターを送り込むことだと考えている。
幕末の状況は今の日本のエンタメコンテンツ業界と被って僕には見えてしまう。
あの頃も、武士を中心とした秩序を守るか、思い切って髷を切って、列強に飛び込んで学び存続を図るか、その二者択一を迫られていた。倒幕か佐幕か。
そうとう佐幕側の反対も強かったはずだ。(僕は江戸っ子なので、佐幕側の気持ちも分かる。)
それでも、日本は一度あっさり「自分達らしさ」を捨て去った。
そうすることで、日本は逆説的に「自分達らしさ」を守ったと僕は考える。
今、志しの高い若手で海外のクリエイターに影響を受けている人はメチャクチャに多い。
聞けば手を挙げる若手はきっと居るはずだ。
若手を意味不明な安月給でフロアADとかカメラマン助手のように弁当係みたいな奴隷として扱うのではなく、逆に投資の対象として、エンタメ企業はガンガン若手に海外に行かせるべきだ。
ちゃんと給料も払ってあげて、現地のスタジオやプロダクションからは給料いりません!みたいな感じでもいいではないか。
そうやって、グローバルで通用するコンテキストをスキルとして身につけた若手は必ず、日本のエンタメを独自性を持ちながら世界で通用するコンテンツに高められるクリエイターになるのじゃないかと思う。
そして、古いオジさん達には退場してもらうのが一番良い。
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