スマホを自在に操る幼児達
誰しもが自分の子供と一緒にいても彼らを相手に出来ない時間があると思う。
食器を洗ったり、ベッドメイキングや済ませたいメールなどがあるような場合だ。
そういう時は型の落ちた使ってないiPhoneを渡してアプリのゲームで遊ばせることがある。
当然ウチの息子はハイハイを始めた瞬間からデジタルネイティブなので、文句も言わず嬉々としてレゴのアプリで遊んでいる。
ヘタしたら親の僕らよりiPhoneを使いこなしている様に見える時があってビビる。
WiFi環境では使えるので、Youtubeで子供用の動画を見せる事もある。
下手をすると、こっちの野暮用が終わって「さあ、アチョぼうか!」とか声をかけてみても完全に無視される場合だってある。
そういう息子の姿を見て、
「ああ、このコらは、僕らと違って物心着く前から手元にテレビ電話や、好きな時に好きな動画を見られるデバイスと共に成長して行くんだな。これって未来だな。デジタルネイティブだな。」
とか一瞬感慨深い思いに浸りそうになる。
でもちょっと待てよ・・・。
スティーブ・ジョブスは自分の子供達にIPhoneで遊ばせなかったという都市伝説のような話を聞いた事がある。
その話に加えて。
感動した!と皆が言ってた大作「インターステラー」を撮ったクリストファー・ノーランが
「僕らが子供だった頃は上(宇宙)を見上げて夢を見ていた。今の子供達はみんな下(スマホ)で現実を見ている。そんなんじゃダメだろ。」
みたいなことをインタビューで語っていた事を思い出したからだ。
僕が物心ついた時は、既に月に人類は到達していたし、戦闘機は音速を超えていた。
東京タワーは芝公園に出来てたし、大阪万博も終わっていた。
それでも僕が小学生だった時代は、子供雑誌に未来予想図が描かれ、いずれ人類は光速を超え、火星や土星の衛星に移住するんだ、ということを真剣に信じられる時代だった。
みんな、未来を、宇宙を信じていた。
未来志向であることは「父性」なんである
先述した「インターステラー」は2001年宇宙の旅へのオマージュに溢れた優れたSF大作だ。
(監督本人は「未知との遭遇」からのインスピレーションにも言及している。)
映画『インターステラー』オフィシャルサイトより |
しかし同時に壮大な家族のストーリーでもある。
僕はSF映画が大好きなので、この映画がいかにリアリティにこだわって3次元から5次元の世界を宇宙を舞台に描いた作品なのか理解出来る。
ワームホールの描きかたも見事だった。
表のストーリーは人類を滅亡から救う宇宙飛行士と科学者のストーリーだ。
もう一度、デカイ画面で観たい!! |
しかし、本質的な所は、「家族」の物語だ。
それも、父から子供への「父性としての愛情」を描いた物語だった。
「母性」が「自己犠牲と守護」なら「父性」は「未来へのチャレンジ(を子供世代に見せつける事)」である。
(僕の勝手な定義。今後のブログポストで変わる可能性大!)
だいぶ前の公開作品なので、「ネタバレ」前提に書いてしまう。
と言って「映画解説」ではないので、読んでしまっても、映画鑑賞の魅力を数パーセント削ぐくらいの損傷で済むはずだ。
さて、この映画の最大のそして静かな山場。
それは、年老いた「自分の娘」を娘がまだ幼い頃に別れたまんまの年齢(ワームホールや重力の関係で歳を取らない)で看取る自分、というシークエンスに他ならない。
ノーランはこのシーンにリアリティを持たせたくて、このテーマで映画を撮ったのではないか、とすら僕は考えてしまう。
親として「SFでも無い限り絶対に不可能な事」は自分の子供達世代が、歳を重ねていく姿、そして幸せな天寿を全うすることをこの目で見て確認することだ。
順当に行けば、自分が先にあの世に行くことは当然だからだ。
この映画がハリウッドの王道通りハッピーエンドと断言出来るのは、まさにこのシーンが存在しているからだと思う。
ノーランはこの映画で「父性」を描いた。
それは、
ー子供に生き様を見せる事。
ー時に自分のミッションを完遂する為に子供とは離れる必要があることを子供に理解させること。
ー子供に人生は生きる価値があることを教える事。
ー子供に未来を信じさせる事。
ーそして自己犠牲をしてでも何か別のものに(未来を信じ)命をかける信念を持つ事。
というものだった。
残された娘のマーフは父クーパーの帰りを信じて、未来志向で生きる決心をした。
そしてそれは結果的に、宇宙に旅立った父を救い帰還させる事にも成功したのだった。
自分の父性に導かれるまま、人類を救う為に、宇宙で孤独(数人のクルーはいるが)と闘い、帰還を果たす。
そして、自分の娘が何人もの孫など家族に囲まれ、「上を見続けながら、自分を信じ続けながら、自分を愛し続けながら」天寿を全うする姿を見て「救われる」のである。
そして、もう一人、別の星に残された同僚の科学者を救いに再び宇宙に旅立つ決心をするのである。
子供達に未来を信じてもらうこと
僕はiPhoneを自在に操る息子を見ながら、「未来だなぁ」などと、呑気に思っている場合ではないのだった。
僕らにはそれが例え幻想でも「信じられる明るい」未来があった。
そういう前向きで未来志向な空気が時代を進展させる原動力の大きな一つになっていたのは事実であると思う。
今、自分の子供らは掌に乗るデバイスで知る「現実」によって、どんどん現実指向になって行っていると感じるのは僕だけではないはずだ。
偉大な名監督のクリストファー・ノーランもそう言っているのだ。
僕ら父親は子供らにどういう未来を用意してあげられるのだろう。
どうやったら「未来」を信じるに値するものだと伝えて行く事が出来るのだろうか。
それがきっと僕ら(中年ドストライク)世代のミッションなのではないだろうか。
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