「演技とはすべて、無いものをあるかのように見せる幻影だ。私は役を演じる時、そのキャラクターを全て知り尽くしたいのだ。俳優というものは、ありとあらゆる人間になり、その人生を生きなければならないのだ」(カメレオン俳優なレジェンド ロバート・デ・ニーロ大先生)
すごい映画だった。
キャストが全員そっくりじゃないか!
ブライアン・メイなんて最初は本人のCGかと思ってしまった。
ラミ・マレックのフレディは前歯を強調するというメイクなので、うっかりするとそこが気になって仕方なくなりそうだ。
しかし、そうはならず、完全に「彼が真実にフレディである」と思うだけで違和感のかけらも感じられなかった。
(メイクの技巧も素晴らしいのだが、セリフや演出によって観客に違和感を持たれない仕掛けもある。さすが。)
ブライアン・メイはクィーンのレジェンドなギタリストでもあり、この映画のプロデューサーでもあるが、彼はこの映画をファミリー向け映画にしたい意向があったそうだ。
フレディ・マーキュリーが主役であることはわかっていたし、彼にファミリーな香りは皆無だ。。。。
それがどうやったらファミリーな映画になるんだよ?
で、見終わった。
見せ場であるLive Aidのシーンはまさに「実体験」と言っていいくらいの迫力で、僕の心と体はあの時代のウェンブリースタジアムに時空を超えて飛んでいた。
高校2年生に戻っていた。
その圧倒的な生き様と大音量での数々の名曲に酔いしれた後、僕の頭をよぎったのは、
「これは家族の物語だ」
ということだった。
この映画をブライアン・メイが「ファミリーな映画にしたい」と言い、それを実現させたのは、原案と脚本を担当したアンソニー・マクカーティンだ。
最近ではウィンストン・チャーチルの脚本も担当している。
移民の子供として生まれた孤独な少年は自分の出自を嫌い、そこから抜け出す道を探す。
やがて彼は自分の才能を遺憾なく発揮できる場所を見つけ栄光を掴む。
しかし、彼は孤独なままだった。そして彼は最後に家族とは何か、そして家族の愛を知り、その家族の元に帰っていくのである。
そういうストーリーだ。
彼は、家族のインド系のファミリーネームさえ「マーキュリー」に変えてしまうくらいに「本当の家族」がいる場所は自分のいる場所ではないと思っていた。
彼は、別の誰かに身も心もなりたかったのだ。
そして、自分の才能によってサクセスを掴む。
そのメンバーとはまさに擬似家族を形成していく。
が、またもそこで彼は対立からエゴによって孤立し始める。
彼は、自身のバイセクシャルへの自覚、そしてゲイとして目覚めることで心から愛した女性とも「家族」を作ることができないと悟る。
彼は愛を模索しながら、探し出せずにいる。
そこに、「本当に自分を見つけたら俺に会いに来い」という生涯のパートナーとなる男性を見つける。
あるきっかけによって自分の愚かさに気づき、そして彼は行動する。
対立するからこそ、言いたいことを言い合えるからこそ、相手を心から思っているからこそうざったい言動をしてしまう、それが家族であり、そこに愛があるのだと気がつくのである。
彼は、メンバーに素直に詫びる、そして「家族」に戻る。
とうとう本当の自分を見つけた彼は、「会いに来い」と言った「パートナー」を探し出す。
そして、「本当の家族」の元へも向かうのだ。
彼が、映画の最高の盛り上がりであるLive Aidの大舞台。
世界中が熱狂するそのステージで「投げキッスをするよ」と約束した相手は誰だったのか。
優れたストーリーライターが、このレジェンドなアーティストのストーリーを「家族の物語」として昇華させた。
ただの音楽映画でもなく、ただの伝記映画でもなく。
人々が、普遍的に持っている「家族への思い」をストーリーのテーマに据えたからこそ、フレディという一人の孤独で才能に溢れた天才に共鳴し、彼が自分の居場所を見つけたことに人々は感動し賞賛するものになっているのだと思うのです。
(C) 2018 Twentieth Century Fox
未見の人は是非~!