Koy's blog

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2016年5月5日木曜日

絶対に失敗できない職業

「挑戦者に失敗はつきもの。」

「クリエイティビティを発揮するには、頭で考えるよりまず行動。失敗するのは当たり前くらいに考える。
失敗してこそ、前に進める。」

ベンチャー、特にテック系やクリエイティブ系では失敗は当たり前、臆して行動しないのは悪。
そういう風潮が顕著だ。

で、僕も同感。

試してみる。
こける。
それがどうした。
人目なんて気にするな。

これほどの名言はなくて、今でもiPhoneの待ち受け画面っす。
エスクアイアの2014年10月号カバー

そんで、また立ち上がってやってみる。

個人的にそういう考え方は大好きだし、行動を前提としない知識は無用だ。


知的好奇心を満足させるだけの趣味なら別なんだけど。



なんだけど、一方で。。。


先日、友人の脳外科医が監修を務めるプロジェクトに(微力ながら)ちょっとしたパートをお手伝いした。

脳外科医として、日頃接する患者さんに対してより良い健康のためのアイデアを具現化するプロジェクト。


友人の思いと志は熱く、話してる周りの温度は確実に上がっていた。
話を聞いてる僕自身、相当インスパイアされるものだった。

彼と話した後、愕然とした。


ドクターというのは半端ない職業だ、
と改めて恐れ入ってしまったのです。
恐縮の極み、とはこのことだ。

僕は、救急病院に担ぎ込まれ九死に一生を得た経験を持っている。



言わずと知れた、米国のTVドラマの方向性を変えてしまった不朽の名作


まさに人生が変わるThe moment of truth、真実の瞬間、ってやつだ。

僕はその経験がベースとなって、今までの人生を考え直し、会社まで勢いで辞めてしまい、家族でハワイに住んじまえ!みたいな決心をしたのだ。

僕の命を救ってくれた某大病院のドクター達とナース達は、紛れもなく僕にとっての神だ。


その病院のそばを通る時の僕は人目をはばからず、手を合わせてお参りをする。酔ってる時は手をパンパンする。


一種の神社だ。もはや宗教だ。彼らは神々なのだ。

僕にとっては、一生に数回あるかないか(数回もあって欲しくない)の経験だ。


でも、よく考えてみれば、
ドクターやナースは毎日そういう九死に一生を得る、もしくは残念ながらこの世を去る人たちと接しているのだ。



絶対に失敗できない職業


僕の友人に話を戻してみよう。

彼は「脳外科医」だ。


つまり、脳に疾患がある患者さんの脳にメスを入れる仕事をしてるのだ。


僕みたいな一般人にとっては非現実的すぎる世界の住人なんだ。


とんでもないフィクションでしかない世界に彼らはリアルで生きているのだ。

そして、日々患者さんのことを考えている。


急患が出れば休みでも病院にトム&ジェリーみたいに足を高速回転させて駆け戻るのだ。

何より重要なことは、彼らの仕事に「失敗」は許されない、ということだ。

「あ、やっちゃった」「あ、それは想定してなかったなぁ」とかが許される現場ではないのだ。

ドクターじゃない僕は、一所懸命に想像してみる。
その半端ない現場感を!

臨場感を感じて見よう!

もし、僕がまかり間違って医師国家試験に通るような明晰な頭脳を持っていて、エベレストよりも高い志で「脳外科医」になったとしよう。


(いや、どう考えてもその仮定には無理がある。
俺は自分を知っているのだ。1%も可能性はない。)


だが、あえて考えてみよう。

僕は耐えられるか?

毎日、毎時、毎秒が真剣勝負の世界を。

無理だ!マジに。。。。

野球の世界を例によく言われる。
あのイチローだって、10割バッターじゃない。
7割はアウトになってるんだと。

だから空振りを恐れるな、と。

正しい、はずだ。

だけど、ちょっと待って欲しい。

ほとんど、10割を期待される世界に生きている人たちが世の中に存在しているんだってことを。



不謹慎だが、僕は失敗を許される世界に生きていて良かった、と心から思う。

彼らに比べたら、僕らが恐れる失敗なんて屁だ。



敢えて、こう思う。

世間には完璧を求められ、失敗が許されない世界に住んでいる人がいる。

どこかで気が緩みそうになったら。


世界でたった今、人の命を救おうと奮闘しているドクター達を思い出そう。

僕だったら友人の脳外科医を思い出そう。

命を救ってくれたドクターとナースを思い出そう。

そして、自分が今勝負している世界なんて、子供だましだ。そこで、完璧を目指さないででどうする!と自分を鼓舞しよう。

ドクター達よ、ありがとう!
助けてもらったこの命を存分に活かすように、日々精進します!