そう言ったのは昭和の偉大なるエンターテナー、三波春夫さんだ。
初出したのは1961年、昭和36年だから僕は生まれてない。
時代は高度成長期に突入した頃だ。
三丁目の夕日の世界だ。
それ以来21世紀になっでも、ずっとこの「お客様が神様」であり続けているのが、今のニッポンなのだ。
公共の喫煙スペースで、片手に煙草、片手に携帯で若いサラリーマンが話している。
日本語はその文脈で相手との関係性が明確になるので、彼が同僚や上司ではなく、明らかに顧客と話しているのが分かる。
決して怒られている訳ではなさそうだ。
仕様や納期について結構な無理難題を依頼されてる感じだ。
見ていて気の毒になるほどへりくだっている。
「スミマセン」という言い方のバリエーションを彼は少なくとも100通りは持っているはずだ。
そう「クライアントは神様」なのだ。
日本ではまるで取り憑かれたように、コンビニの店員から大手製造業までが、神の祟りに触れないように過剰なサービスを提供し続けているように思える。
もの凄く少ない数の「神」からのクレームに戦慄し企業は「コンプライアンス」の名のもとで、1回オンエアしただけのCMを中止にする。(まぁ、中には当然そうなるべき下らないCMも多数ある。)
90年代の後半から00年代全般に渡って日本のビジネス界では「提案営業」「コンサル営業」とか言うモデルがもてはやされた。
モノが売れない時代なので、顧客企業に何か付加価値を提案しなくてはならない、みたいな強迫観念だった。
メーカーの場合、自社製品が売れる事が至上命題なので、その「提案」内容にプライスは付かないケースがほとんどだ。
結果として、「提案」は「タダ」と見なされるようになった。
目に見えないモノに対価を支払う価値はない、という感じになってしまった。
本来なら目に見えない「アイデア」を売っていそうな広告業界でも同様だった。
大手代理店はマスメディアを売る為に「アイデア」を無償で提供し、クリエイティブブティックは制作物での対価を得る為に「アイデア」を無償にした。
企画料、とかいう名目もあるにはあるが、クライアントの購買課から一番最初に攻撃されるのもこの項目だ。
結果、無くなってしまうか、あっても原価割れ(大概は人件費)してしまうケースがほとんどだ。
というか、そもそも提供している側も受けている側にも「提案された無形のアイデア」が有償であるという認識は薄かったし、今もそうだ。
「アイデア」や「アドバイス」はタダ、なのだ。
「神様」へのお供え物だ。
日本のモノ作りは確かにスゴいが、無形のアイデアやクリエイティブな発想そのものに価値がある、という認識をしなくては、クリエイティブクラスが活躍し本当の意味でイノベーティブなビジネスが展開される時代はやって来ないだろう。
とか思っていたら、それは日本だけの現象では無かった。
個人個人がプロでなくてはやって行けないシビアなビジネス社会のアメリカは、受けるサービスに対価を支払うのは当たり前の常識だ。
先進諸国が飲食店の「チップ」を止めるようになってきたのに、アメリカだけが頑としてチップ制度を固持している。
これは、雇い主が賃金を安く抑えようという策略と並んで、サービスに対価を払う、ということが明確化されたカルチャーを持っているからだろう。
一方で、クリエイティブなアイデアが求められる業界、特に広告会社(もはや広告という言葉は古い、クリエイティブなソリューションを提案する組織という感じ)では、クライアントからかなり無茶な要求をされるのは日本と同じだ。
アイデアの提案やその細かい仕様までタダで要求されることもしばしばだ。
アイデアプレゼンから実施まで行い、その結果を見て対価を支払うような場合もある。
結果主義と言うヤツだが、リザルトが芳しくなければ良くて原価だけ支払われてクビになる。
なので、そうなると儲けは無い。
そして、契約を盾に無理な要求をされるのは日常的なイベントだ。
特に最初にビジネスを獲得する時は、「タダ働き」は顕著になる。
もちろん、クライアントだけではなく、エージェンシー側も自分からそう動くケースも多いので、クライアントだけが、がめつい訳ではない。
通常、それはエージェンシー内では「投資」として決裁を受ける。
(上司にはダマてんで、やり手と「自称」する担当が勝手に社内外のリソースを動かしてクライアントに提供するケースもある。キレイ事言っててもしょうがないぜ!という感じだ。確かにそういう側面も現場ではあるが、理想的ではない。
特にそいつに翻弄された外部のフリーランスとかは、ピッチがコケた場合、結局ペイされないので、泣くしか無い。貸し借り、義理人情の世界になって行く。)
そういう風潮にNOと言ったのはズル・アルファ・キロというアニメキャラみたいな名前のカナダにあるクリエイティブエージェンシーだ。
このビデオでは、客である人間があらゆる業種(建築家、絵のフレーム屋、街のダイナー、フィットネスジムのパーソナルトレーナーなど)に出向き、あらゆるプロフェッショナルのアドバイスやサービスを受ける際に、最初はただで提案してくれと要求する。
当然、答えは「NO」だ。
彼らはプロであり、対価が支払われて初めてサービスを提供する。
メシを先ず先に食べて、ウマかったら払う、という提案は当然だが、店のオヤジから一蹴される。
しかし、そんなムリがまかり通っているのが「クリエイティブ業界」だとこのビデオは主張する。
もちろん、一食数百円のランチであれば「マズ!」と思えば二度と行かなければいいし、きっとその店は潰れる。
確かに、大きなプロジェクトで失敗すれば、担当者のクビが飛ぶ。
外部のパートナー選びは大変な労力を肉体的にも精神的にも強いられる事になるだろう。
しかし「無形のアイデア」にこそ対価を支払うという認識はとても大事だ。
今、多くのクリエイター(広告やデザイン業界だけに限らない。クリエイティブなマーケターも含む)達は疲弊している。
例えば、今やコピーライティングは広告会社だけの専売特許ではないが、「一文字数円」とかいうようなコンテンツの質やアイデアよりも文字数でプライシングされているのは、プロとして切ない現象だ。
有形のアウトプットにしか対価が支払われない文化が、もしかすると日本にイノベーションを起こすかも知れないクリエイター達のモチベーションを削いでいるのだ。
そうでないと、結局「物理的な尺度で計測可能なモノ」を前提にしたアイデアしか出て来なくなってしまうと思うからだ。
ちなみに、「お客様は神様です」と言った三波春夫氏の真意は「お客至上主義」ということではなかった。
「自分が演者であるとき、目の前にいるお客様に対し、あたかも神前であるかのように澄み切った心で臨む」ということだった。
プロとしての心情を語った優れた名言だったのだ。
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「お客様は友達です」が私の信条なんだけど...。
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