街を洪水が襲う。
そのニュース映像はまるで、2011年3月のあの「震災」直後の津波を彷彿とさせる恐ろしい映像だった。
被災された方々の一日も早い復興を祈るばかりです。
僕は、あの「震災」の直後、家族を九州は福岡に疎開させた。
色々な風評が出回る中で、後悔するよりはマシだ、と海外旅行の為に貯めていた預金をフルに使い果たして、博多に2週間家族を滞在させた。僕は当時サラリーマンで、会社から指示されたのは一週間の自宅待機だけだった。
なので、途中で一人で東京に戻ったのだ。
羽田に到着したら雨が降っていて、この雨にも放射能がたっぷり含まれているんだろうか、と憂鬱な気分になったのを今でも憶えている。
あの時に、僕は気付いたのだ。
「東京」に居なくても「仕事」は出来る、と。
本心では、沖縄とかに行きたかった。
しかし、あの強烈な「津波」のニュース映像を見てしまった後だ。
なんとなく「沖縄」は遊びに行くみたいで、不謹慎な感じがしてしまったのだった。
今思えば、別に「沖縄」でも良かったし、コストはほとんど変わらないか、安く上げる事も出来た。
当時、友人家族が東京から福岡に移住していた。
ある教育関係のベンチャーを博多で起業していたので、拠り所はあったのだが、ステイ先は、普通にホテルを取った。
空港から博多の駅までのアクセスは快適にあっという間だった。
駅では高校生が東日本震災の為の募金活動をしている以外は、普通の日常がそこにあった。
コンビニには普通にペットボトルの水が売られていた。
福岡入りしたついでに、その友人ファミリーの自宅に遊びに行った。
彼らはモチロン震災に関して相当な心配をしてくれていたけれど、僕が感銘を受けたのは別の所にあった。
彼らのライフスタイルはまるでカリフォルニアの「それ」みたいだった。
車で10分のオフィスで働き、程よい距離感に自然に溢れていて、ナイスなビーチが点在している。リビングコストも東京より遥かに安い。
食べ物も異常なウマさと安さだ。
何と言うか、「ちゃんとした人間らしい」生活がそこにあったのだ。
都会と自然の絶妙なバランスがそこには存在していて、彼らは今の生活は全くの「ストレスフリー」だと言っていたし、顔つきもそれを証明していた。
もう、「東京」には戻れないし、戻りたく無い、とまで言っていた。
東京にいなくても仕事は出来る。
それまでも薄々感じていたのだが、福岡での「疎開」生活でも普通に「仕事」が出来てしまったのだ。
まさに「ネット社会&テクノロジー」の恩恵だ。
福岡と東京で時差がある訳ではないので、電話とメールを駆使すればオンタイムで仕事が進んでしまう。
Skypeであれば、複数の人と同時に会議も出来てしまう。
東京にオフィスなんていらない、のである。
それでも、「東京のビジネスパーソン達」というのは真面目だ。
早くオフィスに戻り、一日も早く「あの日常」に戻る事が暗黙の期待値や空気として存在していた。
満員電車に揺られ、「オフィス」に物理的に縛られる生活に戻ることを多くの人が望んでいるかのようだった。
福岡から電話をした東京の取引先の人も早くオフィスに戻って仕事をしたい、と言っていた。
「マジかよ!」とか僕は正直思ってしまった。
思えば、あのタイミングが多くの東京生活者のライフスタイルを変える一種の分岐点だった気がする。
都市部、とりわけ東京に生活する人達が、自由に自分で働く場所や生活する場所を決める事が出来るようになる。
そういう「来るかも知れない」未来に向けた「分岐点」だったのだ。
そして僕の目からすれば、その分岐点は多くの日本人(東京人)は、そのレールを未来ではなく過去へ戻る方向に向けてしまったようだった。
人間はあのようなとてつもない災害を目の当たりにしても、いや、むしろだからこそ、「日常に戻ろう」とするのだと悟ったのだ。
しかし、僕はそうならなかった。
あの「疎開」以来、日常に戻ることへの違和感が心の中に満ちあふれてしまった。
生活を変える大きなきっかけをどう行動に結びつけるのか、その考えから抜け出せなくなってしまった。
結局、その年の暮れの自分の病気というさらなるきっかけもあって、僕はハワイへの移住という決意にいたったのだった。
時は流れて、僕は2年過ごしたハワイから東京に戻って来た。
理由は一ヶ月前のブログに書いた。言ってみれば、肩書きは「元・脱東京」野郎ということになる。
だから友人が書いた新しいこの著書を読むのには正直勇気が必要だった。
なぜなら、僕は「脱」じゃなくて「東京リターン組」、だからだ。
人生の冒険野郎でありたい僕にとっては、この著書を読んでまた「脱東京」したくなったらどうすんのよ、みたいな心配もあった。
しかも一方で、今では「東京万歳!」みたいに思っている。
ハワイはモチロン楽園だが、食事にチップがいらない便利さとか、街行く女性の美しさとか、公共交通機関の果てしない利便性とか、マーケットが圧倒的に大きいとかいうのは、一度「脱東京」した僕の目には、なんというか東京もキラキラしているのだ。
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「脱東京」という言葉にはストレートでかつチャレンジングな響きがある。
著書の中では14人のクリエイティブクラスのビジネスパーソンが登場する。
それぞれが、各地域で自分らしいライフスタイルを確立したり、もしくは模索を続けている。
中には僕も個人的に知っている友人もいる。
彼らがどのように、自らのビジネスを創造し、地域に貢献し、そして「東京」という「中央集権型の偉大なる幻想」から脱却し、自分らしい理想的なライフスタイルを送っているのか。
そのストーリーが主にインタビューを軸に展開される。
そして、その内容は刺激的だ。
きっと多くの人は著書のタイトルや目次を見て、「特別な人々の物語」だと思ってしまうかも知れない。
しかし、僕は「東京を愛するリターン組」代表(いつからだよ!)として思うのだ。
この著書のメッセージは実は別の所にある。
それはむしろ、東京に住んでいる人達に向けてのエールだと捉える事が可能だ。
東京で生活し、今の生活にハンパない閉塞感を感じているにもかかわらず、現状から抜け出せないジレンマを抱えた人にこそ、この本書は大きな示唆を与えてくれるのだ。
この本書を読めば分かるが、著者が言いたい事は「東京を出て、地方に住もう」という単純な地域活性支援な話ではない。
単純に書いてしまえば、
「思考停止をヤメて、常識を疑ってみよう。自分の頭で考え、行動してみよう。そして、会社や行政に依存することをヤメてみよう」
という事だ。
(地域移住が成功する為のスキルの一つとして『依存をしないこと』も後半に明記されている)。
東京でも、日本でも、世界でも住みたい所に住める自由は既にそこに存在している。
あなたが選択する意思があれば、それは実現するのだ。
と言ってるのだ。
タイトルは「脱東京」だが、それは「脱洗脳」に近いとすら僕は思う。
ただ「脱東京」の方が、コンセプトが伝わりやすい。
そういう発想の中では、東京ですら「いち地域」だ。
僕は再び東京に「居住」することを選択したわけだが、かつてのような、「会社組織=給料」に依存する生活をチョイスした訳ではない。
東京という「地域」がもっと魅力的になるには「アンチコーポレーション」というか、「大企業(メジャー)至上主義」な「中央集権的」なカルチャーに対して疑問を持つ事が必須だと考えている。
大企業の存在は否定しないし、僕もその仕組みの中で社会人の大半を過ごして来た。
(恩恵も得た。さまさまです。感謝!)
かつて、大手商社や家電メーカーの本社が大阪にあった時のような、地域分散型経済社会の復権も望んでいる。
ドモホルンリンクルはずっと九州の企業であって欲しいし、ジャパネットタカタは六本木に来るべきじゃなかったし、楽天のようなIT企業が二子玉川みたいなセレブな東京郊外じゃなくて、東北とか八ヶ岳みたいな地域に広大なキャンパスを形成し、雇用をクリエイトする事が出来ていたら、もっとクールな尊敬を勝ち取っていたはず、とかも思っている。
つまり、マインドの話なのだ。
組織や行政、誰か他人(夫婦ですら)に依存して生きて行く人生ではなく、自分が自分の人生に何を望むのかを知る事。
自分が望むライフスタイルを実現させる為には、少し頭を使う事。
常識を疑う事。
環境の変化に気付く事。
そしてアクションをすること。
そういうメッセージを僕は著書からゲットした。
僕は、「脱東京」マインドを持った「東京地域人」として、この都市で暮らして行く。
何よりも、この場所で生まれ育った、愛する故郷でもある。
僕には江戸っ子の血が流れている。
あ、でもあと数年後に福岡移住とか言っていたら、ごめんなさい。
人生は先がわからないから面白いんです。
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